1971年
南海・山下スカウトは二十六日午後六時半、ドラフト会議第六位指名の育英高・山本雅夫外野手(18)=1㍍78、75㌔、右投右打=を神戸市灘区高徳町の実家へたずね、父親・賢一氏(58)=塩干乾物商=、母親・清子さん(45)と二時間にわたり入団交渉を行なった。同スカウトは指名したいきさつ、チームの事情などを説明したあと契約金六百万円、年棒百二十万円(いずれも推定)を提示。賢一氏は「本人の意思を尊重してもう一度相談してみます」と即答をさけたが、次回の話し合い(二十九日)でまとまりそうだ。
南海・山下スカウトは二十六日午後六時半、ドラフト会議第六位指名の育英高・山本雅夫外野手(18)=1㍍78、75㌔、右投右打=を神戸市灘区高徳町の実家へたずね、父親・賢一氏(58)=塩干乾物商=、母親・清子さん(45)と二時間にわたり入団交渉を行なった。同スカウトは指名したいきさつ、チームの事情などを説明したあと契約金六百万円、年棒百二十万円(いずれも推定)を提示。賢一氏は「本人の意思を尊重してもう一度相談してみます」と即答をさけたが、次回の話し合い(二十九日)でまとまりそうだ。