おはようございます😃
朝方目が覚めましたが、二度寝しました。
本当は今日、総合病院の内科へ行かなくちゃと思っていた。
先月、一月分の薬をもらっていて、先月はまだ本調子ではなかったから。
5月も行かなくちゃと思っていた。
けれど、今、咳の症状は限りなくゼロに近い。
昨夜夫に「明日、内科へ行かなくちゃ」と言ったら「治ったのに?」と言われた。
そうだよなーと思い返した。
病院とは体調が悪ければ行く場所。
とりあえず今日は行かない。
今の私の体調。
右手は殆ど治った。
この間、ずっと借りていた北投石のブレスレットを夫にお礼を言って返した。
咳もほとんど出なくなった。
心配なのは右膝である。
変形性膝関節症だ。
サポーターを付けたり、外したりしている。
一番は体重を減らす事なのだろう。
正座も出来ないし、和式のトイレなんて絶対無理。
よく駅のトイレで、和式の方だけ人が並ばない現象を目にする。
私のような人が多いのだろうか?
図書館で借りて来た函館のガイドブック。
リビングのテーブルの上にある。
ここに載っている情報は観光地値段だろう。
そう、貧乏旅行でも何でも良い。
今晩は、鶏の手羽先と玉ねぎのトロトロ煮をつくります。
皆様、良い一日をお過ごしくださいね。
またね。
お話を伺うと、らずべりーさんのお母様はご家族に合わせてとてもキメの細かいお料理を作ってられたのですね。
元旦と二日目と趣向を凝らしてられたのですね。すごい事ですね。
棒ダラを煮たお味はさぞ美味しかったことでしょう。
大切なお正月の記憶ですね。
今はお金を払えば何でも買えます。
昔の人はそれがなく、何でも手作り。
そういう時代でした。
それにしても、お人形の服まで作ってくれたとは、驚きました。
そうですね、らずべりーさんはしっかりお母様の遺伝子を受け継がれましたよね。
先日、母がこんな事を言っていました。
私たちが子供の頃、姑と同居していた母。
田んぼや畑仕事でクタクタになって帰宅しても、お湯も沸かしていない事もあったと。
私も、母の手伝いをもっとやってあげていれば良かったと反省しました。
父も出前はおろか、食堂で食べる事もしない人でした。
母の苦労の末の豊かな食卓。
大変だったんだなと今更思っています。
私の亡き母は決して料理好きではありませんでしたが、お正月の元旦も朝早くから起きて、父が関東出身だったので元旦は関東風お雑煮を作るために、鶏肉の皮でダシをとり、具材も沢山ありました。二日は関西風お雑煮。味噌仕立てで具材も多かったです。私が、棒ダラの煮たのが好きで、高い棒ダラを買ってきて、水で戻し、大鍋で煮てくれました。
手作りお節料理もありました。懐かしいお正月の光景です。
昔の人は今のように何でも買える時代ではなく、手作りが当たり前でしたね。
私のお人形遊びの人形の服まで作ってくれました。私が布、糸が好きなのは母の遺伝ですね。
puusanのお母様もお正月に限らず食卓はさぞかし、豊かだったでしょうね。
そうですね、有難うございます。
長く続いた咳と右腕の捻挫の後遺症。
ようやく治りました。
らずべりーさんは、左膝が変形性膝関節症ですか。辛いですよね。
そうでしたね。今週末はお出かけですものね。
薬は必須ですよね。
湿布薬が嵩張るのでは?
ご主人、驚かれましたか。
私は長らくハンバーグを作っていません。
夫がひき肉嫌いだからです。
新婚の頃は、それを私に言わずに、家でのハンバーグを食べていましたし、子供も喜んだので作っていました。
フライパインで作るのは形を整えるのが難しいですね。
オーブンレンジで作らなくなったのは、故障か何かですか?
我が家ではオーブンは温め機能しか使っていません。宝の持ち腐れです。
楽な方、楽な方に流れる私。
料理好きな母の血は受け継がれませんでした。
この間のポトフも塩味が足りてませんでした。
らずべりーさんだけじゃありませんよ。
失敗も成功もあります。
いつも有難うございます^_^
咳や右腕が完治して何よりです。私も内科へ行く必要はないと思いますよ。私も左膝は変形性膝関節症です。ずいぶん前に言われました。湿布で誤魔化してます。
私は今週末一泊で行く為に必要な薬をまとめました。スーパーの中くらいの袋いっぱいになりました。夫が驚いてました。精神科の薬、お腹の薬、湿布薬などなどです。
話変わって、私はフライパンでハンバーグを作るのが苦手です。ずっとオーブンレンジで作っていたので。フライパンだと形が、いびつだたり、焦げたり、、、
今日も2個はうまく出来ましたが、1個は崩れてしまいました。私かま食べました。味は悪くないです。
65歳になってハンバーグ作れないって、どーよ!?です💦