1966年
阪急ブレーブスが第一位ランクで交渉権をえた三重高・水谷孝投手(18)=1㍍78、74㌔、右投げ右打ち=のプロ入りか進学かが注目されていたが、一日、父親、信吾さん(55)=名古屋市南区呼続町=は長女、幸子さん(28)の主人、尾崎和夫さん(30)=日本滲鉛勤務=をまじえ家族と話し合った結果、プロ入りを決定した。信吾さんはさる二十九日、三重高・榊原監督とともに、名古屋市中区八百屋町の旅館「金竜」で、丸尾スカウトと話し合ったときは榊原監督を送り出したあと、条件の打ち合わせをする約束だったが「家族と再検討してみる」という理由で急きょ話し合いを避け、交渉は中断の形となっていた。近く阪急と最終的に話し合い契約するものとみられる。
父親信吾さんの話「もうそろそろ孝のためにも、はっきり進路をきめてやらねばならない段階なので、幸子のムコとも相談し、本人の意思を絶対的に尊重することにしました。孝はこれまでにも、はっきりプロで思う存分やってみたいといっていますから阪急にお世話になることになると思います」
阪急ブレーブスが第一位ランクで交渉権をえた三重高・水谷孝投手(18)=1㍍78、74㌔、右投げ右打ち=のプロ入りか進学かが注目されていたが、一日、父親、信吾さん(55)=名古屋市南区呼続町=は長女、幸子さん(28)の主人、尾崎和夫さん(30)=日本滲鉛勤務=をまじえ家族と話し合った結果、プロ入りを決定した。信吾さんはさる二十九日、三重高・榊原監督とともに、名古屋市中区八百屋町の旅館「金竜」で、丸尾スカウトと話し合ったときは榊原監督を送り出したあと、条件の打ち合わせをする約束だったが「家族と再検討してみる」という理由で急きょ話し合いを避け、交渉は中断の形となっていた。近く阪急と最終的に話し合い契約するものとみられる。
父親信吾さんの話「もうそろそろ孝のためにも、はっきり進路をきめてやらねばならない段階なので、幸子のムコとも相談し、本人の意思を絶対的に尊重することにしました。孝はこれまでにも、はっきりプロで思う存分やってみたいといっていますから阪急にお世話になることになると思います」