松江の城下町散策を楽しんだ頃はもう夕方になっていた。
この日の宿は玉造温泉
日本最古の温泉ということで、女の子にも人気スポットらしい。
玉造温泉の出雲神々 縁結びの宿 紺家
玉造温泉は、奈良時代初期に開かれた、日本でも最古の歴史をもつ玉造温泉は、大国主命とともに国造りを
した少彦名命が発見、神代の頃からあったという言い伝えがあります。(HPより)
でも、楽しみにしていた夕食が、まずくて残念でした。(HPで見たものとは大違い!!)
お風呂とお部屋は良かったです。
この日は、万歩計を見ると、17000歩を上回っていたので、早々に就寝しました。
宍道湖のしじみ汁
夕食のショックが冷めやらず、恐る恐る朝食を食べる・・・。
この宿の名物というだけあって、たっぷりのしじみ汁だけは美味しかった。
ほかは・・・・でした。
気を取り直して、いざ、石見銀山へ出発
JR山陰線の快速で大田市まで向かいました。
電車の旅で楽しみなのが車窓からの眺めです。
山陰地方の家の屋根には鯱のある家が多く、また大黒さんの顔の刻印もあったりで、
その地方ならではの特色みたいでした。
電車が海岸線を通るたびに目を見張るような素晴らしい景色が広がりました。
海も空も青く、緑も綺麗に映えてお天気で良かったです。
太田市に着くと、観光案内所の方がいろいろとアドバイスしてくれたので、
現地に着いたらそのとおりに実行
これが大正解でした。
まずは、大森について電動自転車をレンタルしました。
この日はとても暑い日でしたが、サイクリングは最高に気持ちよく、暑さもそれほど感じませんでした。
清流が流れる道をスイスイ進みます。
龍源寺間歩に到着、いよいよ中に入ります。
入口に立つと、冷気がす~っと流れてきて、気持ちいい。
坑道です。
冷蔵庫にいるみたい!しばし、外の暑さを忘れて涼みました。
掘った跡がわかります。
当時の人たちが過酷な状況の中、ここで銀を掘っていたんですね~。
それにしても、こうやって間歩が当時のままの状態で残っていたのは奇跡ですね。
なんでも、外国で掘削技術が進んだ頃、石見銀山は銀自体が無くなってしまったため
閉山し、そのまま残されたのだとか・・・・。
技術革新の影響を受けないまま終わったとしたら、今となってはそれは良かったのかも知れません。
念願の世界遺産石見銀山を見た後、お腹が空いたのでランチタイム
銀の里渡辺家・咄々庵(とつとつあん)
同住宅は、江戸後期の1811(文化8)年に建てられた銀山付地役人の居宅で、同町の銀山地区内
に唯一現存する武家屋敷。母屋は木造瓦ぶき一部2階建て、延べ床面積約223平方メートル。
土塀を巡らせて前庭を設け、奥に母屋や土蔵を配置する当時の武家屋敷の特徴を伝えている。
宿の食事がまずかったけど、こちらはとても美味しくて、ホッとしました。
さて、お腹もいっぱいになったところで、次へ向かいます。
この日の宿は玉造温泉
日本最古の温泉ということで、女の子にも人気スポットらしい。
玉造温泉の出雲神々 縁結びの宿 紺家
玉造温泉は、奈良時代初期に開かれた、日本でも最古の歴史をもつ玉造温泉は、大国主命とともに国造りを
した少彦名命が発見、神代の頃からあったという言い伝えがあります。(HPより)
でも、楽しみにしていた夕食が、まずくて残念でした。(HPで見たものとは大違い!!)
お風呂とお部屋は良かったです。
この日は、万歩計を見ると、17000歩を上回っていたので、早々に就寝しました。
宍道湖のしじみ汁
夕食のショックが冷めやらず、恐る恐る朝食を食べる・・・。
この宿の名物というだけあって、たっぷりのしじみ汁だけは美味しかった。
ほかは・・・・でした。
気を取り直して、いざ、石見銀山へ出発
JR山陰線の快速で大田市まで向かいました。
電車の旅で楽しみなのが車窓からの眺めです。
山陰地方の家の屋根には鯱のある家が多く、また大黒さんの顔の刻印もあったりで、
その地方ならではの特色みたいでした。
電車が海岸線を通るたびに目を見張るような素晴らしい景色が広がりました。
海も空も青く、緑も綺麗に映えてお天気で良かったです。
太田市に着くと、観光案内所の方がいろいろとアドバイスしてくれたので、
現地に着いたらそのとおりに実行
これが大正解でした。
まずは、大森について電動自転車をレンタルしました。
この日はとても暑い日でしたが、サイクリングは最高に気持ちよく、暑さもそれほど感じませんでした。
清流が流れる道をスイスイ進みます。
龍源寺間歩に到着、いよいよ中に入ります。
入口に立つと、冷気がす~っと流れてきて、気持ちいい。
坑道です。
冷蔵庫にいるみたい!しばし、外の暑さを忘れて涼みました。
掘った跡がわかります。
当時の人たちが過酷な状況の中、ここで銀を掘っていたんですね~。
それにしても、こうやって間歩が当時のままの状態で残っていたのは奇跡ですね。
なんでも、外国で掘削技術が進んだ頃、石見銀山は銀自体が無くなってしまったため
閉山し、そのまま残されたのだとか・・・・。
技術革新の影響を受けないまま終わったとしたら、今となってはそれは良かったのかも知れません。
念願の世界遺産石見銀山を見た後、お腹が空いたのでランチタイム
銀の里渡辺家・咄々庵(とつとつあん)
同住宅は、江戸後期の1811(文化8)年に建てられた銀山付地役人の居宅で、同町の銀山地区内
に唯一現存する武家屋敷。母屋は木造瓦ぶき一部2階建て、延べ床面積約223平方メートル。
土塀を巡らせて前庭を設け、奥に母屋や土蔵を配置する当時の武家屋敷の特徴を伝えている。
宿の食事がまずかったけど、こちらはとても美味しくて、ホッとしました。
さて、お腹もいっぱいになったところで、次へ向かいます。
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