1962年
南海入りする元ヤンキースのケント・ハドレー選手(26)=1㍍90、88・4㌔、左投左打=は二十八日午後六時三十四分羽田着のPAA機でマリー夫人、長男カーク君(二つ)長女リーンちゃん(四つ)とともに来日した。岩瀬常務のほか南海球団職員の出迎えを受け、空港で記者会見のあと東京銀座東の宿舎東急ホテルにはいった。栗色の髪でスラッとしたからだのハドレーは「昨年のオールスターをテレビでみたが、1955年に来日(南加大の一塁手として)したときにくらべ日本のプロ野球は段違いに進歩している。自分としてはベストをつくしてプレーしたい。目標は打率二割八分以上だ。南海というチームはよく知らない。スタンカは名前は知っているが、実際に話したことはない。マクマナスとは対戦したことがある。来日する前は軽いランニング程度の練習しかやっていないが、からだの調子もいいし、二、三日でゲームに出られる」と語った。なお同選手は二十九日午前十一時四十五分羽田発の日航機で大阪入りする。
ハドレーは1956年テレハウテ(B級)をふりだしにプロ入り、オーガスタ(A級)シラキユーズ(2A級)とマイナーをへたのち58年アスレチックス(ア・リーグ)にあがり大リーガーとなった。この年は三試合にしか出場していない。59年は82試合で2割5分8厘をマークしている。60年ヤンキースに移籍、一度リッチモンド(3A級)に落ち、昨年はPCLのサンジエゴにトレードされ、二割三分三厘、本塁打11本、六、七月は右腰故障で欠場。
鶴岡監督「ハドレーは一塁と外野をやっていたが、ウチのメンバーからみて外野に使うつもりだ。平和台の対西鉄戦(5月1日)から出場させる」
南海入りする元ヤンキースのケント・ハドレー選手(26)=1㍍90、88・4㌔、左投左打=は二十八日午後六時三十四分羽田着のPAA機でマリー夫人、長男カーク君(二つ)長女リーンちゃん(四つ)とともに来日した。岩瀬常務のほか南海球団職員の出迎えを受け、空港で記者会見のあと東京銀座東の宿舎東急ホテルにはいった。栗色の髪でスラッとしたからだのハドレーは「昨年のオールスターをテレビでみたが、1955年に来日(南加大の一塁手として)したときにくらべ日本のプロ野球は段違いに進歩している。自分としてはベストをつくしてプレーしたい。目標は打率二割八分以上だ。南海というチームはよく知らない。スタンカは名前は知っているが、実際に話したことはない。マクマナスとは対戦したことがある。来日する前は軽いランニング程度の練習しかやっていないが、からだの調子もいいし、二、三日でゲームに出られる」と語った。なお同選手は二十九日午前十一時四十五分羽田発の日航機で大阪入りする。
ハドレーは1956年テレハウテ(B級)をふりだしにプロ入り、オーガスタ(A級)シラキユーズ(2A級)とマイナーをへたのち58年アスレチックス(ア・リーグ)にあがり大リーガーとなった。この年は三試合にしか出場していない。59年は82試合で2割5分8厘をマークしている。60年ヤンキースに移籍、一度リッチモンド(3A級)に落ち、昨年はPCLのサンジエゴにトレードされ、二割三分三厘、本塁打11本、六、七月は右腰故障で欠場。
鶴岡監督「ハドレーは一塁と外野をやっていたが、ウチのメンバーからみて外野に使うつもりだ。平和台の対西鉄戦(5月1日)から出場させる」