私は日記を中学2年生の9月から、なぜか私の祖父が亡くなったときから書き始めている。
なので私の日記の最初には、祖父の葬式のことが書いてあります。
最初は大学ノートだった。
そのうちに日記帳を買えるようになり、それに書いた。
仕事をするようになってからは大学ノートに戻った。
現在、それらの日記(20冊ぐらいかな?)は、埼玉の家に置いてある。
私の思春期・青春期から青年期・中年の頃までのことが書いてあります。
なぜか軽井沢に日記が1冊あった。
それはこれです。
この日記の書き始めは、1996年4月18日(木)だ。
それから、2008年2月19日(火)まで書いてあって途切れている。
かなり飛び飛びに書いてあります。
ノートの5分の2ほど残っているので、このノートに3月4日からまた日記を書いている。
九想話は日記のようなものだが、私にも他人に知られたくはないことはあります。
それを書くために紙の日記は必要だとしみじみ思う。
これには、自分の気持ちがちゃんと書ける。
九想話には世の中の良いことや心あたたまることを書くようにしているが(なかなかそうもいきませんが…)、
紙の日記には、自己嫌悪や世の中への恨み辛みを書いている、実に情けないものです。
日記を読むと、私に“成長”というものはないようです。