左オーバーハンド・球種・ストレート、カーブ、シュート
・アマチュア時代・・・高校時代、智弁学園のエースとして甲子園に3回戦まで勝ち進んだが、秋田市立に2-7と大敗している。しかし上田は満足であった。悔いのない青春だと思っていた。やがて上田は松下電器に入社する。しかし、なかなか登板機会は回ってこなかった。「このまま会社に埋もれてしまうのか・・・」松下電器での野球に疑問を持ち始めた。上田がプロ入りを決意したのは、それから間もないころだった。
・ロッテ入団・・・上田はロッテのテストを受けに上京した。1971年、秋のことである。むろん会社には辞表を提出していた。ロッテの秋季練習に参加しながらのテストであったが、上田は見事にパスした。同年のドラフトでロッテの9番目の指名を受けた。球団が提示した契約金100万に素直に首を立てに振ったのであった。
・ファーム時代・・・だが、プロの世界は自分が考えていた以上に厳しいところであった。177センチ、73キロの上田がプロの選手の中に入ってしまうと、そう目立ちはしなかった。シーズンに突入しても上田はファームで泣かず飛ばずであった。完全に出遅れだった。そして、8月10日がやってきた。この日、上田はイースタンリーグのヤクルト戦「鳥取」での完封勝利が評価され、ついに1軍昇格を果たしたのである。
・プロ初勝利・・・・ロッテの1軍投手陣は「火の車」だった。木樽、成田、小山らが総崩れの状態にあった。信頼できる左投手は皆無であった。9月3日に上田は先発のマウンドに立った。「いまは5回ぐらいが限界かもしれないが、スタミナがつけば相当やれるぜ」
と大沢監督は送り出した。上田はその期待に応えた。味方が序盤に3点を取ってくれて気が楽になった。上田は丁寧な投球でタマを
低めに集めていた。スタンドのどこかで見てくれているだろう父のために懸命の力投を続けた。6回に入って上田は、つかまり降板したが最後は木樽が締めて、ついにプロ初勝利を挙げた。上田はダッグアウトを飛び出し、木樽に何度も頭を下げた。やがて、しばらくして、やっと開放された上田は球場出口に向かった、そして人混みの中に父の姿を見つけ出した。上田は何も言わず父の手を握りしめていた・・・・・
補足・・・上田の初勝利の対戦相手は南海「大阪球場」でこの3日前の8月31日の東映戦で初先発したが、乱打されKOされた。
のちになってから上田は「南海は東映より威圧感はない」と報道陣に対し口にしており、妙に度胸のすわった一面もあった。
・上田は高校2年のときに母親を失っており、父の正一氏が上田を含め3人の兄弟を育てあげた。上田は父親に感謝しており
、なんとしてもプロ初勝利の晴れ姿を見せてやりたかった。
・アマチュア時代・・・高校時代、智弁学園のエースとして甲子園に3回戦まで勝ち進んだが、秋田市立に2-7と大敗している。しかし上田は満足であった。悔いのない青春だと思っていた。やがて上田は松下電器に入社する。しかし、なかなか登板機会は回ってこなかった。「このまま会社に埋もれてしまうのか・・・」松下電器での野球に疑問を持ち始めた。上田がプロ入りを決意したのは、それから間もないころだった。
・ロッテ入団・・・上田はロッテのテストを受けに上京した。1971年、秋のことである。むろん会社には辞表を提出していた。ロッテの秋季練習に参加しながらのテストであったが、上田は見事にパスした。同年のドラフトでロッテの9番目の指名を受けた。球団が提示した契約金100万に素直に首を立てに振ったのであった。
・ファーム時代・・・だが、プロの世界は自分が考えていた以上に厳しいところであった。177センチ、73キロの上田がプロの選手の中に入ってしまうと、そう目立ちはしなかった。シーズンに突入しても上田はファームで泣かず飛ばずであった。完全に出遅れだった。そして、8月10日がやってきた。この日、上田はイースタンリーグのヤクルト戦「鳥取」での完封勝利が評価され、ついに1軍昇格を果たしたのである。
・プロ初勝利・・・・ロッテの1軍投手陣は「火の車」だった。木樽、成田、小山らが総崩れの状態にあった。信頼できる左投手は皆無であった。9月3日に上田は先発のマウンドに立った。「いまは5回ぐらいが限界かもしれないが、スタミナがつけば相当やれるぜ」
と大沢監督は送り出した。上田はその期待に応えた。味方が序盤に3点を取ってくれて気が楽になった。上田は丁寧な投球でタマを
低めに集めていた。スタンドのどこかで見てくれているだろう父のために懸命の力投を続けた。6回に入って上田は、つかまり降板したが最後は木樽が締めて、ついにプロ初勝利を挙げた。上田はダッグアウトを飛び出し、木樽に何度も頭を下げた。やがて、しばらくして、やっと開放された上田は球場出口に向かった、そして人混みの中に父の姿を見つけ出した。上田は何も言わず父の手を握りしめていた・・・・・
補足・・・上田の初勝利の対戦相手は南海「大阪球場」でこの3日前の8月31日の東映戦で初先発したが、乱打されKOされた。
のちになってから上田は「南海は東映より威圧感はない」と報道陣に対し口にしており、妙に度胸のすわった一面もあった。
・上田は高校2年のときに母親を失っており、父の正一氏が上田を含め3人の兄弟を育てあげた。上田は父親に感謝しており
、なんとしてもプロ初勝利の晴れ姿を見せてやりたかった。