プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

豊原経久

2022-01-06 15:13:47 | 日記
1977年


控えは豊原、島田の両本格派右腕。ともに185㌢前後の上背がある。豊原は県下有数の球速を誇るが、球質が軽いだけにコースを誤ると危ない。

九日、球団事務所でドラフト6位指名の日大藤沢高・豊原経久投手(18)=186㌢、75㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。契約金は七百万円。参稼報酬は百五十万円(いずれも推定)

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佐藤和史

2022-01-06 15:13:47 | 日記
1979年


佐藤は右の本格派。180㌢の長身を生かし投げ込む速球はプロのスカウトもマークする一級品。ただピッチングが単調になる欠点が心配。

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内海達雄

2022-01-06 14:54:51 | 日記
1960年


シーズンはじめ主将は内海だったが、余分な負担をかけないため杉之内に主将を代えるなど、監督、コーチは内海の成長に細心の注意を払っている。この内海も春の大会では球にノビが加わりいままでにない球威をみせたが、その後ヒジを痛めてスピードが乗らなくなった。しかし三年の投手経験からくる配球はやはりうまい。スピードが乗らないためドロップも鋭さがないが、外角いっぱいによくコントロールされている。今大会には左腕投手も多いが優秀投手の一人といえるだろう。


内海投手は立ち上がりからストレートが高めに浮き、デキのいい方ではなかったが、後半ドロップを決めて2安打に押え、三振11を奪った。


新工は内海のカーブをねらい打ちした。


松商いの内海はドロップをカウントかせぎに使い右打者の内角ヒザもと、外角へのシュートのコンビネーションよく15三振を奪った。


投手陣も内海が好調だ。ドロップを多投して後半打たれるケースが多かったが、このところドロップをカウントかせぎに使い、シュートをよく生かしている。五試合に登板38回、与安打18、奪三振45、四球4、自責点5、防御率1.31と安定している。三年目になって後半に備えるだけの余裕も持ってきた。

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伊藤史生

2022-01-06 14:29:53 | 日記
1983年
しかし、峡南のエース伊藤は敗れたとはいえ、前評判通りのピッチングを見せた。立ち上がりから低めにボールを集め、7奪三振。序盤はストレート主体の投球。中盤以降はストレートを狙われているのを考慮し、カーブから入る頭脳的な組み立てを見せた。


大黒柱のエース伊藤が一段と力をつけ、今大会も優勝候補の一角にいる。春、夏連続の甲子園出場へ地元の期待も大きい。連日二百球の投げ込みをしてきた伊藤はスタミナも心配ない。140㌔近い速球と切れのいいカーブは、他校にとって大きな脅威。制球も良く、この伊藤から点を取ることは容易ではない。

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花房健

2022-01-06 14:19:43 | 日記
1975年
部員が十五人、そのうち一年生が八人で「チーム作りが遅れた」(藤田監督)だが、このところエース花房が成長し、勝ち数がふえている。花房は身長186㌢からの速球、カーブが武器。試合度胸もあって、姫路東を1点に抑え、加古川東を完封した。


1980年


平均身長1・70メートルあるかなしかの福岡大野球部にあって、跳び抜けてデッカイ。なにしろ187㌢の長身なのだから。真っ向から投げ下ろす本格派。平均時速は135㌔から140㌔。ボールはズッシリと重い。第二の門田を探しにやってきたプロスカウトの目に、花房健の右腕が焼きつけられた。はっきりいって制球力は今一つ。それゆえリーグ戦では通算12勝7敗の平凡な記録しか残していない。いわば荒削りなところが魅力なのだ。兵庫県、高砂高の出身。小山(阪神ーロッテー現評論家)や神部(近鉄ー現ヤクルト)らのプロ選手を輩出しているものの、強いチームではない。むしろ弱いという伝統を飄々と受け継いでいる。花房が入ったときは、部員たった15名。中学入学当時は160㌢しかなかった身長が高校入学時には182㌢。監督の目に止まるのは当然だ。「お前、投手になれ」それ以来ずっと投手。そして四番。ワンマンチームのお山の大将を3年間通したが、夏の予選での成績は3回戦進出が最高。そして福岡大に入学。だがやはり、地方リーグの寂しさはぬぐい切れるものではない。だから花房はいうのだ。「人気のある選手と対決したい。特に東海大の原クンとは絶対に手合わせをしたいんです。華やかな高校時代、大学時代を過ごした男とやるのがボクの目標なんです」実は昨春、その大きなチャンスがあった。東海大は毎年、沖縄でキャンプを張る。そして打ち上げ後、オープン戦をやりながら東上する。そこで福岡大に立ち寄ったのだ。花房はこのとき先発している。しかし、右足をネンザしていた原は途中、代打で登場しただけ。4回、倉八の本塁打で降板させられた花房は原とスレ違いだった。「あの悔しい思いを絶対に原クンへぶつけてやるんだ」相当な闘志だ。ところが、今春のリーグ戦では八幡大に優勝を譲り、全日本選手権での対決も実現しなかった。「秋はいよいよラストチャンスですからね。もっと夏場に走り込んでスタミナをつけて是非とも・・・」4年生。この秋までには進路を決めなければならない。「やれるならなんとしてもプロで・・・。そして人気のある掛布さんと対決したいんです」どこまでもチャレンジ精神旺盛な男なのだ。


近鉄がドラフト3位で指名した福岡大、花房健投手(23)=187㌢、78㌔、右投げ右打ち、高砂高出身=の近鉄入団が、七日、決定した。近鉄・中島スカウト部長と伊藤スカウトが、この日午後一時半から約一時間半、兵庫県加古川市寺家町のかっぽう魚市総本店で本人と父親晴次さん(51)、母親淑さん(52)、福大・藤吉監督と話し合った席上で、契約金二千八百万円、年棒三百三十万円(いずれも推定)の条件を提示、花房投手側がこれを了承して仮契約を行った。正式契約と入団発表は今月中旬に行なわれる。なお、福大からのプロ入りは、昨年大洋に入った竹之内外野手についで二人目。「近鉄はパ・リーグ二連覇、西本監督を中心にぐいぐい上昇しているチームだし、願ってもない球団です」正式に入団を決めた花房投手は明るい表情だった。


1985年


勝負の年。落ちる球、フォークを憶えてみる。大学の4年間13勝1敗。「V2」に大きく貢献したことがある。

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寒川浩司

2022-01-06 13:43:45 | 日記
1975年


寒川は182㌢、77㌔、左の本格派。重い速球とヒザ元に食い込む鋭いカーブが武器で、ノーワインドアップ投法にかえて制球力がよくなった。
「僕一人で勝ったのではありません。みんなよく守ってくれたし、早く点を取ってくれたので投げやすかった」-マウンドを降りてくるなりこのヒーローは恥ずかしそうにこう話した。182㌢の長身を利し、強打の倉敷工打線を散発の3安打、8三振、4四球、七回二死までノーヒットに押える快投だった。岡本監督も「3連投になったが、この試合は力みがまったくなく最高。百点満点をやって下さい」とその小ぎみのいい投球をたたえた。昨年の新人戦でも1-0、12三振を奪う快投をみせ倉敷工を押え切った。しかし中国大会(米子市湊山球場)では、制球不足から5-6と倉吉北に敗れセンバツの夢を断たれた。また三月下旬から原因不明の腰痛に悩まされ、五月末まで二カ月休養した。「みんな練習に汗を流している。夏までに立ち直れるかどうか心配だった。しかし痛みがとれるにつれやるだけのことはやってみよう。腕が折れても投げ抜くんだという気持ちがわいてきて、練習にも打ち込めるようになった」-苦しい時をふり返る言葉の端々にうれしさがこみ上げてくる。エースの復活。甲子園での活躍が楽しみである。左投げ左打ち。玉野日比中出身、三年生。


3点をバックに寒川が懸命の力投をする。182㌢の長身から快速球を岸本捕手のミットへぽんぽんと決めた。七回二死から石原に初安打されたが後続を断った。同投手の両親、義一さん(46)、朝子さん(41)=玉野市和田=は「前夜、下宿へ電話して思い切って投げれば打たれることはない。悔いのないようがんばれと激励した。気の強い子だから心配ない」と声をからしていた。


西の本格派でまず筆頭にあげられるのは岡山東商の左腕、寒川だ。1㍍82の長身を利して内外角低めへ速球を決める力感あふれるピッチングで、角度の大きいカーブもまじえる。三月から五月にかけて腰を痛め投げ込んでいなかったのでスタミナが心配されたが、予選、準決勝、決勝を連投で完封、崩れをみせなかった。4試合に完投して3完封、失点1、自責点0の立派な成績。立ち上がりに制球を乱すくせもみられなかった。


エース寒川は182㌢、75㌔で左の本格派。春先に痛めた腰痛も治り完全に復調。ノーワンドから投げ込む重い速球とヒザ元に食い込むカーブは、ますます威力を増し、県予選決勝では強打の倉敷工を3安打に完封した。


ヤクルトから指名された寒川投手は学校で「プロは小さいころからのあこがれだしチャンスがあれば一度は自分の力をためしてみたいと考えていた。しかし不安と期待が半々で、両親などにも相談して慎重に決めたい。好きな球団は巨人で、もしプロに行くとしたらロッテの金田監督のような速球でぐいぐい押せる投手になりたい。一度痛めた腰はもう何ともありません」と話していた。

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