プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

山本雅夫

2018-03-25 22:30:31 | 日記
1971年

南海・山下スカウトは二十六日午後六時半、ドラフト会議第六位指名の育英高・山本雅夫外野手(18)=1㍍78、75㌔、右投右打=を神戸市灘区高徳町の実家へたずね、父親・賢一氏(58)=塩干乾物商=、母親・清子さん(45)と二時間にわたり入団交渉を行なった。同スカウトは指名したいきさつ、チームの事情などを説明したあと契約金六百万円、年棒百二十万円(いずれも推定)を提示。賢一氏は「本人の意思を尊重してもう一度相談してみます」と即答をさけたが、次回の話し合い(二十九日)でまとまりそうだ。
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道原博幸・山形和幸

2018-03-25 22:24:34 | 日記
1971年

広島が一位で指名、すでに広島入りを内諾している芝工大・道原博幸捕手(21)=1㍍78、75㌔、右投右打=は二十八日正式契約する予定だったが都合で後日に延期された。木下スカウトは二十八日午後、柳井市伊保庄の実家に父親信一郎氏をたずね正式契約のための細部の話し合いを行なったが、相談役である桜ケ丘高・国行監督が急用で同席できなかったため延期された。二十五日の話し合いで規定の最高額(契約金一千万円、年棒百八十万円)の条件を提示、内諾をえている。木下スカウトはこのあと六位指名の桜ケ丘高・山形和幸捕手(18)=1㍍75、72㌔、右投右打=を下松市汐見町の自宅にたずね、父親・百合雄氏(50)=日本石油勤務=と二度目の交渉を行なった。この日、条件(契約金五百万円、年棒百二十万円=推定)を提示したが、山形側は即答を避けた。この条件をもとに、もう一度家族会議を開き、意思表示をするが入団は間違いない。
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野崎恒男

2018-03-25 21:57:31 | 日記
1971年

南海がドラフト会議で第一位に指名した富士重工・野崎恒男投手(24)=1㍍76、75㌔、右投右打、立正大出=の南海入りが二十二日決まった。同日午後五時半から和歌山市和歌ノ浦のホテル万波で近藤常務、堀井スカウトと実兄・吉三氏(33)が話し合い、契約金1千万円、年棒百八十万円の規定最高の条件でまとまった。契約、入団発表は年内に行なわれる。本人不在の交渉だったが延々四時間もかかり、やっと了解を得るまでにこぎつけた。担当した堀井スカウトは「肩の荷がおりました」とホッとした表情だった。ドラフト会議で第一位に指名された野崎は早くから「プロで自分をためしてみたい」と南海入りを表明、交渉はスムーズに運ぶものと思われていた。ところが富士重工側が昨年東映に皆川を指名され、強引に獲得されたいいきさつから感情的になっており、また「戦力的に手放せない」と強く反対、交渉は難航した。そのため野崎獲得はまず富士重工側との交渉が優先され、堀井スカウトは群馬県太田市の富士重工に再三足を運び、十四日の四度目の交渉でやっと会社の承諾を得た。野崎は二十日に富士重工を円満退社している。野崎家との交渉に移った南海は十七日に実兄、吉三氏らと話し合い最高条件を提示、基本的は了解点に達していた。この日は税金面の説明など細部的な話し合いに終始したが、野崎側はすべてこの面で納得した。入団発表は、上京中の野崎が二十四日ごろ和歌山市福町の実家に帰るのでそのあとになる。野崎はシュート、カーブを武器にする技巧派投手で、安定したピッチングが高く評価されている。「昨年東映に入団した皆川より力がある」(堀井スカウト)そうで、投手力の弱い南海では即戦力として大いに期待している。

近藤常務「野崎君との話し合いは会社の関係などから約一か月もかかったが、きょう内諾を得ました。本人が二十四日ごろに帰るので、年内に入団発表したい。一位の選手に決まりホッとしました」
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奥田和男

2018-03-25 21:34:10 | 日記
1971年

中日・山崎スカウトは午後三時、三重県一志郡一志町にドラフト二位に指名した電電東海・奥田和男投手の実家をたずね、母親・照子さんに入団交渉を行なうあいさつをした。
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渡辺守

2018-03-25 21:12:33 | 日記
1971年

阪急は二十日午後三時から大阪・北区高垣町の球団事務所で、ドラフト会議で第六位に指名した千葉鉄道局・渡辺守投手(22)=1㍍76、76㌔、右投右打、千葉・大原高出=の入団を発表した。これに先立って契約金五百万円、年棒百二十万円(推定)で契約書にサインした。背番号は未定。同投手は、三塁手として千葉鉄道局に入社したが、ことしから投手に転向、昨年は都市対抗千葉予選で敢闘賞を受けるなど、ストレート中心の右の本格派。なお発表には父親・清さん(61)と板倉千葉鉄道野球部長(36)が同席した。

渡辺投手「前からプロでやってみたいと思っていた。阪急の試合はテレビで見た程度だが、一日も早く一軍に出られるようになりたい」
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竹内和憲

2018-03-25 20:45:35 | 日記
1978年

昭34.5.3 大阪市平野区 右投右打 187㌢、74㌔
東住吉工高ー南海(53年) 合宿 180万

ドラフト6位指名。契約金400万円で入団。大阪の高校球界では将来性を注目されていた。なるほどストレート主体の球威は素晴らしいが、いかんせん球質が軽いのが欠点。
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植村秀明

2018-03-25 20:38:50 | 日記
1967年

広島は四日午後一時半、市内基町の球団事務所会議室でドラフト会議で二位に指名した奈良郡山高・植村秀明投手(18)=1㍍88、85㌔、右投右打=の入団を発表した。登島球団監査役(東洋工業専務)根本コーチ、木庭スカウト、植村投手の両親が立ち会った。背番号は未定。

木庭スカウトが交渉に当たっていたが、三度目の話し合いで入団が決まった。広島が二番目に指名したのは体力に恵まれていることだ。1㍍88、85㌔はずば抜けている。広島の中では藤井(1㍍83、83㌔)をはるかにしのぐもので、プロ球界でも最高に属する。木庭スカウトは「これまで金田は例外として、こんなにからだの大きい人で大成した選手は少ない。だが彼ならきっとそのカラを破ってくれる」と期待している。同投手は高校一年の秋からエースとして活躍。上手から投げおろす速球、シュートは高校生ばなれしている。先に東京に入団が決定した福山電波の村田と同じようなタイプだ。力でぐいぐいと押していく。四十一年夏の甲子園大会に出場、二回戦で惜敗したが、そのころからスカウトの評判にあがっていた。昨年春の公式戦、高田商には七回コールドではあったが、完全試合をやっている。ことしの成績は二十五試合に出場して23勝2敗、奪三振一試合平均12、最高は15、防御率1.00。また母親の秀子さんは女学校時代(粉河高女)近畿大会の三段とび、幅とびに優勝している。

植村投手「プロ野球はほとんどみていないのでわからないが、一日もはやく戦力になるようがんばる。小細工しないで真っ向から勝負できる本格派の投手になりたい。目標にするのは巨人の金田さん」
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石井高雄

2018-03-25 20:18:22 | 日記
1970年

広島の藤井スカウトは三十日、ドラフト三位に指名した柳川商・石井高雄外野手(18)=1㍍73、71㌔、右投左打=の自宅(福岡県浮羽郡吉井町)をたずね、母親トキエさん(53)=飲食店経営=と二度目の交渉をした結果、入団が内定した。契約金は五百万円、年棒九十万円(推定)正式発表は九日、広島の球団事務所で行なわれる。
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市場博己

2018-03-25 20:14:10 | 日記
1970年

ヤクルトが十四位で指名した平安高・市場博己捕手(18)=1㍍82、79㌔、右投右打=の入団が、二十六日決定した。佐竹スカウトが二十四日、平安高・風間部長、藤森監督、父親・馨氏(47)母親・初子さん(42)と本人に会い、条件(契約金二百万円、年棒八十万円=推定)を提示。この日、京都市南区河原町の自宅で両親と本人をまじえた二度目の交渉で仮契約したもの。入団発表は十二月上旬の予定。これでヤクルトの入団決定は五人目。
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西山敏明

2018-03-25 19:46:09 | 日記
1967年

広島は六日午後、市内基町の球団事務所で、先に行なわれた秋季練習にテスト生として参加していた津山商出の西山敏明捕手(20)=1㍍76、75㌔、右投右打=の採用を決め、契約した。同選手は一昨年、巨人がリストアップしていた。正式発表は十二日、入団の内定した電電近畿・井上弘明外野手(ドラフト一位)勝山商・山根政明投手(九位)と同時に行なわれる。
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皆川康夫・大沢勉

2018-03-25 19:06:14 | 日記
1970年

東映は十八日午後四時から東京・千代田区霞ヶ関の東映不動産社長室で、ドラフト五位指名の富士重工・皆川康夫投手(23)=1㍍77、73㌔、右投右打、中大出=とドラフト七位指名の日鉱日立・大沢勉捕手(22)=1㍍76、75㌔、右投右打、能代高出=の入団発表を行なった。発表には大川オーナー代理、田沢代表、田宮監督、それに皆川投手の父親で元東急の遊撃手だった定之さんらが立ち会った。両選手は昨年の都市対抗野球大会で、ともに日立製作所に補強されて後楽園に出場、一イニングだけだがバッテリーを組んだこともあり、気心はよく知り合った間柄だ。「まさか同じプロ野球のチームでやるようになるとは思わなかったな」と冗談などを飛ばし合うほど。皆川は中大時代の一年先輩の高橋善、一年後輩の杉田が同じ東映にいるだけに「この二人には絶対負けられない」と闘志満々。大沢も高校時代にバッテリーを組んでいたという阪急の山田をライバルとして「第一線で競争したい」と負けずぎらいの性格をまる出しにしていた。

田宮監督「二人は一度も見ていないが、スカウトの報告では皆川君はノンプロで昨年11勝もした実績の持ち主。シュート、スライダーを武器とするリリーフ投手ということだが、これからは先発でもいける投手にしたい。大沢君は非常にパワーのある捕手だということなので、捕手陣が手薄なウチとしては即戦力として期待している」
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井上圭一

2018-03-25 17:38:11 | 日記
1971年

ロッテの田丸スカウトは正午、第一位指名の三菱自動車川崎・井上圭一投手を静岡県吉原市三日町の自宅を初めてたずね、交渉を行なった。この日は母親ハルヨさん(56)をまじえて約一時間半、チームの内情、指名の説明などをしただけで、本格的な交渉は改めて行なわれることになった。
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保坂英二

2018-03-25 17:32:08 | 日記
1971年

東映・田宮監督と吉田、神谷両スカウトは二位指名の日大一・保坂投手の自宅(葛飾区東新小岩七の三の三)をたずね、父親・国夫さん(50)に入団交渉のあいさつをした。保坂は二十日に日大一高・高橋野球部長と相談のうえ返事をすることになった。
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佐野勝稔

2018-03-25 17:20:31 | 日記
1970年

近鉄・中島スカウトは午後三時すぎ、浜松市の河合楽器・稲垣常務、久米監督をたずね、五位指名の佐野二塁手の獲得について二度目の交渉。会社側が好意的で、話はスムーズに進んだため、中島スカウトは八日、藤沢市の実家に両親をたずね、了解をとったあと九日、再び河合楽器で最終交渉。「十一日になんとか市橋らと同時に入団発表できるようにしたい」といっていた。
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萩原千秋

2018-03-25 17:14:12 | 日記
1971年

東映・萩原千秋外野手(33)は今シーズン限りで引退することになった。同選手に二十日午前十一時、東京・中央区京橋の球団事務所に田沢代表をたずね退団届けを提出、受理されたもの。萩原は東映本社からの出向社員になっているので、引退後は東映本社に入社する。

萩原選手「これまで十一年間、東映一本で生きてきた。野球には大変未練はあるが、この際きっぱりとふんぎりをつけ、新しい仕事で再出発したい」
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