<書評じんりき入力コーナー>について
こういった書評は、現代詩マニア(?)はともかくとして、
普段、一般の方々の目に触れることはほとんどないと思われます。
秘書(妄想)がやってくれんかな…と妄想しつつ、自分で入力してみました。
名付けて「じんりき入力」です(笑)
入力しながら、頂戴したお言葉を改めてかみしめることができました。
「じんりき入力」もなかなか良いものですね♡
今回は「現代詩手帖2015年5月号」の詩書月評に掲載されたものです。
秋 亜綺羅さまが書評をくださいました。しかも、トップで!
掲載順は、本の中身にそんなに関係ないと思われますけど、
普段の生活でトップをとることなどほとんどない私は
嬉し恥ずかしでございましたよ。どうもありがとうございますm(__)m
秋 亜綺羅さまのお名前って、寺山修司さんがつけられたことを最近知りました♪
ここ半年ぐらい、寺山さんがらみのお話がちらほら私の元に入ってきて、
いわゆるシンクロっていうやつ( ̄~ ̄)かな~? と思っています。
寺山さんはとても有名どころでいらっしゃるので、
単に耳に入ってきやすいだけなのかもしれませんが…
でも「やや!?これはシンクロか?」って思ったほうが絶対楽しいですよね!
※関係者の方々にお願いがあります。こうした形で掲載不可の場合は
お手数ですが、メッセージ欄から当方までご連絡いただけますでしょうか?
パソコンがこわれていない限りすぐに対応したいと思います。
どうぞよろしくお願い申しあげます。
<書評じんりき入力コーナー①>
~以下引用~
ことばだからこそ
秋 亜綺羅
暖かい季節がやって来ると、また一年生きのびてしまったなと感じるようになったのは、わたしの年齢のせいだろうね。
南風桃子『うずら』(空とぶキリン社)は、ことばってこんなにも軽やかだったんだと思わせてくれる。
こんなに風のある日に
まちを歩くと
すてき
あなたのかけらが
風にのって飛んできそうで
あなたのこころのにおいとか
あなたのひとみの光
使いかけの骨とか歯
いろいろいろいろ
飛んできそうで
ああ うれしい
うれしいな
おねがいわたしのなまえを呼んで
風のなかで今
わたしのなまえを呼んで (「南風」)
青空が広がる快晴なのだろうか。風はちょっと暖かいのかな。タイトルも「南風」だしね。幼い詩法のように感じられるかもしれないけれど「こころのにおい」って、詩だから書けるわけで、絵画や音楽では無理。ことばだからこそ表現できる風景の作り方を、南風桃子は知っている。あなたの「使いかけの骨とか歯」が風といっしょに遊びに来る。「ひとみの光」は新しい季節の色をして、スキップしながら風と腕を組んで来るのだろう。
ほかにもペーソスとユーモアでいっぱいのいい詩がたくさんある。
はまぐりは
ちょっとたいくつだったので
「誰かにほられてもいい」
と思った (「浜辺のドップラー効果」)
とはじまる詩は、はまぐりの立場になって潮干狩りを描いている。砂をかく音がすこしずつ近づいてくる。「(こっち、こっちだよ)// ―――しゃり、しゃり、しゃり」「(ここだよ、ここだってば)//―――しゃり、しゃり、しゃり……」。やがて音は、だんだん遠のいていき、いつもの静寂がつづくばかりだ。
~引用終り~
こういった書評は、現代詩マニア(?)はともかくとして、
普段、一般の方々の目に触れることはほとんどないと思われます。
秘書(妄想)がやってくれんかな…と妄想しつつ、自分で入力してみました。
名付けて「じんりき入力」です(笑)
入力しながら、頂戴したお言葉を改めてかみしめることができました。
「じんりき入力」もなかなか良いものですね♡
今回は「現代詩手帖2015年5月号」の詩書月評に掲載されたものです。
秋 亜綺羅さまが書評をくださいました。しかも、トップで!
掲載順は、本の中身にそんなに関係ないと思われますけど、
普段の生活でトップをとることなどほとんどない私は
嬉し恥ずかしでございましたよ。どうもありがとうございますm(__)m
秋 亜綺羅さまのお名前って、寺山修司さんがつけられたことを最近知りました♪
ここ半年ぐらい、寺山さんがらみのお話がちらほら私の元に入ってきて、
いわゆるシンクロっていうやつ( ̄~ ̄)かな~? と思っています。
寺山さんはとても有名どころでいらっしゃるので、
単に耳に入ってきやすいだけなのかもしれませんが…
でも「やや!?これはシンクロか?」って思ったほうが絶対楽しいですよね!
※関係者の方々にお願いがあります。こうした形で掲載不可の場合は
お手数ですが、メッセージ欄から当方までご連絡いただけますでしょうか?
パソコンがこわれていない限りすぐに対応したいと思います。
どうぞよろしくお願い申しあげます。
<書評じんりき入力コーナー①>
~以下引用~
ことばだからこそ
秋 亜綺羅
暖かい季節がやって来ると、また一年生きのびてしまったなと感じるようになったのは、わたしの年齢のせいだろうね。
南風桃子『うずら』(空とぶキリン社)は、ことばってこんなにも軽やかだったんだと思わせてくれる。
こんなに風のある日に
まちを歩くと
すてき
あなたのかけらが
風にのって飛んできそうで
あなたのこころのにおいとか
あなたのひとみの光
使いかけの骨とか歯
いろいろいろいろ
飛んできそうで
ああ うれしい
うれしいな
おねがいわたしのなまえを呼んで
風のなかで今
わたしのなまえを呼んで (「南風」)
青空が広がる快晴なのだろうか。風はちょっと暖かいのかな。タイトルも「南風」だしね。幼い詩法のように感じられるかもしれないけれど「こころのにおい」って、詩だから書けるわけで、絵画や音楽では無理。ことばだからこそ表現できる風景の作り方を、南風桃子は知っている。あなたの「使いかけの骨とか歯」が風といっしょに遊びに来る。「ひとみの光」は新しい季節の色をして、スキップしながら風と腕を組んで来るのだろう。
ほかにもペーソスとユーモアでいっぱいのいい詩がたくさんある。
はまぐりは
ちょっとたいくつだったので
「誰かにほられてもいい」
と思った (「浜辺のドップラー効果」)
とはじまる詩は、はまぐりの立場になって潮干狩りを描いている。砂をかく音がすこしずつ近づいてくる。「(こっち、こっちだよ)// ―――しゃり、しゃり、しゃり」「(ここだよ、ここだってば)//―――しゃり、しゃり、しゃり……」。やがて音は、だんだん遠のいていき、いつもの静寂がつづくばかりだ。
~引用終り~