プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

水谷孝

2018-03-19 23:26:01 | 日記
1966年

阪急ブレーブスが第一位ランクで交渉権をえた三重高・水谷孝投手(18)=1㍍78、74㌔、右投げ右打ち=のプロ入りか進学かが注目されていたが、一日、父親、信吾さん(55)=名古屋市南区呼続町=は長女、幸子さん(28)の主人、尾崎和夫さん(30)=日本滲鉛勤務=をまじえ家族と話し合った結果、プロ入りを決定した。信吾さんはさる二十九日、三重高・榊原監督とともに、名古屋市中区八百屋町の旅館「金竜」で、丸尾スカウトと話し合ったときは榊原監督を送り出したあと、条件の打ち合わせをする約束だったが「家族と再検討してみる」という理由で急きょ話し合いを避け、交渉は中断の形となっていた。近く阪急と最終的に話し合い契約するものとみられる。

父親信吾さんの話「もうそろそろ孝のためにも、はっきり進路をきめてやらねばならない段階なので、幸子のムコとも相談し、本人の意思を絶対的に尊重することにしました。孝はこれまでにも、はっきりプロで思う存分やってみたいといっていますから阪急にお世話になることになると思います」
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氏家雅之

2018-03-19 23:01:06 | 日記
1970年

中日の山崎スカウトは七日午後、ドラフト第一位指名の氏家雅之投手(17)=大府高、1㍍79、70㌔、右投げ、右打ち=の自宅=愛知県大府市=を訪ねて話し合った結果、入団の内諾を得た。正式契約は十一日、名古屋の球団事務所で行なわれる。
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田中章

2018-03-19 21:43:42 | 日記
1968年

巨人・武宮、沢田両スカウトは十四日午後五時半、東京・銀座西の久保田に、第二位で交渉権を獲得した日通浦和・田中章投手(24)を招き、一回目の交渉を行なった。武宮スカウトは最高額に近い条件を提示、チームの事情などもくわしく説明して熱心に入団をすすめた。田中は、この日昼すぎ、東京・秋葉原の日通本社に稲葉監督をたずね、プロ入りについて意見を求め、同監督から「本人の自由意志で、会社としては別にとめる気持ちはない」と了解をとっていた。約二時間の話し合いのあと、田中は「一昨年、近鉄から指名されたときは、とてもやる自信がなかった。だが、ことしはひとつのチャンスだと思っている。武宮さんが、ボクの力を考えていた以上に買っていてくれるのでびっくりした。それだけに不安がでたといえますが・・・」とホオを紅潮させていっていた。田中は、話し合いの内容を、十五日、稲葉監督に報告して、あらためて相談する。また、武宮スカウトは十六日、田中とともに千葉県木更津の田中の実家を訪問、父親・七平さん(56)=会社役員=、母親・ふじ子さん(52)をまじえ、二回目の交渉をする。
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詫摩和文

2018-03-19 21:04:25 | 日記
1968年

サンケイアトムズがことしのドラフト会議で三番目に指名、交渉権を獲得した鹿児島県照国高の詫摩和文外野手(18)は、二十一日午前十時三十分、鹿児島市仲町の旅館「白水館」で宇高勲オーナーと三度目の話し合いを行なったあと、サンケイ入りの意思を表明した。サンケイがことしのドラフト会議で交渉権を獲得した選手で入団の意思を表示したのは日本熱学の溜池選手についで二人目である。正式契約は十一月二十八日に詫摩選手が父親の義行さん、照国高野球部の田中和徳監督とともに上京、二十九日に東京・有楽町の球団事務所で行なわれる。交渉三日目の二十一日、詫摩選手は午前十時三十分、田中監督とともに宇高オーナー顧問をたずねて最終的な契約条件の話し合いを約一時間三十分行ない、そのあと鹿児島県大口市山野の自宅に帰っている父親の義行さんと電報で連絡をとり、午後一時二十分、電話で正式に入団の意思を表明した。詫摩選手のサンケイ入りはドラフト会議でサンケイが交渉権を獲得したときから決まっていたようなもの。会議の前日に詫摩選手が野球部に退部届けを提出しており、サンケイが交渉権を得たときはプロ入りに踏み切る気持ちをかためていた。十九日に鹿児島入りした宇高オーナー顧問は同日よる、さっそく契約条件を提示、詫摩選手側は義行さん、田中監督らとこの条件を検討した。十九日も宇高オーナー顧問と話し合ったあと、深夜、義行さんと田中監督がさらに提示された条件を検討。二十日に義行さんがいったん大口市山野の自宅に帰ったあとは田中監督が全権を委任されて、同日午後三時から約三時間にわたって宇高オーナー顧問と契約条件の話し合いを行なった。そのあと市内薬師町の照国高・吉永理事長宅で詫摩選手と話し合い、同選手はサンケイ入りの意思をほぼかためた。

顔つきは南海の野村を若くしたようだ。額に四本じわのあるところなどそっくりである。強打者という点でも似ている。昨年秋の鹿児島県大会では、4打席3ホーマーしている。ことしの春の九州地区大会では、130㍍はゆうに飛んだと思われる大ホーマーをたたき出している。照国高時代の通算打率が5割5分台。驚異的な記録の数々をつくりだしている。詫摩が生まれたのは鹿児島県大口市山野、熊本県との県境になる山のなかだ。山野中学校時代は剛球投手として鳴らした。田中監督のたっての希望で照国高にはいった。野手に転向して、一年生ながらすぐに四番の重責を果たす。照国高野球部は、全員が寮で共同生活をしている。鹿児島市から実家までは二時間以上もかかるが、ときおり家に帰りたくなって詫摩が山野の実家にもどる。すると父親の義行さんは叱った。「志を立てて故郷を出たら、一人前になるまでもどってくるな」明治の人らしいきびしさで詫摩をしった激励したという。ことしの夏の高校野球予選で、詫摩はふるわなかった。偵察にやってきたプロ野球のスカウトの一人が江島(平安高ー中日)より下という評価をしていった。そのことを耳にした詫摩は、目をむいてこういった。「絶対に負けられません。同じように高校からプロにはいった一年先輩、目標にして追いつき、追い抜きをますヨ」身長1㍍78、体重70㌔、右投げ右打ち。
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阿部良男

2018-03-19 20:42:21 | 日記
1968年

渡辺スカウトは午後、ドラフト第四位指名の全常盤・阿部良男外野手の実家(宮城県石巻市塩富一丁目)に、父親五郎氏(66)母親ふくよさん(58)をたずね、入団交渉のあいさつ。両親とも「本人さえプロ入りの意向をもっているなら反対する理由はない」と西鉄入りに賛成した。すでに五日、同スカウトは、福岡県いわき市で全常盤の坂本野球部長、出沢総監督と会い「本人の了解さえとれれば・・・」といわれているので、いったん帰京後、九日に再度、いわき市を訪れ条件を提示する。
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松島英雄

2018-03-19 20:32:45 | 日記
1970年

昨年秋の長崎国体高校硬式野球で優勝した静岡商チームのエース松島英雄投手(右投げ、右打ち、身長177㌢、体重70㌔、十七歳)はプロ野球セントラル・リーグの大洋ホエールズに入団することになった。同球団の宮崎スカウト部長と湊谷スカウトは二十九日午後六時から静岡市紺屋町の旅館「にっぽん橋」に同投手と母親きぬさん(53)を招いて話し合ったが、条件面で合意に達したため、進学の予想をくつがえして急転直下のプロ入りとなった。宮崎スカウト部長らは「将来性を十分買っている。平松投手に次ぐエースになんとか育て上げたい」と、難産の末の獲得にホッとした表情だった。これで一昨年の新浦投手(巨人)に続いて静商のエースが二年続けてプロ入りすることになった。同球団では昨年のドラフト会議で選択順位四位に指名、宮崎部長を陣頭指揮に熱心に交渉を続けていた。宮崎部長、母親のきぬさんが見守る中で、緊張した表情で契約のサインを終えた同投手は「昨年暮れまではプロに入るとは夢にも考えていなかった。だがことしになって自分の力をためすならプロだという気持ちになった。ホエールズの試合はテレビで見ただけでなんにも知らないが、平松さんを目標に一日も早く一軍に入れるようがん張りたい」と決意を語っていた。一方きぬさんは「進学するとばかり思っていたのでプロのことは考えてもみなかった。でも本人がやる気になったのだから好きな道に進むのが一番いいと思って宮崎さんにすべてをお任せした。体を大事にして努力し立派な選手になってほしいと祈る気持ちです」と喜びと心配が半ばする複雑な表情だった。同投手は静岡市立高松中当時から投手として活躍。静商に入ってからは野手に転向し、一昨年の夏の甲子園大会には二年生で三塁手五番打者として出場。初のヒノキ舞台にもかかわらず堅実なフィールディングとシャープな打法で大活躍し、4割2分8厘の高打率をマークして左腕のエース新浦投手とともに同校準優勝の原動力となった。その年新浦投手が中退して巨人入りしたため昨年急きょマウンドに返り咲いた。長身から投げ降ろす快速球と絶妙の制球力、さらに高校生とは思えない配球のうまさで驚異的な成長をみせ、再び夏の甲子園大会に進出、準々決勝で松山商に1-4で敗れたが、秋の国体では堂々松山商に雪辱、さらに玉島商に完封勝ちし、その力量はプロ球界の注視の的となった。宮崎スカウト部長と湊谷スカウトは「学校との話し合いいかんだが、二月一日から松島君のホームグラウンド静岡球場で始まるスプリングキャンプにはぜひ参加してもらうつもりだ。短期間で高校球界のエースにのし上がった素質は抜群であり、鍛えがいがある」と大きな期待を寄せていた。年棒は推定百二十万円。

根本行信静岡商校長の話 本人も家庭も一時は大学(明大)に行きたいとドラフト(新人選択会議)指名をけって一生懸命勉強していた。しかし家庭の事情から将来を考えた結果、プロに入ることが最もいいと判断したのだから松島君の前途を喜んで見守ってやりたい。ホエールズ側としても松島君の素質を高く評価してくれていると思うので、その期待に応えるようがん張って新浦君に負けない投手になってもらいたい。
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河原明

2018-03-19 20:04:05 | 日記
1967年

プロ野球新人選択会議で河原投手(大分商高)に交渉権を得た西鉄ライオンズは十一日、同球団の城島スカウトが大分県北海部郡佐賀ノ関町の実家をたずね「よろしくお願いします」と西鉄ライオンズ入りの交渉を始めた。同選手は、プロ入りの決意を固めているものの「東京在住の長兄とも相談し、近親者すべての快諾を得て入団したい」という気持ちから早急に親族会議を開き、正式プロ入りを表明する予定。したがって現段階では近親者から強い反対がないかぎり本人の意思どおり西鉄入りは間違いないとみられている。同投手は高校球界きっての本格派投手で埼玉国体で大分商高準優勝の原動力となり、プロ野球各球団から目をつけられていた。
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平山英雄

2018-03-19 19:50:03 | 日記
1966年

阪神タイガースは四日甲子園球場で新人選択会議で交渉権を獲得していた平山英雄投手(18)=釧路江南、1㍍77、71㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。平山投手はオーバー・スローの本格派投手。今夏の甲子園大会一回戦で小倉に3-1で敗れたが、平山投手のピッチングはスカウトの注目を集めていた。

阪神は八日午後三時から大阪市北区梅田町の阪神電鉄本社で第一次新人選択会議で交渉権を獲得、入団が内定していた釧路江南高の平山英雄投手(17)の入団発表を行なった。平山は身長1㍍77、71㌔、右投げ右打ちでドロップを武器とする本格派。ことしの北海道大会で3試合に35三振をマーク、夏の甲子園大会でも小倉高から11三振を奪った好投手。なお同投手は十日からの安芸キャンプに江夏、奥田らとともに参加する。また阪神はテスト生であり、さきの第一次新人選択会議で交渉権をとっていた浪商の大原和男捕手(19)=1㍍79、80㌔、右投げ、左打ち=と近日中に契約を結ぶ。
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樋沢良信

2018-03-19 19:39:26 | 日記
1970年

巨人がドラフト四位で交渉権を獲得した電電東北・樋沢良信内野手(19)=1㍍78、70㌔、右投げ右打ち=の入団交渉を進めている青木スカウトは、十九日午後、岩手県久慈市の樋沢の実家を訪ね、父親秋雄さん、母親としさんと話し合った。その結果、両親のプロ入りの承諾を得た。青木スカウトは、すでに仙台市にいる樋沢に契約金六百万円、年棒百二十万円(ともに推定)の条件を提示、本人もプロ入りを希望しているので、これで内定したことになる。二十一日に仮契約を行ない、入団発表は、目下、内堀スカウトが交渉中の仙台鉄道局・高橋英二内野手の入団が決まりしだい、行なうことになっている。
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小松健二

2018-03-19 19:34:15 | 日記
1970年

阪急の丸尾編成部長と藤井チーフスカウトは二十二日午後一時、ドラフト一位指名の小松健二外野手(大昭和製紙)の自宅=高知市泰泉町61=をおとずれ、本人と両親をまじえて約一時間半にわたって入団交渉を行なった。その結果、小松選手はプロ入りの意思があることをほのめかし両親も「本人の意思にまかせる」と話し合いは順調に進んだ。しかし、小松選手が「最終的には、斎藤野球部長と相談したうえ決めたい」と希望をのべたので、結論はもちこされた。なおつぎの交渉は、二十四日、小松選手が大昭和製紙に帰ったあと行なわれる。
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白石静生

2018-03-19 19:17:13 | 日記
1965年

新人選択会議で入団交渉権を得た四国鉄道の左腕投手、白石静生投手(22)と交渉をすすめるため、二十四日野崎スカウトが徳島入り。二十五日あさ徳島県板野郡吉野町の白石家をたずね、具体的な条件を提示する。白石投手は鳴門高出身。ことしの都市対抗野球で四国電力の補強選手として出場、準決勝進出の立て役者となり、コントロールのよい速球とシュートをもつ投手で、各球団がマークしていた。広島は四国担当の野崎スカウトが昨年春から目をつけていた。白石も広島入りに異論がないだけに、条件さえ折り合えば入団するものとみられている。

広島カープは十四日午後二時から広島・基町の球団事務所で長谷川監督、久森事務局長、野崎スカウトが立ち会い、四国鉄道のエース白石静生投手(しらいし・しずお)、二十一歳、鳴門高出、1㍍77、71㌔、左投げ左打ち=の入団を発表した。同投手は広島投手陣の穴といわれる左腕、しかもオーバーハンドからの速球が武器の本格派、とくに外角へのコントロールのよさはプロでもじゅうぶん通用するものといわれている。ことし五月、名古屋で行なわれた鉄道大会では福知山鉄道を相手にノーヒット・ノーランを記録、19三振を奪い、ことしの都市対抗でも電電東京戦で7イニング投げ無安打、13三振と本格派らしい実績を残している。広島には大羽、森川の両左腕投手がいるが、タイプが違うだけに、その活躍が期待されている。なお、白石は広島にとり、三人目の新入団選手である。

白石投手の話 「広島についての知識はほとんどないが、先輩の話をきいて一生懸命やりたい。スタミナにちょっと心配があるのでランニングをたっぷりやって下半身をきたえたい」
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斎藤輝美

2018-03-19 08:04:40 | 日記
1971年

午後三時半から、福岡市天神の球団事務所でドラフト8位指名の斎藤輝美内野手(17)=横浜高、175㌢、70㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。同選手は高校時代、一年の秋からレギュラーとなり、通算打率3割5分、本塁打20本の好成績をあげた。
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