プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

野口正明

2016-07-07 22:38:44 | 日記
1952年

パ・リーグ唯一人の「廿勝投手」野口正明は器用な投手ではない、三、四年前から「調子がいいと思っているのにホームランを打たれてしまいます。どんな球を打たれているんでしょう?」と悩みを訴えるから「球ではない、コースだよ。長打をたたき出せる打者のつぼを外すことが第一だ」ネット裏で語ったがたしかに晩成型である、飯塚商業で投手になってから十四年目の今年、大きな芽を出した勘定である。ところが飯塚商業の一年生で投手になったのに二年と三年生の間は内野手にまわされ、四年生で投手に復活、十七年春卒業と同時に名古屋軍(ドラゴンズ)に入ったが、一塁手として使われると時の方が多く、西沢投手が廿八回の延長戦レコードを作った試合も一塁手で出ている、兵役から帰ってドラゴンズに戻った時も外野手で出場しているのは器用な投手でない証拠である。しかし球も重いし肩もいい捨てがたい力と味を持っているので廿三年急映(東急ー大映の連合チーム)に移って投手連に立ったが大したことなし、廿四年大映が生まれて投手専門になったり、ちょっと芽を出して十二勝十三敗であったが試合数卅五を打たれた(最多数記録)のだから悩みもするわけである。廿五年は西鉄に移り十勝十三敗、廿六年は十二勝八敗、本塁打も九本打たれたのみ、防御率も従来の四あるいは三点台から二・八一となり順位も十位、今年への希望を見せていたのが実を結んだのであるから苦闘晩成十四年の集積が「廿勝投手」に化身したといっていい。野口も生来の横手、下手投の投手でなく、上手投の間に横手投を用いる程度であったが、随次横と下の投法に変り、それが今年から斜め(上と横との間、いわゆるスリーコーター)と横手投の併用になった、一番目立つのは低いコースの球が多くなったことである。球が速くて重い、斜め横からのひねくれた球質、これでも外角低目のストライクがとれたら、やたらに打たれもしないし第一ホームランが飛ばない、これが野口の胸を上げた第一の「たね」である。ブルペンでのピッチングは相当長くやっているが、リリーフに立つ場合、ベンチ前のウォームアップは短い、完投しても中三日おいて四日目登板が好調のようだ。試合中一番多投する球は、横からプレートをクローズする球これが手首の返しで浮く球となり、流れ落ちる球となる、この球が思うところへ入る日の野口は好調でシュートの威力が倍加している。この球が棒球になったり、威力なしとみると、カーヴを多投してきりぬける策を採っているが、ウィニング・ショットの「シュート」は大体安定性があり、これが凡打させる鍵となっている。弱点を探せば、器用でない投手の常としてまずコントロールをさらに一段とマスターすることであろう、最近外角へシュート気味に落ちる球を研究して時時使っているが、右投手のアウト・シュートだから手首の返しから見て「スクリューボール」らしい、ただし握りはナックルに通じるものがある、とにかく常々と築き上げた野口のピッチングは肩の強さを基盤に「勝星をかせぐ」時が来たようである。
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苑田俊彦

2016-07-07 19:48:30 | 日記
1963年

広島、西鉄、中日が誘っていた三池工・苑田(そのだ)俊彦内野手(17)=1㍍71、73㌔、右投右打は一日広島入りが確実になった。同日夜大牟田市天領町の自宅で父親幸一氏が「広島にきめたい」と語った。最終的には二日夜三池工堤野野球部長、同校原監督、幸一氏、苑田選手が集まって決定する。同選手は昨年秋の県大会からことしの甲子園大会の予選で三池工が敗退するまでに十四本のホームランを打っているスラッガー。昨年の秋から地元西鉄をはじめ、巨人、大毎、広島、阪急、中日、近鉄、大洋などが目をつけていた。とくに熱心だったのは中日。濃人技術顧問が帰国直後大牟田で原監督に会い協力をたのんでいるし、現在も柴田スカウトが大牟田で説得工作をつづけている。広島入りに傾いたのは広島・久野スカウトが原監督と社会人野球、東洋高圧でいっしょにプレーしたことがあり、その原監督が苑田が中学時代から面倒をみて三池工に入れた関係で強い発言力をもっていた。苑田や幸一氏は早くからプロ入りをきめており、三池工が予選で負けた翌日(二十九日)野球部長に退部届けを出している。肩、足もいいが、とくに強いのは腕力で270匁(1キロあまり)のバットをいつも使っている。

父親幸一氏「いろいろ考えた末、中日の柴田さんには悪いけど、私としては広島にきめたいと思っている。堤野野球部長に退部届けを出すとき、おそくとも一週間以内にきめるといっておいたが、あす(二日)原監督もまじえて最後の話し合いをする」

白石監督「久野君からいい素質を持った選手だと聞いている。だが私はまだ見たこともないし、久野君にまかせっきりだ。社会人野球の監督をしていた久野君のことだから、彼がいいと思った選手はまず間違いなかろう」
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辻佳久

2016-07-07 19:27:02 | 日記
1964年

巨人入りが内定していた金沢高・辻佳久投手(17)=1㍍83、75㌔、左投左打=は、三十日最終的な話合いがつき入団が本決まりとなった。同投手は今春の選抜大会で準々決勝まで進んで注目され、長身からの速球、大きく落ちるドロップに威力がある。巨人は五月の金沢遠征(対大洋)のとき川上監督、中尾、藤田両コーチら首脳陣が辻のピッチングをわざわざ見にいって、その素質に折り紙をつけており、青木スカウトが交渉していた。中日、大洋、西鉄などもさそっていた。

青木スカウト「きょう(三十日)こちらの条件で承知したという連絡があった。ぜひとりたい選手だったのでほっとした」

川上監督「変則的なフォームだが、直球にスピードがある。すぐに戦力になるとは思えないが、上背もあり鍛えれば将来性は十分だ」
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