プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

日野茂

2016-07-16 23:42:48 | 日記
1972年

「ホームラン王がきた」十五日午後二時から始まった西宮球場の雨天練習場で西鉄の日野をみつけたナインは、そういって拍手で迎えた。西鉄が三連敗からぬけだすことのできた貴重な一発を打った男。日野茂内野手。プロ入り五年目、二十三歳。あと半月で開幕という三月二十三日、突然、中日から西鉄に移籍してきた男だ。だから、開幕前に印刷して配布されるメンバー表の中には日野の名前はまだない。いわば「メンバー表に名前のない選手」が、西鉄のスタートの危機を救ったともいえる。「ホームラン王」とひやかされて、日野は大げさに、一度は口をとがらせてみせた。「ひどいひやかし方だな」だが、それはうれしさの逆の表現だった。「みんなサッパリしていいヤツばっかりだ。明るいいいチームにきたよ」西鉄で初めて先発メンバーで出た試合に初安打がホームラン。十三日の対南海三回戦、先制の3ランだ。日野は正直にいう。「打ったぼくがびっくりしているのだから、みんながひやかすのも無理はない」昨年まで中日に四年間在籍して、九十一打席立って本塁打はたったの一本。「ぼくのような非力な人間はミートを心掛けるしかない。ホームランはあくまでも副産物と考えている。もともと守備ではいったのだから、守ることをおもに考えるのは当然だろう」いまは和田コーチ補佐につきっきりで、相手選手の長所、欠点やチームの内情などをくわしく教えてもらっている。早くもチームにとけ込もうという意欲。稲尾監督は、そんな日野をみていう。「なによりいいのは野球を知っていることだ。ウチは若い選手が多いだけにいい刺激になる」日野は名古屋を出るとき、私淑している先輩から「いまこそ飛躍するチャンス」と励まされ西鉄に移籍してきた。「福岡にきた当時は気苦労で一時は5㌔もやせた。でももう家庭も落ち着き、明るいチームにきたことで、野球だけに打ち込めるのがいい」と大喜びだ。今後の課題は「四球を選ぶこと」だという。出場のチャンスに恵まれ、持っている研究心を呼び起こし、向こうっ気の強さは菊川、梅田との競争にファイトをかきたてる。西鉄も、日野も相性があっていたというべきか。
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松田光保

2016-07-16 07:14:36 | 日記
1971年

ロッテがドラフトで六位に指名した藤沢商・松田光保投手(18)=1㍍81、72㌔、右投右打=の入団が三十日決まった。田丸スカウトは同日夜、鎌倉市大船駅の味好に父親・義典さん(55)と金子野球部長をまねき、契約金五百万円、年棒百万円(いずれも推定)の条件を提示、内諾を得た。同投手は「木樽とそっくりのからだつき」(田丸スカウト)の速球派。しかし、まだコントロールが甘くピッチングのコツを知らないため、ロッテは三、四年間ファームでじっくり育てる方針。
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