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「ぺク・ドンス」を観終わりました。

2016-05-10 | 韓国史劇・ドラマ・映画

このドラマ、最後までとても面白かったです。

英租(ヨンジョ、イ・クム)→ 荘献世子(思悼世子(サドセジャ)とも呼ばれる。)→
正祖(チョンジョ、イ・サン)の3代を取り扱ったドラマはこれまでいろいろ観てきました。

父である英祖に米櫃に閉じ込められて餓死した「思悼世子(サドセジャ)」に関しては
ドラマによっていろいろなストーリーがあって、「イ・サン」、「風の絵師」、
「トキメキ成均館スキャンダル」とどれも面白い。

この時代に欠かせないのがドラマではチョリプ(後の洪国栄、ホン・グギョン)
正租は、王世孫時代より自らの警護にあたってきた洪国栄に全幅の信頼を置き、
宮城の護衛にあたらせた。イ・サンの腹心



それから、金 弘道(キム・ホンド)
朝鮮王朝後期の画家
号は檀園(タンウォン)のほか、丹邱・西湖・高眠居士・輒酔翁などがある。

朝鮮王朝後期を代表する画家の一人であり、金弘道(檀園)は申潤福(恵園)
・張承業(吾園)とともに「三園」と称されている。
朴斉家(パク・チェガ)の「武芸図譜通誌」に挿絵を描いたり、
『松下猛虎図』などの鳥獣画も描いた。

この挿絵を描いた辺りもドラマに組み込んであって興味深かった。
ぺク・ドンスにこの二人も加わって世孫時代から正祖を敵から守っていくところが
面白かった。
ヨ・ウン(ユ・スンホ)は敵対しながらも、ドンスとの友情の中で揺れ動く立場が切なくて
良かった。





思悼世子(サドセジャ)が亡くなった後、師匠の剣仙(コムソン)から武芸を習い、
前半の「分別のないとんでもないヤツ」からがらりと人柄が変わり、
立派な人間となって正祖(イ・サン)の護衛武官となっていくところも良かった。
このドラマを知って、観て良かったです。



■英祖(ヨンジョ)
李氏朝鮮時代の21代国王
粛宗の次男にあたる。母は和敬淑嬪崔氏(ドラマのトンイ)
朝鮮王朝の歴代君主中最も長生きした君主であり、在位期間もおよそ52年間と
最も長かった。

■思悼世子(サドセジャ)
李氏朝鮮の第21代王英祖の次男
2歳で王世子に冊立され、10歳で恵慶宮洪氏と結婚した。
少論派の学者たちから学問を学び、朝廷を掌握した老論派と対立した。
1749年 に世子が英祖の代理として政務を処理するようになると、
老論派は貞純王后(英祖の妃)とともに英祖に讒言し、世子を陥れた。

英祖との葛藤で世子の李愃は精神を病むようになったと『恨中録』
(恵慶宮洪氏の随筆)には記録されている。
英祖は羅景彦を死刑に処する一方、李愃を廃して米櫃の中に閉じこめ、
李愃は8日後に飢死した(壬午士禍)。
後にこれを英祖は悔やんだ
1777年 には正祖が「荘献」と追尊した。


■正祖(チョンジョ、イ・サン)
李氏朝鮮の第22代国王
祖父は英祖、養父は孝章世子、妃は金時默の娘孝懿王后

1762年辛壬士禍(辛壬の獄)を批判した父、荘献世子が
老論派の陰謀で悲劇的に死んだ後、英祖の長男孝章世子の養子となる。
その理由は老論派の諸臣が 「罪人の息子は王になれない」と主張したからである。
1775年より代理聴政をはじめ、翌年、英祖が薨去した後、25歳で即位した。
正祖は即位式に集まった人々に「余は荘献世子の息子である」と宣言した。

※Webより抜粋


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