プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

1957年 国鉄 退団者

2018-03-11 23:23:32 | 日記
1957年

国鉄の瀬野浄外野手(23)南輝明内野手(22)大沼清投手(21)の三選手は、二十七日東京丸の内の国鉄球団事務所で、上京中のノンプロ富士重工太田、中村栄監督と会い、国鉄を退団、富士重工太田に入社することになった。これで富士重工太田には元国鉄の選手が中村監督、深沢、小林両選手を含めて計六名になった。また井上佳明投手(25)も近日中に国鉄を退団、ノンプロ東洋高圧大牟田に入社する。
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秋光新二

2018-03-11 23:18:24 | 日記
1957年

さきに阪神を退団した秋光新二投手(21)はこのほどノンプロ富士製鉄室蘭入りが内定した。
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宇佐美和雄

2018-03-11 23:01:14 | 日記
1968年

西鉄・渡辺スカウトは二十七日午後一時・さきに西鉄入りを内諾している木更津中央高・宇佐美和雄投手を、千葉県君津郡平河町の自宅にたずね、両親、川船前野球部長、溝口野球部長をまじえ、約二時間にわたって細部の条件を話し合い、正式に入団の内諾を得た。渡辺スカウトは十二月一日宇佐美投手、母親・いちさんとともに九州へ帰り、二日福岡市天神二丁目の球団事務所で契約することになった。
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大畠康嘉

2018-03-11 22:44:33 | 日記
1961年

国鉄は五日午後三時から東京丸の内の球団事務所で日大・大畠康嘉内野手(22)=花巻北高出、1㍍78、75㌔、右投右打=の入団を発表した。同内野手は阪急入りがうわさされていたが、阪急側が手を引いたため国鉄へきまったもの。日大入学のときは投手をやったこともあるので国鉄は投手として期待している。

大畠選手の話 「入学したとき春、秋のリーグ戦で十二回登板して八勝をあげた。二年からは肩が重くなったような感じなので打者に転向したが、いまでも投手としての自信はある。また投げたいと思っていた。ドロップとシュートが武器です」

西垣重役の話「大畠君は球が重くて速い。ちょうど巨人の藤田のようなタイプだ。からだも投手として理想的だし、やわらかい。本格派として十分期待できると思う」
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岩瀬光時

2018-03-11 22:14:33 | 日記
1961年

中日ドラゴンズは五日午後・享栄商・岩瀬光時投手(18)の入団を発表した。1㍍80、75㌔、左投左打。同選手は投手ながら打撃もよく今夏通算三割七分を打っている。

岩瀬投手の話「努力して早く第一線に出たい。高校時代四番を打っていたし、打撃の方が好きなので投手としてダメなら打撃に専念したい」
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堀田芳信

2018-03-11 22:02:23 | 日記
1967年

三谷水産高・堀田芳信投手(18)=1㍍78、70㌔、右投右打=の東京入りが八日決まった。山田スカウトが同日午前、豊橋市東田中郷町の堀田宅をたずね二度目の入団交渉をした結果、堀田側が契約金四百万円、年棒百二十万円(いずれも推定)で納得、サインした。入団発表は後日、東京で行なう。
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1957年 近鉄 退団者

2018-03-11 21:52:07 | 日記
1957年

近鉄パールズはつぎの十一選手を整理した。今月末にはさらに十名くらい整理選手をきめるはずである。(カッコ内は就職先)

投手
浜口猛(積水化学)
岡本教平
重村武男
北野勉(電気化工)
浦野保一
手銭善之
小沢文夫
内野手
志農介啓(川崎コロムビア)
八木啓勝
松岡洋治(製材業)
林勝彦
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坂上惇

2018-03-11 21:42:41 | 日記
1957年

大映をやめた坂上惇投手(23)=前西鉄=は西鉄三原監督の世話でこのほど兵庫の播磨造船へ就職がきまった。
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梅野慶志

2018-03-11 21:28:02 | 日記
1957年

毎日をやめた和田勇投手はすでにノンプロ、リッカーミシンへ入社が決定しているが「大毎オリオンズ」のメンバーからもれた旧毎日の第一次保留選手、梅野慶志投手(20)=日田高、左投左打=も四日リッカー入りが内定した。
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1957年 阪急 退団者

2018-03-11 21:03:34 | 日記
1957年

阪急ブレーブスの退団六選手のうち野々村、間所をのぞいた四選手の就職先がこのほど内定した。

投手
鈴木幸雄(家業の製パン業のかたわら母校和歌山工高のコーチ)
蔵文男(日本生命)
荒木隆男(福知山鉄道局)
捕手
斎藤勝秀(福知山鉄道局)
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溜池敏隆

2018-03-11 20:45:51 | 日記
1968年

産経は二十六日午後四時半、東京・有楽町の球団事務所でドラフト会議第二位指名のノンプロ日本熱学・溜池敏隆内野手(24)=1㍍78、78㌔、右投右打、立大出=と正式契約、入団を発表した。発表には福田オーナー、岩佐常務、父親文吉氏(56)、日本熱学・牛田社長が出席した。条件は契約金六百万円、年棒百二十万円(いずれも推定)。溜池は二十七日、神宮第二球場で秋季練習中のナインにあいさつ、十二月初旬から自主トレーニングに参加する。

溜池選手「プロ入りは前からの希望だった。立大時代の同期の槌田(巨人)には負けたくないし、自信もある。ショートはおもしろいポジションだし、やってみたい」
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緒方修

2018-03-11 20:30:56 | 日記
1968年

南海がドラフト会議で第二位に指名、交渉権を得た厳木(きゅうらぎ)高・緒方修投手(18)=1㍍77、69㌔、右投右打=の南海入りが、六日決定した。同日午前、石川スカウトが佐賀県唐津市山本町の緒方宅をたずね、本人、父親金五郎さん(60)母親ヨシさん(55)と三度目の交渉、契約金七百万円、年棒百二十万円(いずれも推定)でまとまったもの。正式契約は十日すぎになる。
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岡田光雄

2018-03-11 20:10:00 | 日記
1967年

東京・山田スカウトは午後・島根県大田市久手町の実家に邇摩高・岡田光雄投手(18)をたずね一回目の入団交渉をした。父親昭志さん(39)母親節子さん(42)と同校岡本部長をまじえて話し合ったが結論はでなかった。岡田はすでにノンプロ松下電器に就職が内定している。

1968年

近鉄は二十六日午後二時から大阪・森の宮の球団事務所で岡田光雄投手(19)=1㍍83、76㌔、右投右打、邇摩高ー松下電器=、半田実投手(18)=1㍍79、72㌔、右投右打、大鉄高=の入団を発表した。発表の前、両選手は同所で正式契約をすませた。岡田は契約金一千万円、年棒百八十万円、半田は契約金三百万円、年棒百二十万円(いずれも推定)。背番号は両選手とも未定。

岡田はことしの都市対抗で富士鉄広畑に補強されて、両チームの初優勝で貢献し、優秀投手に選ばれた松下電器のエース。近鉄はノンプロのエースといわれる同投手を「即戦力」(中島スカウト)として早くから注目。ドラフト会議で三位に指名すると中島スカウトが「引く抜かれては困る」という松下電器を誠意をもって説得。長い交渉のすえ獲得に成功した。岡田は上手から投げおろす速球と切れのいいドロップが武器。右打者の内角に食い込むシュートにも威力がある。四十一年春、二年生まで選抜大会に出場。一回戦で室蘭工に敗れたが、長身の本格派としてプロから注目され、四十二年は東京がドラフト会議で二位にリストアップした。しかし岡田は「自信がない」との理由でノンプロに進み、さらに腕をあげた。整った顔の岡田は一年間の社会人生活ですっかり落ち着いた態度。「やっとプロでやってみる気になった」と近鉄入りに踏み切った理由を説明。郷里島根県では中学時代までは船をこぐことが多く、これで手首を鍛えてきたところは西鉄の稲尾と同じで、儀投手の技術の向上に役立ったようだ。プロ野球については「スタンドで見た感じと実際にプレーするのは全然違うと思うのでやってみないとわからないが・・・」と前置きして「寿命の点では巨人の金田さん、近鉄では右の鈴木さんを目ざしてがんばります」とはきはきした口調で話していた。半田はカーブを少し投げるほかはストレートだけで押す豪快な本格派。
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中村益章

2018-03-11 18:29:12 | 日記
1968年

西鉄は十八日ドラフト会議で指名した以外の新人として鹿児島川内実・中村益章投手(18)=1㍍73、70㌔、左投左打=と正式契約を結び、入団を発表した。背番号は未定。中村は夏の大会、鹿児島県代表決定戦で鹿児島商業にバックのエラーで敗れ、ひのき舞台は踏めなかった。小柄なからだだが、バネをきかせて左腕からくり出すストレートの威力を高く評価したもの。

中村投手「小さいときから西鉄にはいるのが夢でした。入団が決まってこれほどうれしいことはありません。死に物狂いでみんなの期待にこたえるようにしたい」
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渡辺勉

2018-03-11 15:42:02 | 日記
1968年

阪急の丸尾スカウトは午後、仙台育英高・渡辺勉内野手(18)=1㍍74、69㌔、右投右打=を仙台市内七ヶ浜の実家にたずね、二回目の入団交渉をし入団の内諾を得た。正式契約は十二月に行なう。なお二十八日には駒大・当銀秀崇外野手(22)=1㍍77、71㌔、右投左打=と札幌市内の実家で交渉、入団をきめている。十二日に正式契約する。
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