プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

小平誠司

2018-03-12 23:32:34 | 日記
1967年

陸上自衛隊西部・小平誠司捕手(21)=1㍍78、74㌔、右投右打=の巨人入りが、二十五日きまった。内堀スカウトは熊本県飽託郡託麻村の同捕手の実家をたずね、父親豊記さん=農業、陸上自衛隊西部・森口監督、本人をまじえ入団交渉「プロでやる自信がもてない」としぶっていた小平を入団にふみきらせた。同捕手は託麻中三年のとき、県の大会で砲丸投げに12㍍90で優勝。鎮西高時代は中堅手で四番。三年から捕手に転向した。陸上自衛隊にはいってからも、西部地区大会の六種競技で優勝したことがある。ことし秋の産別大会では七番を打ち、対サッポロビール戦で大隅(巨人へ入団)から二安打している。小平は選択会議で巨人が九番目に指名した。
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新宅洋志

2018-03-12 23:18:16 | 日記
1965年

新宅捕手(駒大)獲得のため中日・柴田スカウトは二十四日、島根県浜田市片庭町の新宅家をたずね、父親・秀雄氏(48)=理髪業=と第一回の交渉を行なった。新宅がまだ帰省していないので、中日のチーム事情、新制度の説明などを行なった程度で具体的な条件提示はなかった。柴田スカウトは新宅が帰省する二十五日に再び交渉をすすめる。
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野上俊夫

2018-03-12 22:49:26 | 日記
1967年

阪神が交渉権を獲得した市和商・野上俊夫投手(18)=1㍍79、69㌔、左投左打=の入団が確実となった。十二月午後五時から河西スカウトは、大阪市北区梅田のホテル阪神一階ロビーで、野上、父親俊彦さん(43)それに市和商で二年先輩になる阪神・藤田の父親正雄さん(61)をまじえて、初めて入団について約一時間話し合い、席上、契約金一千万円、参加報酬年棒百八十万円のともに規定最高額を提示。野上側は即答をさけたが、俊彦さんはプロ入りすることに賛成しており、入団は決定的になった。河西スカウトは十四日午後、和歌山市鷹匠町の野上宅を訪れて返事を聞くことになっているが、早ければそのときに「阪神入り表明」ということになりそうだ。

選択会議の前から阪神が交渉権を握れば入団はまちがいない、といわれていたほど阪神・河西スカウトは早くから野上側と接触、プロ入りの気持ちを確認していた。いざプロ入りの段階になって「プロで通用するかどうかとても不安」という野上個人の迷いはあっても、地理的に近いこと、中学、高校を通じて先輩の藤田がいるなど好条件がそろっていることから俊彦さんが「むすこの迷っている気持ちはわかるが、できれば説きふせたい」と強くプロ入りを希望している。すでに住友金属に就職が内定しているが、野上のふんぎりがつきしだい入団表明ということになりそうだ。野上は市和商のエースとしてことしの春、夏と甲子園に連続出場、春の大会では一回戦に三重高相手にノーヒット・ノーラン試合をやり、夏には準決勝まで勝ち進んでいる。同じ左腕の阪神・江夏よりややオーバースローから投げこむ速球とカーブを武器に「高校生と思えないほどのピッチングのうまさ」(河西スカウト)も身につけており、藤本監督がさきの選択会議で「巨人をやっつけるためにもぜひ取ってほしい」として、高田ら巨人・西鉄、巨人・阪神のオープン戦が行なわれていたが、野上は第二試合の巨人・阪神戦の前、河西スカウトの案内で球場横の合宿虎風荘を訪れ、先輩藤田ら若手選手の合宿生活を見学、二時すぎから「スタンドで見るのは生まれて初めて」というプロの試合観戦など、すでにその周囲は阪神入りのムードに包まれている。

阪神・河西スカウト「具体的な条件を提示してウチへきてくれるようにお願いした。きょうの返事は十四日にもらうことになっている。同じ入団するのなら早く決めて安芸キャンプに参加するようにすすめた」

父親・俊彦さん「あとはむすこの気持ちしだいですが、わたしとしては地理的にも近いし、藤田君といういい先輩のいる阪神にはいってくれることを希望してます」
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森安敏明

2018-03-12 22:28:11 | 日記
1965年

東映は第一次選択で交渉権を得ていた岡山関西高森安敏明投手(18)=1㍍80、80㌔、右投右打=の獲得に成功、入団が決定した。十六日午後一時半、荒井スカウトが玉野市和田町の森安投手宅をたずね、父親岩男さん(54)=無職=、関西高前監督の福田氏と二度目の交渉をした結果、契約金九百万円(推定)年棒百二十万円で話し合いがついたもの。正式契約は近日中に東京の球団事務所で行なわれる。

森安投手は昨年十二月上旬の第一回交渉からプロ入りを表明していたが、森安が契約金千三百万円を要求したのに対し、東映は六百万円と、条件面で大きな開きがあり、交渉が長引いていた。このため荒井スカウトは森安側からこんごの交渉を一任された福田伴二氏=関西高前監督、青果業=と電話で連絡をとり、金額の調整をはかった。森安は父親岩男さんが病気であるなど、家庭の経済的な事情もからみ、焦点は条件一本にしぼり、福田氏は最低一千万円を保証してくれるよう強くのぞんだ。東映でもリストの第一位にランクした立場を考え、ことしにはいり三百万円をアップ、契約金九百万円、年棒百二十万円を福田氏に提示した。同氏は一応この線で了承、十六日荒井スカウトが森安家、福田氏と最終的な話し合いを行なった。話し合いはわずか三十分で終るほどスムーズに進み、父親岩男さんが新条件をのんで入団が決定した。森安は中国高校球界では平松(岡山東商)と並んで本格派投手として有名で、とくにスリークォーターから投げるシュートがいい。森安は一月二十四日から行なわれる東映の自主トレーニングに参加する。
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溜池敏隆

2018-03-12 21:59:12 | 日記
1968年

大阪で生まれ育った浪速っ子。父親の文吉さんも学生のころは野球部に籍をおいていた。野球は三度の飯より好きだったというからその愛好ぶりがわかる。溜池が幼いころから町内大会のヒーローとして野球を楽しんだのも、父親の血スジだったようである。興国高から立大へ進学。このころからスクスク成長した。1㍍78、76㌔の体格は野球選手として理想に近い。さらにうってつけの筋肉質。興国高では遊撃だったが立大では三塁にかわった。大型の内野手である。立大のとき、藤原(慶大ー全鐘紡)から2ホーマーを奪ったこともあり、藤原投手のような本格派は好きだという。日本熱学に入社してもノンプロの各大会で大活躍、今季は60試合で3割強の打率をマーク。日本熱学では毎シーズン後に打撃部門のトップに賞を贈っているが今季は打率、打点、得点など五部門を独占した。「立大のとき槌田をライバルと思ってやっていた。ボクもプロでやりたいと思っていたので槌田が巨人にはいったときはくやしくて・・。一年間は野球をする気になれなかったほどです。それだけに二年間必死で鍛えたし、サンケイにはいることができてうれしい。力をためすチャンスと思う」という溜池。サンケイの本拠地は神宮球場。溜池にとっては立大時代になじんだ思い出の球場だ。そこで巨人を相手にプレーする。夢がかなったといっていい。温厚そうななかにもひきしまった顔。ヒゲも濃く容姿はいかにも男性的。よくいうスターの要素を持った男である。アトムズにとって期待の大きい新戦力だ。
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北角富士雄

2018-03-12 21:45:19 | 日記
1966年

東邦高・北角富士雄投手(18)=1㍍72、70㌔、右投右打=の獲得にのり出した中日は、塚越スカウトが十七日午後七時から約二時間、市内緑区鳴海町字作山の同選手宅をたずね、はじめて条件の提示をした。これまで塚越スカウトは再三、北角本人と母親に会い、中日入りを打診してきたが、父親の信二氏(48)=三菱重工小牧工場勤務=が出張中だったため具体的な条件の話し合いにまで進展しなかった。この日はじめて信二氏をまじえて話し合った塚越スカウトは、契約を提示したほか、中日のチーム事情、新人採用制度などを説明して説得した。信二氏が進学をすすめている関係もあって、北角は親類の多治見工・牧野監督と相談、態度をきめることになったが、本人にプロ入りの意思が強いので、中日入りは時間の問題だ。塚越スカウトは二、三日中にもう一度交渉する予定。

塚越スカウト「きょうはじめて本格的な交渉をした。父親の信二氏は本人を進学させたいようだが、北角君はプロ入りの意思がかたいので、ウチにきてくれると思う。もう一度会って、話をすればきまるんではないだろうか」

中日は、東邦高・北角富士雄投手(18)=1㍍72、70㌔、右投右打=の獲得に成功した。

十九日午後五時半から名古屋市中区富沢町の芳蘭亭で中日・塚越スカウトが北角・父親の信二氏(48)=三菱重工小牧工場勤務=、北角の親類にあたる多治見工の牧野監督と話し合って正式に決ったもの。二十二日、市内中区南外堀町の中日球団事務所で正式発表される。北角は昨年暮れ、阪神が交渉権を放棄した選手、サイドハンドから投げ込むストレートには威力があり、コントロールもいい。三十九年の春、甲子園の選抜大会では遊撃手としてスタートするなど、打撃面にもいい素質をもっている。塚越スカウトは、北角を育てた鳴海中の中垣監督を通して、再三市内緑区鳴海町字作山の北角宅をたずね、中日入りの打診を行なっていた。十七日には本格的な第一回目の交渉が行なわれ、中日側は契約金を提示、新人採用制度などを説明し、中日入りを勧めていた。ところが父親の信二氏、東邦高では専大への進学を勧め、十八日に一応牧野氏と相談するということで態度を保留していたが、北角はあくまでもプロ入りの意思が強く、中日入りは時間の問題だった。中日の新人選手の獲得は、これですべて終った。

塚越スカウト「北角は非常にコントロールがいい。また中学、高校の一、二年まで内野手をやっていたし、どちらでも使える選手だ。高校の三年で投手に転向してから、いきなりエースになるほど野球に対するカンがいい。からだはさして大きくないが、バッティングもいいし期待できると思う」
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谷岡潔

2018-03-12 21:28:06 | 日記
1970年

大洋がドラフト3位に指名していた松山商の谷岡潔内野手(18)の入団が二十六日内定した。大洋の引地スカウトは二十六日午前、松山市ホテルみたらいで父親の熊夫氏(45)をまじえて話し合った結果、諸条件についての歩み寄りが出来、谷岡選手は入団の意向を伝えた。正式発表は近く行なわれる。谷岡選手は南宇和郡一本松中学出身。松山商では四十二年秋の大会から出場、以来ずっと三塁手として活躍した。ことし一年の公式戦の成績は52打数9安打、打点5、本塁打2、三塁打3、打率0.173をマークしている。172㌢、72㌔、右投げ右打ち。大洋は内野手不足から谷岡選手を指名、将来は現在三塁を守っている松原を一塁に回し、谷岡を三塁に定着させたい意向で、大いに期待をよせている。

谷岡選手の話 進学かプロ入りかはっきりしなかったが、決ってホットした。スカウトの引地さんからプロ野球の話を聞くうち、自分でもやってみたいという気になった。大洋には先輩の山下さんがおられるので心強い。一月十五日から川崎でトレーニングにはいることになっているが、それまでに十分走り込んでおきたい。
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溜池敏隆

2018-03-12 21:08:13 | 日記
1968年

日本熱学・溜池敏隆選手(サンケイ指名)の話

「サンケイに二位で指名されたのは感激です。会社が野球に熱心だから不服は何ひとつないのですが、仕事の片手間に野球をするのでは物足りなかったのが本音です。宅和監督(元南海)はプロでやってこいといってくださいました。社長の許しを得たうえで、はっきり返事をしたいと思います」

サンケイアトムズの小山スカウトは、十三日午後、ドラフト会議で交渉権をえた溜池敏隆内野手の勤務先、大阪北区万代町、北大阪ビル内の日本熱学をたずね、牛田野球部長、貴志野球部監督に会い、「溜池選手をリストにのせたからよろしく」とあいさつ、了解をえた。同スカウトは、十四日、溜池内野手の実家、大阪府泉南郡岬町淡輪5790-41にゆき、父親文吉氏と会い、条件などを提示、本格的な交渉にはいる予定。一方、溜池内野手は十二日夜、自宅で文吉氏とプロ野球入りについて話し合った。文吉氏は、溜池内野手が、長男であるところから東京に本拠地をおくサンケイ入りにはじめ反対したが、最後は「プロで自分の力をためしてみたい」という溜池内野手の熱意に負け、「お前の好きなようにやれ」と消極的ながら賛成したといわれる。このため、条件さえあえば、溜池内野手のサンケイ入りは実現するものとみられる。

日本熱学・溜池内野手の話 「きのう家族会議をひらいて相談した。おやじははじめ東京ということで反対したが、最後は承諾してくれた」
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宇佐美敏晴・井上武

2018-03-12 20:42:28 | 日記
1965年

巨人は二十五日午後、東京・銀座西の球団本部で西条高・宇佐美敏晴投手(18)=1㍍82、72㌔、右投右打=と呉港高・井上武捕手(18)=1㍍75、78㌔、右投右打=の入団を発表した。同選手とも背番号は未定。宇佐美は巨人が新人選択会議で交渉権を獲得した選手で、二十三日愛媛県西条市竹之麹(たけのこうじ)の自宅で正式契約。井上は強肩強打の捕手として中国地方で知られ、一月二十日上京、多摩川巨人球場でのテストに合格、東京・銀座西の読売診療所での身体検査にもパス。二十四日正式契約している。両選手とも二月一日から始まる宮崎キャンプに合流する。
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嵯峨野昇

2018-03-12 20:08:08 | 日記
1965年

東京は二十四日、東京・京橋の大映本社でノンプロ日立製作所・嵯峨野昇三塁手(23)=1㍍77、73㌔、右投右打、国学大出=と正式契約、同日午後三時、永田会長、武田代表、田丸監督らの立ち会いで入団を発表した。同選手は東都大学時代から強打を注目され、三十九年卒業と同時に日立製作所入り、四番打者として活躍。今春の選抜都市対抗野球ではアゴに打撲を負いながらも十九打数十一安打と打ちまくり、最高殊勲選手に選ばれ、プロ球団からマークされていた。第二次選択選手として交渉権を得た東京は、白川スカウトが担当、契約金一千万円(推定)を提示、獲得した。

嵯峨野選手「学生時代から田丸監督はよく知っており、また大沢コーチも恩師(国学大・大沢監督)の弟さんということで、東京はやりやすい気がする。プロの世界はなんにもわかりませんが、口でいうよりやることが先だと思います」

田丸監督「敢闘精神おう盛なところが気にいっている。別に嵯峨野君のためにポジションをあけているわけではないが、持ちまえの闘志で内野の一角にくい込んでくるものと期待している」
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野上俊夫

2018-03-12 19:38:25 | 日記
1967年

阪神は二十五日正午から大阪・梅田の阪神電鉄本社内六階会議室で市立和歌山商・野上俊夫投手(18)=1㍍77、68㌔、左投左打=の入団を発表した。岩間常務、河西スカウト、父親・俊彦さん(43)が立ち会った。同投手は発表に先立ち、球団事務所で契約書にサイン、同日午後三時三十分高知空港着の全日空機で高知入りし、安芸市営球場での秋季キャンプに参加した。背番号は未定。

先の選択会議で南海が藤原、西鉄が河原を指名したあと、阪神はちゅうちょなく野上を第一位に指名。打てない阪神は、真っ先に六大学の好打者高田(明大)を指名するはずだったが、藤本監督の「ぜひ野上をとってほしい」という強い要望があったための第一次選択だった。市和商のマウンドに立ったのが昨年の秋からで投手経験はやっと一年。まだまだ成長過程の段階というのにことし春、夏の甲子園大会に市和商が連続出場した原動力になり、春の大会では三重高相手にノーヒット・ノーランを記録するなど、阪神はその未完の大器ぶりを買った。甲子園大会でもほとんどカーブを投げずストレート一本。「右打者にはヒザ元、左打者には外角低めいっぱいに決める球が武器」という本格派の左腕投手。五月の対田辺工戦で転倒、左鎖骨にヒビがはいったことから、一時黒い霧が流れた。夏の大会では全力投球しなかったことが「肩をかばってヒジまでおかしくしたのでは・・・」とカンぐられたものだが、もうその心配はないようだ。ことし12勝をあげ、巨人はとくに強かった江夏とともに若い左コンビの誕生は来季の阪神にひとつ大きな楽しみができた。
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長持健一

2018-03-12 00:19:03 | 日記
1968年

東映の瓜生スカウトは、午前十一時から東京・京橋の喫茶店に先の新人テストで採用が内定していた小西電機長持健一投手(21)=1㍍77、74㌔、右投右打=を呼び、入団を正式にきめたことを伝えた。同投手は元東映外野手長持栄吉選手(現大宮市体育主事)のオイにあたり、荒けずりではあるが、将来が期待される本格派。正式契約と発表は来週中にも行なわれる予定。
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吉田誠

2018-03-12 00:03:38 | 日記
1967年

東映・塚本スカウトは、午後一時から一時半、大宮高・吉田誠外野手を埼玉県与野市下落合の自宅にたずね、両親をまじえて六度目の話し合いをした。同選手はすでに東映入りの内諾をしているが、この日も条件面であと一歩折り合わず契約までにもう一度話し合うことになった。
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