プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

1987年 プロ野球退団者

2024-05-18 16:40:07 | 日記
巨人


投手
江川卓 日本テレビ解説者
中島浩人 オリンピック釣具
サンチェ 米球界復帰へ
パセラ 米球界復帰へ
渡辺政仁 練習生


捕手
山本幸二 練習生


内野手
林哲雄 


外野手
岡本圭右
松本匡史 日本テレビ解説者
山本勝哉
仁村薫 中日


中日


投手
西井哲夫 
小島正宣
曽田康二 日本ハム
浜田一夫
村井一男
古川利行 運送会社勤務
カスティーヨ 米球界復帰へ


内野手
尾上旭 近鉄
水本啓史
古谷盛人 球団職員


外野手
大島康徳 日本ハム
藤波行雄 東海放送解説者
島田芳明 近鉄
平野謙 西武
松浦英信 球団広報担当
石井昭男 コーチ


広島
コーチ
竜憲一 スカウト


投手
田中和博 飲食店手伝い
栫政彦
新美敏 コーチ補佐
北崎純一 打撃投手


内野手
衣笠祥雄 朝日新聞嘱託・TBSコンサルタント
広島大講師、球団オーナースタッフ
木下富雄 コーチ補佐


ヤクルト


投手
宮城弘明
中川明仁 自営(レンタルビデオ)
鈴木正幸 打撃投手
黒田真二 打撃投手


捕手
原田要 打撃洋の捕手


内野手
レオン
ホーナー 米球界復帰
渡辺進 コーチ
杉村繁 球団広報


外野手
岩下正明 大洋




大洋
コーチ
辻恭彦 阪神コーチ


投手
増本宏
久保文雄
堀井幹夫 ロッテ
青木秀夫
門田富昭 スコアラー
薬師神繁男 打撃投手


捕手
小山昭晴 ロッテ


内野手
平田薫 ヤクルト
大久保弘司 マネジャー


外野手
吉本博
菊地恭一
西村博巳
アドゥチ 米球界復帰へ
高木由一 コーチ


阪神


監督
吉田義男
 
コーチ
土井淳 フジテレビ解説者
一枝修平 毎日放送解説者
並木輝男 サンテレビ解説者
新山隆史
野村収 大洋コーチ
榊原良行 中日コーチ
上田二朗 スカウト
桑野議 スコアラー


投手
藤原仁 日本ハム
田村浩一
宮本四郎 打撃投手
川原新始 用具係兼打撃投手
服部裕昭 練習生


捕手
鈴木伸良
月山栄珠 会社員(不動産)


外野手


長崎啓二 
永尾泰憲 コーチ


西武


コーチ
毒島章一 スカウト


投手
小野和幸 中日


外野手
小沢誠
ブコビッチ 米球界復帰へ


阪急


コーチ
天保義夫 少年野球コーチ(阪急系)
投手
太田敏之 
アニマル 芸能タレント
松本正志 打撃投手


捕手
中出謙二


外野手
蓑田浩二 巨人
小林晋哉 スカウト


日本ハム


コーチ
大石清 阪神コーチ


投手
岡部憲章 阪神
坂巻明 ロッテのテスト受験
鈴木孝幸 会社員
芝正 セ球団のテスト受験
大畑徹 打撃投手
田中富生 中日
山蔭徳法 練習生


捕手
大宮龍男 中日
長田博幸 練習生


内野手
作田栄和 
本間立彦
パットナム


外野手
佐々木正行 会社員(建築関係)
木村孝 スカウト


南海


投手
青山久人 愛知県で事業
竹口昭範
大津一洋 大阪府内の水道局
藤村雅人 打撃投手


内野手
加藤英司 関西テレビ解説者
山中律俊 会社員(ダイキン)
デビット・ホステトラー 米球界復帰へ
ハモンド 
定岡智秋 コーチ


ロッテ


コーチ
若生智男 阪神コーチ
投手
梅沢義勝 ヤクルト
中居謹蔵
石川賢 大洋
比嘉良智 会社員(不動産)
佐藤政夫 スカウト
市川達也 打撃投手


捕手
田中力 土建会社経営


内野手
金沢幸彦 会社員


外野手
リー
竹之内徹 会社員
芦岡俊明 スカウト


近鉄
監督
岡本伊三美 朝日放送解説者


コーチ
池辺巌 南海コーチ
岩木康郎 スカウト


投手
柳田豊 ラジオ大阪解説者
藤原保行 会社員(近鉄モータース)
土田嘉徳 会社員
近藤章仁 練習生


捕手
小崎武司 会社員


内野手
大原徹也
中島裕司 父親経営ラウンジ
岡田耕司 練習生


外野手
山本雅夫
仲根政裕 中日
石原修治
野田雲平
豊原豊


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木下智裕

2024-05-18 16:16:19 | 日記
1988年
胸が痛くなって、涙がこぼれ落ちるのを抑えきれなかった。「どうだ。巨人に入ってホントによかったな」夜空を見上げながら王監督がポツリと吐いた言葉が、木下には無性にうれしかった。61年6月24日。後楽園では伝統の巨人・阪神戦が行われていた。木下はその年、自由契約となった阪急から巨人にテスト生として移籍したばかり。2回リードで迎えた7回、無死二塁の場面で当時の最強コンビ、バース、掛布と対戦した。「阪急で10勝、巨人では結局ひとつも勝てなかったけど、あの試合がやっぱりプロでの最高の思い出ですね」始めての大観衆の前で、木下は堂々のピッチングを披露した。バース、掛布を連続三振。「巨人に入ってホントに…」交代を告げる王監督がマウンドでつぶやいてくれた言葉が、木下は今も忘れられない。試合終了後、勝利にわきかえるベンチで肩をたたいてくれる人がいた。「こいつがホントのヒーローだぜ」中畑の声だった。「木下さん、最高のピッチング!」東海大の後輩・原も自分のことのように喜んでくれた。翌日の新聞の片スミには陰のヒーロー木下の記事が数行だけ載った。それでも、木下の胸には最高のシーンとして今でも刻まれている。1度だけだったけど、ハーラーのトップになったときもある。でも、思い出っていうのは、そういうものじゃあないでしょうか」野球を始めてから初めて人の温かさを知ったような気がした。「巨人で3年間やれてホントによかった、と思います。王さん、中畑さん、原…。いろんな人に会えたしね」8年間のプロ生活にまったく悔いはないという。ただひとつあるとすれば今春かかった原因不明の奇病。結局、これが投手寿命を縮めることになった。「1ヶ月の入院。セキ髄にビールスが入ったんだけど、全然力が入らなくてね。電話の受話器さえ持てないんだから…。情けなくて何度も涙をこぼしました」今年9月、球団から退団の打診があったとき「巨人のユニホームのまま引退するのは幸せ」とさえ思ったという。栄光のドラフト1位指名、自由契約巨人入団、離婚、奇病…。まさかに木下のプロ生活は流転だった。第二の人生計画は順調。来年11月友人とともに飲食店を開くことも決まった。「詳しいことはまだ言えないんだけどね。野球しか知らない男だから、その前に人生勉強もしないと…」来春から都内の不動産会社で社長飛秘書として礼儀、言葉遣いなどを勉強していくことになっている。「店がオープンしたらどんどん宣伝してくださいね」ワンポイントに命をかけてきた男は、第二の人生で先発完投を目指している。

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荻原満

2024-05-18 13:32:10 | 日記
1987年
東海大のエース、荻原満投手(21)=175㌢、75㌔、左投左打=の巨人入りが5日、決まった。巨人の加藤、河埜両スカウトはこの日、神奈川・相模原市の料亭「おはん」に本人、父・孝道さん、母・弘子さん、東海大・岩井監督を招き入団を要請、契約金3500万円、年棒480万円を提示、仮契約を結んだ。荻原は今春、慈恵医大病院で左ヒジを手術したことから敬遠されドラフトで指名されなかったが、首都大学リーグで通算28勝5敗の好成績を残していた。執刀した白旗医師が巨人のチームドクターであることから「左ヒジ完治」の情報をつかみ、獲得に乗り出した。同投手は仙台商で甲子園大会に出場、巨人の水野らとともにアメリカ遠征に参加、東海大では藤田元司氏(巨人諮問委)の指導を受け、15連勝した。球種は直球、カーブ、シュート、フォーク、チェンジアップと多彩。左腕の入団は5位指名の愛知学院大・益田に次ぎ2人目。


東海大・荻原投手「子供のころからプロにあこがれていた。益田には大学選手権で負けているので、プロでは負けないようにがんばる」

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樽見金典

2024-05-18 13:24:30 | 日記
1987年
投手を始めてからまだ2年しかたっておらず、これからの選手。プロの体になるまでには、もう一息で、同期の木田、小島に少し後れをとったか。アリゾナでは変化球で三振をとることを覚えた。19回とイニングこそ少なかったが、18三振を奪った。「フォークはだいぶよくなってきた。あとはストレートの威力に磨きをかければ…」と宮田コーチ。1、2軍の入れ替えが激しくなると予想される去年、ファームの軸としての期待がかかっている。

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長谷川尚生

2024-05-18 12:32:34 | 日記
1989年
バットを鉛筆に持ちかえた。球界から離れて、大学受験にチャレンジするのも珍しい。「まだ若いし、大学へ行ってから自分の将来のことを考えるのもいいと思って」と長谷川は言った。ケガで選手生命を断たれた。ドラフト外で入団して2年目を迎えた今シーズン、春先にまず腰を痛めた。そして夏には肩を。1ヶ月間、悩み続け、9月に入って決心した。「大学受験するなら1年でも早いにこしたことはない」11月末まで合宿「虎風荘」で受験勉強に励んだ。その間、野球週刊誌で長谷川のことを知った東京・高円寺の予備校「中央ゼミナール」から受験のテキストが送られてきた。進路指導部の早藤績さん(26)という見ず知らずの人からだった。「実は私も富山出身でスポーツを志していてケガであきらめたんです。長谷川君のことを読んで少しでもお役に立てればと思いまして」長谷川の卒業した富山県立入善高は県下でも屈指の進学校。国立大の富山大、金沢大へは毎年40人ほどの合格者を出している。長谷川自身、45人の学級で「成績は10位ラインを行ったり来たりだった」とかで、偏差値は56。目標の明大、法大クラスの経済学部入学へは自己診断では黄ランプという。年が明けると東京にいる兄・樹生さん(中央大大学院生)のもとへ行き、いよいよ最後の追い込みに入る。始めたころはスムーズにいってたんですが、ここのところダメですよ」ちょっぴり弱気の虫がのぞいた。実家の部屋には掛布のバットケース、真弓のバット、池田のグラブなど思い出の品々が飾られている。「この2年間はムダではなかった。こんな経験ちょっとやそっとでは出来ないですからね」の2浪は大きな財産になっている。

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1989年 プロ野球退団者

2024-05-18 12:20:27 | 日記


巨人
コーチ
山内一弘 野球評論家
高橋一三 日本ハムコーチ
滝安治 会社員
須藤豊 大洋監督
投手
ガリクソン アストロズ
鹿取義隆 西武
松尾英治 2軍サブマネジャー
捕手
有田修三 ダイエー
森田実 石材店
佐野元国 大洋コーチ
内野手
中畑清 野球評論家
山崎章弘 日本ハム
稲垣秀次 プロゴルファー
藤本茂喜 3軍マネジャー


広島
コーチ
岡義朗 阪神
投手
白武佳久 ロッテ
杉本征使 ロッテ
内野手
高橋慶彦 ロッテ
高代延博 コーチ
外野手
小川達明 ダイエー
松林和雄 ダイエー
今井譲二 鮮魚商
高橋朗浩 


中日
コーチ
木俣達彦 CBC解説者
新宅洋志
中山稔丈 
島谷金二 球団職員
2軍監督
岡田英津也 球団職員
投手
鈴木孝政 東海テレビ 解説者
宮下昌己 西武
加茂川重治 大洋
中村弘道 会社員
小美濃武芳 流通業
清水宏臣
白次謙二
都裕次郎 球団職員
捕手
大宮龍男 西武
内野手
片岡光宏 大洋
藤王康晴 日本ハム
荒川哲男
外野手
ヒンショー
小松崎善久 日本ハム


ヤクルト
監督
関根潤三 ニッポン放送解説者
コーチ
安藤統男 毎日放送解説者
小谷正勝 大洋コーチ
松岡弘 テレビ東京解説者
佐藤孝夫 スカウト
投手
谷宏明 飲食店経営
染宮修支 大和ハウス
デービス
捕手
藤枝慎治 
内野手
青島健太 会社員
パリッシュ
外野手
若松勉 テレビ朝日解説者
玄岡正充 原ヘルス


阪神


監督
村山実 朝日放送解説者
コーチ
若生智男
桑野議 スコアラー
川原新治 打撃投手
コーチ捕手
山川猛 二軍サブマネジャー
2軍監督
藤井栄治 サンテレビ解説者
投手
岡部憲章 巨人打撃投手
石井宏 教員
斎藤直哉 会社員
南秀憲 
山口哲治 近鉄打撃投手
浜田知明 打撃投手
馬場哲也 球団営業部
武内淳二 練習生
内野手
西里幸喜
鮎川義文 練習生
星野修 練習生
竹峰丈太郎 練習生
外野手
長谷川尚生 大学受験
宮脇則昭 練習生
佐野仙好 2軍育成コーチ


大洋
監督
古葉竹織 
コーチ
寺岡孝 沖縄で会社設立
福島久晃 レストラン経営
山根俊英
中村光良
稲川誠 球団職員
松岡功祐 球団職員
三浦正行 スコアラー
投手
木田勇 中日
高橋一彦 西武
北野勝則 中日
田中健二
捕手
堀場英孝
内野手
片平晋作 西武コーチ
板倉賢司 球団職員


近鉄
コーチ
権藤博 フジテレビ解説者
佐々木恭介 毎日放送 解説者
投手
村田辰美
福家雅明
谷崎浩二 打撃投手
内野手
中藤義雄 家業(配管業)
羽田耕一 2軍コーチ
ドットソン 
リベラ
外野手
栗橋茂 毎日放送 解説者
淡口憲治 巨人コーチ
金沢信彦 韓国ロッテ


オリックス
投手
森厚三 ダイエー
小林敦美 
山本和男 打撃投手
捕手
別府修作 ブルペン捕手
内野手
湧川勉 会社員
外野手
ブラウン
東哲也
吉田征人 プロゴルファー


西武
コーチ
黒田正宏 ダイエーコーチ
投手
小川宗直 中日
成田幸洋 大洋
松沼雅之 文化放送 解説者
串原泰夫 西武鉄道
内野手
広橋公寿 中日
外野手
西岡良洋 巨人


ダイエー
コーチ
池辺巌 大洋コーチ
投手
中条善伸 大洋
大坪幸夫
捕手
香川伸行 RKB開設者
内野手
河埜敏幸 1軍コーチ
外野手
後藤将和
山村善則 2軍コーチ


日本ハム
コーチ
高橋良昌 大洋コーチ
投手
田中幸雄 中日
金沢次男 ヤクルト
大川章
鍋屋道桜 中日打撃投手
滝口光則
川原昭二 2軍コーチ
広野准一 練習生
捕手
平良吉照 練習生
内野手
川村正太郎 家業(建設業)
イースラ― 少年野球指導希望
外野手
柳原隆弘
名洗将之 練習生


ロッテ
監督
有藤通世 TBS解説者
コーチ
土居章助 韓国ロッテコーチ
投手
右田一彦 会社員
桑田茂 会社員
捕手
小山昭吉 大洋
内野手
水上善雄 広島
長利礼治 会社員
丸山一仁 広報担当
外野手
高沢秀昭 広島


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1992年 プロ野球退団者

2024-05-18 08:52:04 | 日記
1992年


ヤクルト
コーチ
石岡康三 球団職員
井上洋一 球団職員
投手
新浦壽夫 評論家
角盈男 ニッポン放送解説者
広瀬新太郎 会社員
中本茂樹 未定
矢野和哉 台湾プロテスト結果待ち
西岡剛 オリックス
佐々木重樹 ダイエー
悴田幸也 自営業
内野手
清家政和 西武コーチ
山中賢次 未定
長島一茂 巨人
パリデス 大リーグ復帰目指す
レイ 大リーグ復帰目指す
渋井啓一 2軍守備走塁コーチ


巨人
監督
藤田元司 評論家
コーチ
高田繁 報知新聞評論家
中西太 評論家
中村稔 評論家
江藤省三 球団職員
木戸美摸 球団職員
中村昭 スコアラー
打撃投手
山口富夫 球団職員
小俣進 球団広報
秋葉直樹 会社員
投手
佐川潔 オリックス
ケアリー 大リーグ復帰目指す
ぺレス マリナーズ
水沢薫 球団研修生
荻原満 打撃投手
内野手
藤岡寛生 日本ハム
ゴンザレス 3Aポータケット
外野手
藤崎靖彦 未定
原正俊 未定


阪神
コーチ
佐々木恭介 評論家
辻恭彦 横浜コーチ
投手
藤本修二 西武
西川佳明 自営業
野田浩司 オリックス
捕手
島田宗彦 ブルペン捕手
内野手
高橋慶彦 評論家
古屋英夫 日本ハム・コーチ
坂孝一 球団職員
外野手
立花義家 台湾・俊国ベアーズ
金森栄治 ヤクルト
  
広島
コーチ
池谷公二郎 評論家
宮本洋二郎 スカウト
投手
川端順 2軍投手コーチ
芦沢公一 打撃投手
畝龍実 スコアラー
津野広志 中日
片平哲也 プロゴルファー志望
大塚賢一 西武
山口晋 日本ハム
田代尚幸 会社員
サンギルベルト ドミニカ帰国
チェコ ドミニカ帰国
捕手
達川光男 評論家
松井隆昌 中日
内野手
森重泰浩 会社員
ぺルドモ ドミニカ帰国
ぺレス ドミニカ帰国


大洋
監督
須藤豊 巨人コーチ
コーチ
高橋良昌 未定
池辺巌 ロッテコーチ
堀本律雄 日本ハムコーチ
野村収 阪神スカウト
佐野元国 巨人コーチ
高浦己佐緒 球団職員
コーチ監督
江尻亮 編成担当部長
2軍監督
中塚政幸 スカウト
投手
遠藤一彦 TBS解説者
塩崎兼一 打撃投手
捕手
榊原勝也 会社員
小山昭吉 2軍育成バッテリーコーチ補佐
内野手
藤野正剛 未定
シーツ 大リーグ復帰目指す
外野手
白幡隆宗 未定
二村忠美 日本ハム
レイノルズ 近鉄
青山道雄 2軍外野守備・走塁コーチ


中日
コーチ
大橋穣 ヤクルトコーチ
佐藤道郎 近鉄コーチ
金山卓嗣 球団代表付調査役
投手
西本聖 オリックス
石本貴昭 近鉄打撃投手
山内和宏 未定
小早川幸二 広島
アンダーソン マーリンズのマイナー
小池貴志 打撃投手
加賀元 打撃投手
内野手
宇野勝 ロッテ
小川祥志 会社員
永川満寿 未定
高橋幸二 打撃投手
外野手
長島清幸 ロッテ
ライアル 大リーグ復帰目指す
北村照文 2軍外野守備走塁兼トレーニングコーチ
遠田誠治 球団職員


西武
2軍監督
和田博実 阪神編成部渉外担当
コーチ
中村光良 台湾・俊国ベアーズコーチ
広瀬宰  スカウト=大リーグ担当
城戸則文 編成調査担当
日野茂  編成調査担当
鈴木葉留彦 スカウト
投手
前田耕司 広島
松原靖  巨人打撃投手
逢坂輝樹 会社員
ヤング  未定
蒲谷和茂 ゴルフ用品店勤務
加世田美智久 打撃投手
捕手
大宮龍男 1軍バッテリーコーチ
内野手
城土大治朗 自営業
鈴木康友 1軍内野守備コーチ
前田俊郎 スカウト
デストラーデ マリーンズ
小久保浩樹 宝ヶ池プリンスホテル
日月鉄二 旅行代理店勤務


近鉄
監督
仰木彬 評論家
コーチ
皆川睦雄 評論家 
小川亨 オリックスコーチ
岩木康郎 スカウト
2軍監督
滝内弥端生 スカウト
投手
佐藤秀明 他球団テスト受験
広政秀之 未定
坂口浩則 打撃投手
捕手
原田和彦 会社員
清田文章 ブルペン捕手
内野手
大村慎次 スポーツ店勤務
福井努  自営業
デービス 大リーグ復帰目指す
後関昌彦 スカウト
外野手
新井宏昌 評論家
長岡学 未定
リード 大リーグ復帰目指す
ビーン 3Aエドモントン


オリックス
コーチ
井上修 未定
投手
森浩二 ヤクルト
矢野未乗 ダイエー
二宮正己 中日
杉本征史 未定
金子歩 未定
シェルジー 大リーグ復帰目指す
内野手
戸羽隆 未定
松永浩美 阪神
福原峰夫 2軍内野守備走塁コーチ
外野手
マルチネス 大リーグ復帰目指す


ダイエー
監督
田淵幸一 評論家
2軍監督
柴田猛 ヤクルト・コーチ
コーチ
広瀬叔功 評論家
小林正之 未定
若生智男 横浜コーチ
立石充男 中日コーチ
藤田学 評論家
田村征男 未定
手塚一志 未定
望月充 球団職員
投手
山内孝徳 RKB開設者
西村英嗣 未定
浜中英次 会社員
岡本吉守 ダイエー
山川収一 打撃投手
高島覚 打撃投手
打撃投手
中井伸之 阪神打撃投手
森秀二 未定
大畑徹 日本ハム打撃投手
内野手
水上善雄 テレビ解説者
渡真利克則 セリーグ審判員
ブーマー 他球団希望
ラガ 大リーグ復帰目指す
外野手
門田博光 評論家


日本ハム
監督
土橋正幸 評論家
コーチ
高木公男 未定
投手
上岡良一 会社員
中山大輔 未定
森本智  会社員
捕手
桐山明佳 ブルペン捕手
内野手
斉藤浩行 未定
藤王康晴 会社員
矢作公一 未定
難波幸治 未定
ベイス 未定
外野手
小川淳司 ヤクルト球団職員
大田勇治 未定
マーシャル マリナーズ3A


ロッテ
コーチ
浜村孝 未定
大岐興司 未定
榊親一 球団職員
投手
阿井英二郎 会社員
田島敏雄 未定
今野隆裕 中日
井辺康二 2軍投手兼トレーニングコーチ補佐
小川博 2軍トレーニングコーチ
内野手
大順将弘 台湾プロ野球入りへ
外野手
横田真之 中日
ディアズ 大リーグ復帰目指す
高沢秀昭 2軍打撃コーチ
佐藤和史 2軍守備・走塁コーチ


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トーマス

2024-05-16 19:15:58 | 日記
2005年
日本ハムの新外国人左腕、ブラッド・トーマス投手(27)=前レッドソックス=が14日、教育リーグのヤクルト戦(戸田)に登板。5回2/3を投げ、被安打4、2失点の内容に、ヒルマン監督は「非常にいい投球だった。これから珠数を増やして調整してほしい」と話し、開幕2戦目、27日のソフトバンク戦(福岡ヤフードーム)先発を内定した。ミラバル、金村、江尻に次ぐ先発ローテ頭角だ。MAX145㌔の直球とチェンジアップ、カットボールを武器に打者を寄せ付けなかった。2回からマウンドに上がり、6回までの5イニングを内野安打1本に抑えた。「少し疲れが出た」という7回、3連打などで2点を失ったが、「シーズンに向けていい準備ができた」と満足げに振り返った。この豪州出身左腕は春季キャンプに自費参加、テスト入団した苦労人だ。2月19日、沖縄・名護キャンプに合流すると、角度のある直球をビュンビュン投げ込み首脳陣に猛アピールした。それが実って今月1日に正式契約を交し、先発左腕が手薄な日本ハム投手陣の救世主として一気に期待を集めていた。今後は19日の横浜戦(横浜)で先発予定。開幕に向けて最終調整に入る。

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1986年 プロ野球退団者

2024-05-16 18:17:24 | 日記
広島
コーチ
小林正之 大洋コーチ
福島久晃 大洋コーチ
木下強三 大洋スカウト
投手
山根和夫 西武
森厚三 阪急
金城鉄治
田中健二 打撃投手
奥昌男 打撃投手
捕手
堀場英孝 大洋
外野手
山本浩二 NHK解説者
及川美喜男 日本ハム


巨人
投手 
高橋直樹 日本テレビ解説者
橋本敬司 南海
カムストック 米大リーグ復帰へ
捕手
笹本信二 スコアラー
内野手
加藤英司 南海
上福元勤 家業(土建業)
河埜和正 スカウト
外野手
山本雅夫 近鉄


阪神
コーチ
米田哲也 朝日放送解説者
投手
源五郎丸洋 運動具店勤務
前田耕司 西武
ゲイル 米大リーグ復帰へ
野村収 コーチ
捕手
渡辺長助 フロント入り
月山栄珠 練習生(肝炎治療)
外野手
川藤幸三 よみうりテレビ解説者
吉竹春樹 西武
田中昌宏 会社員
森忠仁
丸山武彦


大洋
監督
近藤貞雄 CBC解説者
二軍監督
江尻亮 フロント入り
コーチ
近藤和彦 
小谷正勝 ヤクルトコーチ
基満男 日本ハムコーチ
鈴木隆
コーチ捕手
高浦巳佐緒 コーチ専任に
投手
高橋正巳 日本ハム打撃投手
前泊哲明 建設会社勤務
広瀬新太郎 西武
竹下浩二 巨人打撃投手
山口忠良 打撃投手

中日
監督
山内一弘 巨人コーチ
監督代行
高木守道 CBC解説者
コーチ
中登志雄 広島コーチ
水沼四郎
坪内道則
井手峻 代表付き調査役
高橋良昌 スカウト
投手
桑田茂 ロッテ
牛島和彦 ロッテ
倉田邦房 他球団と接触中
平沼定晴 ロッテ
後藤祝秀 打撃投手
近藤満 広報兼打撃投手
清水治美 打撃投手
捕手
入沢淳 ブルペン捕手
中原勇一 用具係
内野手
谷沢健一 東海放送解説者
長田克史 中日屋内練習場
上川誠二 ロッテ
外野手
有賀佳弘 2軍マネジャー

ヤクルト
監督
土橋正幸 フジテレビ解説者
二軍監督
内藤博文 巨人フロント2軍担当
コーチ
伊勢孝夫 広島コーチ
猿渡寛茂 日本ハムコーチ
安田猛 スカウト
投手
鳥原公二 他チームと接触中
内野手
羅本新二 東海地区スカウトか東海ヤクルトに就職
外野手
金敷一美 宇都宮ヤクルト営業部

西武
コーチ
近藤昭仁 TBS解説者
宮田征典 巨人コーチ
毒島章一 スカウト
投手
永射保 大洋
田鎖博美 建設会社勤務
鈴木孝行 日本ハム
上田貞人 来春、他球団テスト
中島良浩 打撃投手
内野手
片平晋作 大洋
外野手
大田卓司 文化放送解説者
田尾安志 阪神
蓬莱昭彦 中日


近鉄
投手
鈴木康二朗 喫茶店経営
高橋里志 広島で再就職
ライス
橘健治 スコアラー兼打撃投手
近藤章仁 練習生
大塚健伸 練習生
内野手
岡田耕司 練習生(右肩手術)
外野手
バンボ・リベラ
豊原豊 練習生(左ヒザ手術)


阪急
コーチ
島谷金二 中日コーチ
投手
宮本四郎 阪神
小島正宣 中日
榎田健一郎 スナック勤務
栫政彦 広島
池内豊 打撃投手
捕手
片岡新之介 広島コーチ
竹内史英 競輪選手挑戦
内野手
田中孝尚 


ロッテ
監督
稲尾和久 朝日放送解説者
コーチ
佐藤道郎
広野功
千田啓介
伊藤光四郎
長松純明
醍醐猛夫 チームディレクター兼チーフスカウト
飯塚佳寛 スカウト
コーチ補
小俣進 巨人打撃投手
投手
西井哲夫 
土屋正勝 銚子で会社員
藤城和明
平川敏明
内野手
井上洋一 ヤクルトコーチ
落合博満 中日
有藤通世 監督
外野手
中島克介


日本ハム
コーチ
今津光男
相羽欣厚
投手
三沢淳 東海ラジオ解説者
中原朝日
川原昭二 練習生(左ヒザ手術)
工藤幹夫 練習生(右肩手術)
内野手
金城博和
西本和美 高校教員
中村稔
捕手
中西弘明 コーチ補佐


南海


コーチ
寺岡孝 大洋コーチ
森下正夫
林俊彦
鐘井裕治
渡会純男 スコアラー
投手
田村勲 ロッテ打撃投手
森口益光 中日
鈴木伸良 阪神
藤田学 コーチ
捕手
中馬賢治 会社員
木戸賢永 練習生(左上腕骨折)
内野手
岡本圭右 巨人
立石充男 コーチ
外野手
吉沢俊幸 家業(植木業)
グッドウィン

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1985年 プロ野球退団者

2024-05-16 16:50:39 | 日記
阪神
コーチ
若生智男 フロント調査部
投手
山内新一 未定
益山性旭 未定
浜岡浩幸 未定
井沢武則 阪神打撃投手
捕手
東利夫 パ審判員
外野手
岡義朗 広島コーチ
石橋功行 未定


広島
監督
古葉竹識 フリー評論家
コーチ
寺岡孝 南海コーチ
佐野嘉幸 韓国OBベアーズコーチ
投手
池谷公二郎 テレビ新広島解説者
古沢憲司 テレビ東京解説者
石本龍臣 競輪選手志望
捕手
福島久晃 広島コーチ
内野手
木原彰彦 韓国OBベアーズ
外野手
大久保美智男 未定


巨人
コーチ
堀内恒夫 日本テレビ解説者、報知新聞評論家
柴田勲 フジテレビ解説者
長谷川徹 スポーツインストラクター
木戸美摸 巨人フロント渉外本部長
原田治明 巨人副寮長
投手
定岡正二 タレント
金城基泰 韓国プロ野球と交渉中
三宅宗源 台湾に帰国
西尾亨 トレーナー学校志望
山岡勝 近鉄
鈴木弘規 巨人打撃投手
小原正行 建築工務店勤務
福島敬光 読売旅行勤務
石渡茂 未定
外野手
淡口憲治 近鉄


大洋
投手
金沢次男 日本ハム
大畑徹 日本ハム
池内豊 阪急
木村広 未定
林泰宏 小林洋行勤務
杉永政信 大洋打撃投手
捕手
加藤俊夫 未定
内野手
与座朝勝 未定
山中博一 未定
平川洋幸 未定
ホワイト 未定


中日
コーチ
水谷寿伸 韓国MBC青竜コーチ
法元英明 中日代表付き調査役
江崎照雄 中日スコアラー
投手
堂上照 未定
水谷茂雄 中日打撃投手
捕手
金山卓嗣 中日コーチ
大河原栄 未定
内野手
モッカ 米国パイレーツ1Aカストニア監督
外野手
剣持貴寛 未定
平田恒男 未定


ヤクルト
コーチ
神谷定男 未定
神部年男 近鉄コーチ
投手
松岡弘 ヤクルト・コーチ
立野正士 未定
有沢賢持 札幌ヤクルト勤務
南秀憲 近鉄
加藤正次 喫茶店学校で勉強
ビーン 未定
捕手
大矢明彦 フジテレビ解説者
マルカーノ ベネズエラでコーチ
上地和彦 会社員
外野手
青木実 テニス会社勤務
釘谷肇 会社員
加藤誉昭 未定
スミス 未定


西武
監督
広岡達朗 NHK解説者
コーチ
黒江透修 テレビ東京解説者
長池徳士 デイリー新聞評論家
コーチ兼外野手
井上弘昭 未定
投手
高橋直樹 巨人
捕手
黒田正宏 西武コーチ
内野手
スティーブ 未定




ロッテ
コーチ
江島巧 未定
榊親一 ロッテ・スコアラー
投手
田村勲 南海
柳沼美広 未定
佐藤文男 未定
捕手
福島一人 ロッテ・スコアラー
長松純明 ロッテ・コーチ
山口辰也 歯科技工士を目指し勉強




近鉄


二軍監督
野口二郎 近鉄フロント編成部
コーチ
小川亨 朝日放送解説者
投手
鈴木啓示 NHK解説者
花房健 未定
捕手
有田修三 巨人
中馬賢治 南海
内野手
光井正和 未定
加藤英司 巨人
外野手
平野光泰 未定
島本講平 未定
島貫省一 未定
林正広 パ審判員へ




阪急
コーチ
梶本隆夫 阪急フロント編成部
足立光宏 阪急フロント編成部
新山隆史 阪神コーチ
投手
藤城和明 ロッテ練習生
永本裕章 スナック経営
谷村智啓 阪急コーチ
野中徹博 阪急練習生
木下智彦 未定
捕手
加藤安雄 未定
穴吹祐司 未定
捕手
中沢伸二 阪急コーチ
内野手
水谷実雄 関西テレビ解説者
外野手
吉沢俊幸 南海
有賀佳弘 中日
ヒックス 3Aアイオワ


日本ハム


コーチ
斎藤克男 未定
榊原良行 阪神コーチ
投手
木田勇 大洋
高橋正巳 大洋
小俣進 ロッテ打撃投手
木村悟 未定
斉藤満 運動具店勤務
長谷川達栄 家業(農場)手伝い
津村潔 日本ハム打撃投手
内野手
柏原純一 阪神
菅野光夫 日本ハムコーチ
外野手
葛川健司 病院営業マン
クルーズ 未定
ブラント 未定


南海


監督
穴吹義雄 毎日放送解説者
コーチ
河村英文 九州朝日放送解説者
山本一義 関西テレビ解説者
阪田隆 未定
大場隆広 鉄板焼き店経営
醍醐恒男 自動車販売店勤務
二軍監督
小池兼司 南海編成部長
コーチ
市原稔 南海編成部
小川一夫 南海球団部
和田徹 南海スコアラー
中原宏 南海球団顧問
投手
金城信夫 韓国青宝ピントス
捕手
中出謙二 阪急
赤星鉄治 運送会社勤務
内野手
ナイマン 未定
ドイル 未定
藤田達也 建設会社勤務
外野手
刀根健 未定
粕谷和彦 未定


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西浦丈夫

2024-05-15 21:33:36 | 日記
1975年
「一度でいいから、一軍でプレーしたい。それを目標に…」と、阪神と正式契約を結んだ西浦丈夫選手(18)は、はにかんだ。1㍍82、76㌔の大型内野手、ドラフト外の入団。それも、ことしも阪神の背番号64のユニホームを着ていながら試合には出れなかった幽霊選手。晴れてタイガースの一員となった二年目のルーキーは、オフを返上で来季に備える。西浦がタイガースのユニホームを着たのは、昨年の秋だった。秋季練習で三日間のテストを受け、めでたく合格。身分は年棒百万円の球団職員。平安高を二年で中退してのテスト。昔と違って、いまでは高校卒業見込みの年齢でなければ、練習はできても試合には出れない。「つらかったこと?試合に出れなかったことじゃあ、ありません」という。いやだったのは練習のとき。見物に来たファンのあの64番、だれじゃいという声だった。若手の一員として合宿に入り、同じ練習をしているのに、西浦の名前はメンバー表に載っていなかった。一年間、足踏みしての阪神の西浦。そうなったのは、「うどんのおかげかなあ」と頭をかく。四十九年、平安高はセンバツに選ばれた。西浦も十四人のメンバーに入った。ところが、甲子園に乗り込む矢先になって血を吐いて倒れ、甲子園の夢はつぶれてしまう。その不幸、実はうどんを七杯もたいらげ、もどしたときにのどの血管が切れたためだった。夏の大会にも甲子園に出たのに、出場メンバーからはずされた。ヤケになって練習にも出なかった。そんなとき、河西スカウト部長と知り合いの野球部長が阪神の話をしてくれた。「そのとき、迷わず中退を決めたんです。両親も許してくれましたし、いまでも後悔はしてません。ことし入団してくるドラフトの選手とトシは同じ。それでもボクの方が先に一年、プロになじんでいるんですから…」二十二日の契約で、契約金を手にした。それは五十万円だった。年棒はちょっぴり上がって百十万円。ドラフト上位選手の足元にも及ばない。それでも西浦は気にならない、と断言する。「だって、自分で選んだ道ですから。よそ見しないで前に進むだけです」テスト生の先輩でもある山内コーチからは、「スイングが鋭くなった」と、ちょっぴりおほめのことばをもらった。からだも、この一年でひと回り大きくなった。そこで晴れて一人前のタイガースの一員に。トレーニングにも力が入る。「やっぱり、気分が違います。来年が待ち遠しいです」楽しみは二軍戦に出られるようになること。それに自分の名前の入ったメンバー表を見ることに違いない。


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1975年プロ野球退団選手

2024-05-15 21:17:30 | 日記
1975年
がっくり、鬼頭はすっかり元気をなくしている。かつては大洋の左腕のエース、五年前にはヤクルト戦でノーヒットノーランをやったのに、任意引退の手続きを終えたいま就職口がさっぱりないのだ。友人も心配していくつかのはなしはあった。が、月給三十万円だったプロ選手と同じ待遇にはほど遠い。家賃が六万円のマンションを出てもっと安いアパートに移り、なんとか「サラリーマンになりたい」と懸命にあてをさがす毎日だ。再就職はともかく、まずはアルバイトと、阪神をクビになった坂口は運送会社につとめた。デパートの贈答品を運びながらねらいは「年内就職」だ。同じ阪神の井上と大和田はアルバイトもあきらめ、ともに出かける先は自動車学校。免許をとり条件をよくしてから職さがしをしようと悲壮な決意。「東京・江戸川の実家は床屋だけど、いまさら何年もかけて理容師になるのも…」と二十六歳の大和田。みんな深刻だ。職が決まった仲間も一流会社はひとりもいない。親せきや知人が経営する中小企業ばかりだ。南海では偶然にも二人がボタン関係。杉山は東京に帰り、友人のボタン輸入販売会社で計理を担当、臼井はおじさんが社長のボタン製造工場で技術者として再スタートする。実家を継ぐのはヤクルト・市場。京都でガラス販売業の修業を始めている。南海の大塚は大阪・南で夫人がやってきたスナック経営に本腰を入れるが、これはグンと恵まれたケース。十八年間の経験を買われて神奈川テレビの解説者に内定している大洋の森中が、ことしのオフでナンバーワンの転職となりそうだ。プロのユニホームをあきらめ切れず、来春の自主トレからキャンプにかけて他チームのテストを受けるのはロッテ・東条、南海・筒井と近鉄の大場、川本、森山。だがここでも見通しは暗い。クビと同時に広島から「王キラーのワンポイント」とその特殊才能を買われて入団が決まった左腕・平岡はむしろ例外だ。あまりの不況に就職をあきらめ、これまでになかった大学進学に活路を見つけようとするものも出てきた。巨人の西村は「体操の先生になりたい」と中京大の受験準備を始めた。「経済の勉強をする」ため阪神・尾藤は東経大か愛知大に進みたいという。阪急の今増も「無理をして職につくよりも」と阪南大へ。卒業する四年後に景気が好転するという保証はなにもないというのに…。このあとまだ何人かのクビ切りがあるだろう。一千万円プレーヤーがもてはやされるかげで、夢破れた無名の選手たちにはみじめな年の暮れだ。

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真鍋光輝

2024-05-11 15:22:15 | 日記
1953年
彼の得意はオーバースローのドロップである。そして球速もかなりある。昨秋阪急で行われた新人募集にこっそり受験し、その参加者二百五十人中第一位の点数を獲得したという。おそらく試験官も彼のドロップに魅力を感じたのであろう。ただ中央球界にはほとんど足跡を印していない関係もあり、それだけにまだもまれてもいないからコンビネーションには単純なところがある。投手としての一人相撲をするきらいがある。もっと楽に打たせて取るコツをのみ込んで来たら面白いと思われる。また割合い弱い打者を歩かせてしばしばピンチを招いて来た傾向があった。フォームも上背のないのが気の毒だが、小柄ながら良いばねと球のきれを見せているさらに右足のキックがもう一歩強くなることが望ましい。投手の守備にもなお相当研究を要するものがあるようだが打撃は良い。彼は三男一女の四人兄弟の末っ子。早く父を失うという気の毒な環境にあるが、つとめて明朗な生活を送り活発でなくてはならない。性質は温厚だが、グラウンドでのファイトが若干乏しいように思われる。もちろん技術こそ重要なものであるが、ファイトもまた欠くことの出来ないものであることを忘れてはいけない。そしてウエイトのないことをよく自覚して、より有効なピッチングが出来るよう研究することが必要である。敢えて完投投手になることを考えず、三回でも五回でもあるいはリリーフとしてで、立派な投球の出来るよう工夫することである。プロ野球ではピンチヒッターピンチランナーでも専門人が必要とされているくらいなのだから。

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若杉輝明

2024-05-11 15:02:58 | 日記
1953年
本当はまだボンボンといった面構えである。姉さんばかり四人の間で育った末っ子なので、至って甘えたという感じだが、この少年さすがに春夏の檜舞台をふんでいるだけになかなかハッキリしたことをいう。はァ、はじめ法大へ進もうか明電舎入りをしようかと思ったのですが、やはりプロで男を上げたくってー先輩の関根サンがおられるし心強いパールズを選びました。ボクはじめは二軍へ編入されると思っているのです。でもなんとか一軍へ出していただけるよう努力しますし、学友とどちらかさきに世にでるかコーヒー一パイのカケをやったんですから。パールズの練習に参加し、ユニフォームを着た感想は…。先輩の人、みな親切な方ばかりだけど、ボクより身体もみな大きいでしょう、若干気圧されてますネ、おっかなくなっちゃって…。それはそうだろう。身長こそ五尺七寸五分あるが体重は十五貫あまり、まだ上等のフラノ製ユニホームの肩が上層部まで落ちるほど身にそぐわない。その彼にも若き日の血潮を躍らせて甲子園原頭に名を馳せた思い出があるのだ。しかし球運はこの純情な少年投手にあくまでつれなかった。ことに準々決勝戦、延長十一回、野手のエラーで呑舟の大魚を逸した無念さはいまでも彼の胸中を去りやらないようだ。それでもボクあの試合直後知り合いの阪神の田宮サンが「キミはドロップを多投しすぎた。シュートか直球で向うべきだった」と忠告して下さったのはよい教訓でしたと素直に語る。極め球はインドロ、横手からのシュートを加えるよう先輩関根からも注意されたらしいが、いまのところプロの打者に真っ向から挑む自信の持ち合わせはないようだ。ともかく、先輩をおっかながらずにドンドン教えをこいたまえ「関根二世」とほど遠からず、名は体を現すのたとえ通り真珠のごとく明るく輝きはじめるに違いない…。

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ディアス

2024-05-10 17:07:00 | 日記
2006年
日本ハムの新外国人ディアスが初先発し、6回4安打2失点。敗戦投手となったが、先発の一角としてまずは、合格点の数字を出した。立ち上がりは、ツーシーム主体にゴロの山を築いた。

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