朽ちていった命―被曝治療83日間の記録 (新潮文庫) | |
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新潮社 |
1999年9月に起きた茨城県東海村での臨界事故。核燃料の加工作業中に大量の放射線を浴びた患者の命を救うべく、83日間にわたる壮絶な闘いがはじまった──。「生命の設計図」である染色体が砕け散り、再生することなく次第に朽ちていく体。最新医学を駆使し、懸命に前例のない治療を続ける医療スタッフの苦悩。
人知及ばぬ放射線の恐ろしさを改めて問いかける、渾身のドキュメント。
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一気に読んでしまいました。
最初の数日間は本当に元気で、次第に「朽ちていく」姿が痛ましい。大内さんの人柄や家族のことも書かれていて、そんな「普通の人」が一瞬にそれまでの生活をすることも、生物としての人間の機能も奪われ、破壊され、確実に死に向かっていく・・・。
人間の身体って、循環の中でその個体を保っているんですね。そして、その循環が止まって、崩れたものが崩れたままになってしまうもののような状態になった時にできる治療って…。身体が生きようとするからこそ、医療というものは成り立つ気がしました。
被曝した大内さんが意識があるのかもわからない、体も動かない状態になって、医療の措置が回復のためでなく、いまの状態を維持するための、死ぬ時間を延ばすだけの努力になって、何のために治療しているのか、わからなくなっていきます。
大内さんは意思表示できない状態で、生きようとしていたのか、それとも苦しん身から解放される死を望んでいたのかは、わかりません。
どの選択が正しかったかは答えは出ませんよね。
福島原発の事故で、これからどうなるのか先が見えない状況ですが、いま、本当に原発に依拠する社会でいいのかが問われていると思います。
大内さんが亡くなったときの記者会見で、治療にたずさわった前川さんは、「原子力防災の施設のなかで、人命軽視がはなはだしい。現場の人間として、いらだちを感じている。責任ある立場の方々の猛省を促したい」と言っているそうですが、この東海村でのこの事故が教訓化されたのかどうか。
いまの東電や政府の対応を見ていると、まったく何も考えていないとしか思えませんが・・・