10分間の休憩

1998年10月14日 | 健康・病気

 私の会社では、午前10時と午後3時に10分間休憩がある。といっても、
これは昼休みを40分にして、振り替えたものだ。
 私は、この時間が貴重なものになっている。なんといっても、煙草を吸える
からだ。現在ではどこでも当たり前ですが、事務所は禁煙となっている。
 この休憩時間に飲むコーヒーが、私の楽しみです。コーヒーは、家でつくっ
たものを持って行ってる(節約、節約)。
 昨日まで、前の日にコーヒーメーカーでつくったものを冷蔵庫で冷やして、
それを小さなペットボトルに入れて会社に持って行った。朝、会社の冷蔵庫に
入れといて休憩時間にラッパ飲みをしていた。
 今日は、朝つくった熱いのをステンレスの保温水筒に入れて持って行った。
それを、川越の雑木林の上の曇り空(なんで今年の10月はこんな天気ばかり
なんだ)を眺めて、水筒の蓋で飲んだ。
 私は、10分間の休憩に煙草を2本吸う。
 煙を吐きながら、「ああ…、秋になってしまったな」と思った。

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「双子に生まれた私たち」

1998年10月13日 | テレビ

 10月2日夜11時からやってた、BSドキュメンタリーというテレビ番組
のタイトルです。
 ある日ニューヨークに、147組の双子が集まった。その人たちにインタビ
ューするが、みんな双子に生まれたことに感謝し、誇りに思っていると答えた。
 3組の双子を紹介した。
 1組目は、母親が17歳で妊娠し、まだ未婚だったので、女の子の双子はそ
れぞれ別々の家庭に養女に出された。30過ぎた頃、自分に双子の姉妹がいる
と知らされ、二人は感動的な出会いをする。
 互いの化粧箱を見せ合うと、同じブランドの化粧品があり、色も同じものが
多かった。持ってきたプレゼントの中を開けると同じ店で買った同じものだっ
た。そのものに書いてあった言葉が、二人の気を引いたらしい。
 現在、二人は一緒に暮らしている。もう離れられない、という。
 2組目は男性の双子だ。
 双子を撮り続けているカメラマンの被写体になっている双子で、20代の青
年だった。その一人が、交通事故で死んだ。
 悲しい双子のドキュメンタリーだった。
 3組目、10代のはじめ、ある朝一人が自転車で出かけたとき、猛スピード
で反対車線から突っ込んできた車に跳ねられ、下半身不随になった。現在は車
椅子でのマラソンの選手(短距離だったかな?)でかなりの選手になっている。
もう一人は障害者の兄弟の影響で、医者になった。
 二人に、「あの朝の事故をどう思う?」と訊くと、「今の二人があるのは、
あの事故があったからだ。恨んではいない」というようなことをいっていた。
 いい番組でした。(10日も前に見たので、内容が少し違ってるかもしれな
い。でも、そんなには間違っていないと思う)

 さて、我が家のツゥインズは、双子に生まれたことをどう思っているのだろ
う。ちょっと今訊くのははばかられる。

 うちでは二人を兄、弟の区別はつけていません。Uが、この世に3分間早く
生まれたので戸籍上、兄となってますが、そんなこと、どうでもいいです。
 二人も互いに「U」「K」と呼びあっている。どうして世間の人は、双子を
見ると必ず「どっちがお兄ちゃんですか?」なんてアホなこと訊いてくるんだ
ろう。いつも笑顔で答えているが、心では怒ってます。
 双子って単純に遺伝ともいえないのですね。わが家では、うちの息子たちか
ら遺伝が始まるのでしょうかね。
 女房が妊娠してる頃、お腹の子に話しかけるとき、「ニコチン」と呼びかけ
ていた。2子に愛称のチンをつけていたのです。煙草のニコチンではありませ
ん。

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「はざ」と「おだ」

1998年10月12日 | 名前

 今日、手話ニュースを見ていたら、ある地方の田んぼの景色が写った。
 そして、アナウンサーが、「これは、はざがけといって…」稲をこうして乾燥
させている、とかなんとかいった。
 私は、どうもこの「はざ」という言葉が馴染めない。それは、私の生まれた
茨城ではそういういいかたはしなかったからです。私のふるさとでは「おだ」
といっていた。

 私は小さい頃、両親が稲刈りをするところで、イナゴを捕ったりして遊んで
いた。高校生の頃は、私も稲刈りを手伝った。現在のように稲刈り機などなく、
左手でつかんだ稲をノコギリガマで切っていった。ノコギリガマというのも、
みなさんは馴染みのないものだと思います。普通のカマではなく、三日月のよ
うな形をしていて、刃は鋸のようになっているカマです。私も、テレビや映画
でノコギリガマを見たことがない。
 稲刈りに行くときは、田んぼに「おだあし」をリヤカーに積んで持って行く。
これが重かった。
 刈り取った稲は田んぼに寝かしといて、刈り終わってからそれをある太さに
して、前の年に脱穀した藁でまるく(結わく)。それをあらかじめ立てておい
た「おだあし」に束ねた稲を架けていく。
 私など、稲刈りをはじめて30分もすると腰が痛くなり、腰を伸ばして「あ
あ~、いてェ」なんてうるさいのに、父と母は、黙々とカマを動かしていた。
 10時とかの休憩に、親父はうまそうに煙草を吸っていた。おふくろは、私
が手伝うのが嬉しいのか、ニコニコしてお茶をいれていた。

 しかし、なぜ一般には「はざ」といって「おだ」といわないんだ。
 角川書店の「合本 俳句歳時記」を見ても、「はざ」はあっても、「おだ」
はない。
 この文を書くにあたって、私はくやしいので、CD-ROMの広辞苑で調べ
てみた。

>はさ【稲架】
> (新潟・富山・福井・岐阜などで) 稲掛。稲架(トウカ)。はざ。 季・秋

>おだ                                  > 
    (茨城・千葉県で) 稲架。おだかけ。その脚となる二本の立木を
>「おだあし」という

と出ていた。
 な~んだ、「おだ」もあるんじゃないか。じゃなぜ、「おだ」は一般的に使
われないんだ。どうして歳時記にないんだ。茨城・千葉だからか、私は面白く
ない。
 いつか私は、「おだ」で俳句を作ろう。ダレモ、ワカンナイダロウナ。

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相性

1998年10月11日 | 健康・病気

 女房のフラメンコの先生が、今週(10/15.16)、リサイタルをやる。
 ロダンと、弟子で恋人のカミーユ・クローデルの物語を、フラメンコの踊り
で表現するようだ。
 先生は、ロダンを演じるスペイン人のダンサーと相性が合わない、と練習が
終わったあと、女房たちとビールを飲みながらいうらしい。
 ロダンを、恋人のカミーユが嫌いだなんて…、そういうの大変だな、と私は
思った。
 会社では、相性の合わない奴はいるが、その他の人間も沢山いる。ところが、
舞台で二人踊るとき、その相手がイヤだなんて思ったら踊ってられないだろう
な。
 しかし、女房が先生から聞いた話では、だいたいフラメンコを踊っている人
たちは仲が悪い。みんなそれぞれ我が強く、個性ある人たちなので、仲良くや
れる人は少ないらしい。
 先生が昔、スペインでグループを組んであちこち公演していたとき、たいが
い契約前にケンカ別れをしてしまうことが多かったらしい。
 それでもプロは、相性が合わない人とでも、けっこうステージではうまくや
ってしまうのだろう。見ている人には気づかれずに。
 私も、あらためて明日から、会社人間のプロになろう。

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Uの記憶

1998年10月10日 | 健康・病気

 朝食のとき、女房がUに訊いた。
「Uは小さい頃のこと、何歳まで覚えてる?」
 Kはまだ寝ている。
 Uはこういうとき「分かんない」とかいって、黙々と食事してすぐ自分の部屋
に行ってしまうのが普通だ。
「3歳の頃かな」
「どんのこと」
 女房がすかさず訊くと、
「Kが、歩いてるとこ」
 とUがいう。
 私にとっては以外だった。いつも、世の中に恨みを持ってるような顔をして
いるUなのだ。
「いや、その前のこと覚えてる。手足口病のときミルク飲んだこと」
「へえ、あのときのこと覚えてるの。ヒサシ君よかったね」
 と女房が、私を見て冷やかす。
 あれは2歳の頃だったか、UとKが手足口病という病気になった。手と足と
口の中に湿疹ができる病気で、手と足の湿疹も可哀想だったが、口の中の湿疹
が痛くて、ものが食べられないのが見ていて辛かった。
 2、3日して二人は痩せた。会社から帰って女房に訊くと、「痛がって何も
食べない」という。私は、そのとき女房を怒鳴ったような記憶がある。
 しかし、私が食べさせようとしても、息子たちは食べない。お腹は空いてる
のだろうが、口の中に食べ物を入れると、顔をしかめて口から出してしまう。
 私と女房は途方にくれた。このまま水も飲まずに、ものも食べなかったら死
んでしまう、と思った。なにしろUとKは小さい、それがもっと小さくなって
しまった。
 私は女房が寝てから考えた(その頃彼女は専業主婦で、一日中病気の二人の
面倒を看ていて疲れていた)。息子たちが寝ているときに牛乳を飲ませようと。
 私は、人肌に温めた牛乳をカップに入れ、ストローを持って息子たちの脇に
寝た。ストローを牛乳に差し込み、ストローの反対側を人差し指でふさぎ、息子
の唇の上で指を離し、牛乳を落とした。
 UとKは、痛そうな顔はするが、唇に落ちたミルクを飲んでくれた。二人と
も眠っている。眠っているからそれほど痛くはないのだろう。2時間ぐらいで、
二人にそれぞれカップ半分ほど飲ませた。次の日から、その方法で女房が牛乳
を飲ませ、病気は1週間ほどで楽になった。
 痛そうに顔をゆがめ、しかし口はしっかり牛乳を受けとめた。あのときのこ
とは忘れられない。
「U、あのときパパがミルク飲ませてくれなかったら、死んでたよ。感謝しな」
「ああ…」
 そういったUの横顔が、大人っぽくなったなと思った。

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ビールかけ

1998年10月08日 | スポーツ

 横浜がセリーグで優勝した。
 今日は衛星放送で、ベイスターズとタイガースの試合をビール、酒を飲みな
がら見てました。
 3対2で阪神に負けていたのを、8回に横浜が逆転した。
 そして登場大魔人。私は、グラスに酒をそそぎ、これで優勝は決まった、と
思った。おそらくテレビを見ていた人はすべてそう思ったろう。
 先週の金曜日、NHKで「ドキュメントにっぽん 史上最強のストッパー横浜
の大魔人・佐々木ブルペン密着・知られざる戦い」という番組を見た。
 おさえの投手といってもそれぞれ調整の仕方は違うのでしょうが、彼の場合
を見ていたら、胃が痛くなりました。あれで高いお金をいただいてるんだから
しょうがないのだろうが、大変な仕事です。
 10時半過ぎ、お定まりのビールかけが始まった。
 賛否両論ありますが、私、あれ大好きです。
 だって、春からずーっと戦ってきて、やっと勝ち得た優勝。ビールかけぐら
いやらしてあげてください。
 私も、いつかやりたい。しかし、ありえないだろうな。
 私の人生で、あのような晴れがましいことはこれから先ないでしょう。
 だからやれる人はやってくれ、おれの分までやってくれ。

 ところで、阪神ファンの私、今夜は複雑でした。

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ライオンズ優勝

1998年10月07日 | スポーツ

 私は、プロ野球が好きです。
 といっても、それほどの知識はありません。
 スポーツというものが苦手なので、この歳までなるべくやらないように生き
てきた。
 しかし、見るのは好きです。
 今日、ライオンズが優勝した。素直にうれしい。すごいファンというわけで
はない。しかし、空いてるときならうちから車で10分で着く西武ドーム(西
武球場のほうがいいなァ)。そこをホームグランドにしている球団が優勝して
嬉しくないことはない。

 去年の10月3日の金曜日の夜、私は山梨から所沢に向かっていた。単身赴
任の私としては、1週間で一番心が解放されるときです。高速料金を節約する
ために私は、国道20号を使っていた。
 勝沼を過ぎた辺りから山を走る道路になる。電波の受信状態が悪く、さすが
のNHKでも雑音が混じり、ラジオがよく聞こえない。
 大月を過ぎた辺りだったかな、ライオンズが優勝したことをラジオの実況ア
ナウンサーが叫んでいたのは。
 私は、胸が熱くなった。なんといっても私の街のライオンズが優勝したのだ。
そして、私は今から、その所沢に帰るのだ。
「所沢よ、待ってろよ」
 と、ひとり車の中で呟いたが、誰も私を待ってる人なんかいやしない。毎週
帰ってるので、女房も息子たちもだ。
 それでも、
「所沢よ、待ってろよ」
 なのだ。
 帰る道順になっている西武ドームのわきを通ると、まだ、優勝気分にひたっ
ているファンが大勢バンザイなんかをしていた。

 そんなことを今夜、テレビ埼玉で東尾監督の胴上げを見ながら思った。
 ああ…、あれから1年たったのだ。
 これを書いてるとき、U、Kがそれぞれ来た。
「ライオンズ優勝したの知ってる」
 というと、
「ああ…」
 と、そっけない。小学生のとき、ふたりはファンクラブに入ってたんだ。家
族で何度か西武球場に行ったじゃないか。あまりにも冷たい。
 フラメンコの練習から帰ってきた女房にいうと、
「それじゃ、こんどの休み、西友に行こう。バーゲンやるねきっと、でも、あ
まり安くしないんだよね。ダイエーが優勝するといいな。所沢のダイエーは、
西武が優勝しても優勝セールやるけど、自分とこが優勝したらきっとすごいよ
ね。今年のダイエーは優勝どうなの…」
 すみません、女房は野球のことほとんど知りません。西武ライオンズとダイ
エーホークスが、同じパリーグで戦ってきたなんてこと知るよしもないんです。

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子会社の経営者

1998年10月06日 | 健康・病気

 日曜日の朝日新聞の社会面に、「倒産の日本リース元社員 無念の胸の内」
という記事があった。
「結局、自分のサラリーマン生活は一体なんだったのかと思います」
 と書いた、日本リース元社員からの朝日新聞への投書から、この記事は始ま
っている。
 「ー略ー、自分自身と出身銀行の利益のみを頭に入れたでたらめ経営を続け
た結果、現在のような有り様となってしまったのではないでしょうか」
 このこと、私はよく分かります。
 4月まで勤めた会社でも、現在の会社でも、経営者は親会社だけ見つめて自
分の仕事をしている。きちんと会社そのものを考えていない。
 ああ…、やだやだ。
 男気とかプライドなんてもの、こいつらにはないのか。自分が死ぬとき、ど
うゆうふうに自分の人生を振り返るのだろう。
 と、考える私なのだが、そいつらにアホなことはいわず、従順にしたがうこ
とに決めた。逆らうことに疲れました。
 もう先週から、“素直な私”になってます。
 ナ・サ・ケ・ナ・イ。

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郵便受け

1998年10月05日 | 健康・病気

 残業をして、私の住む建物(公団住宅なのでマンションとは呼べない。なん
か自然な表現じゃないな)についたのが8時半。私は、いつもエレベーターの
ボタンを押して(なぜか私が帰るとき、いつもエレベーターは4、5階にいら
っしゃる)コンコースにある郵便受けのものを取り出し、降りてくるエレベー
ターに乗り込む。
 郵便受けに入ってるものは、たいがいはダイレクトメールか、この辺の不動
産屋、食べ物屋、車のディーラーか宅配ビデオ、テレクラなどの風俗関係のチ
ラシがほとんどだ。
 いつもその辺に捨ててしまおうと思うのだが、捨てるところがないので部屋
まで持って帰る。これがすごいゴミなんだな。まったく、紙がもったいない。
 でも、ナンバーキーをはずして郵便受けの扉を開けるとき、中に何があるか
な? と楽しみな気分は毎日ある。
 今日は…。
 ありました。いつものチラシの中に、封筒が。
 誰へのかな? と興味津々なのだがのんびり見ていると、降りてきたエレベ
ーターの扉が閉まってしまう。私は、郵便受けの中のものをわしづかみにして、
従順に私を待っているエレベ様に飛び乗る。扉の閉まったハコの中でチラシに
挟まった封筒の宛名を見ると、「** U様」と書いてあった、ちぃっちゃな字で。
この文字には見覚えがある。3週間ほど前だったか、見たことのある文字だった。
*****子と、同じ名前が書いてあった。
 家に入り、Uの部屋の襖をノックし、出てきたUに、
「U、手紙だよ」
 と、さりげなく渡した。
 私は、その手紙の差出人のこと、いろいろ訊きたいんだけど、訊かない。女
房にも訊くな、といってる。Uの大切な青春、今はそっとしておく。
 Kは、共学の高校でこれまで何人かの女の子と付き合ってる。彼はくわしく
ではないがそれなりに話してくれる。
 Uは男子校で、そんなことはないのでは…、と女房と勝手に思いこんでいた。
 さて、*****子さんは、Uの青春をどうしてくれるのか…。

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秋の桜

1998年10月03日 | 料理

 朝目覚めて、いつものように枕元のポケットラジオのスイッチを入れると、
和歌山の“夫婦”が逮捕されたことを報道していた。
 寝ぼけた頭で昨日のことを思い出してみた。
 ライオンでのかしの木亭オフのあと、土曜日さん、こまさんと新橋で飲んだ。
そのあと、土曜日さんと別れ、こまさんと山手線に乗り、田端でこまさんが降
りた。池袋で西武線に乗ったとき、「所沢では、本川越行き西武新宿線最終と
連絡します」とアナウンスがあり、私は「まにあった」とほっとした。
 めずらしく座席が空いてた。土曜日の夜は人が少ないんだな、と思った。そ
ういえば、新橋の居酒屋でも、土曜日は客が少ない、といっていた。
 私は、バックから柳家小三治の「ま・く・ら」を取り出して読み始めた。石
神井公園を過ぎた辺りで眠くなり、気がつくと西所沢だった。がっかりした。
一つ前の所沢駅で私は乗り換えなければならないのだ。しかたないので私は次
の小手指まで行き、そこから歩くことにした。小手指駅の階段を下りるとき、
女の子二人が抱き合っていた。一人が「私、どうしたらいいか分からなくなっ
ちゃった」と泣いている。思わず「どうしたの? 話してごらん」と声をかけ
たくなったが、いやらしいおじさんに間違われるのはイヤなので、意識しなが
らたんなる通行人として通り過ぎた。
 途中、昔住んでいたあたりの、昔よく飲んだあと食べに行ったラーメン屋で
味噌ラーメンを食べた。あいかわらず汚い店だ。味は変わらずおいしかった。
 ラジオを聞きながら歩く。NHKの深夜便で落語をやっていた。毎月行く床屋
を過ぎ、息子たちの通った小学校の横を歩いて家に着いたのが1時過ぎだった。
この時間だと、防犯上エレベーターが1階ごとに停止するので、階段で5階ま
で登った。
 疲れました。九想話を書いて寝ようかなとと考えたが、落語を聞きながら蒲
団に入るほうに気持ちが負けた。
 というわけで、朝ラジオをつけたときはNHKだった。ダイヤルがNHKだった
ということを書くのに長い説明になってしまいました。
 番組を聞いてるとどうやらテレビの番組を放送しているようだ。急いで蒲団
から抜け出し、テレビをつけた。思った通りだった。ほかのチャンネルにして
もやっていた。これからどういう展開になるか、私も人並みに興味ある。しば
らくテレビの報道番組では、これからこの“夫婦”のことで報道合戦でてんや
わんやなんだろうな。
 今日は、図書館に本を返そうと思っていた。「新宿鮫」を先週読了した。や
っぱり2週間では返せなかった。
 いつもは車で行くのだが、自転車にした。昨日、会社の帰りの広瀬久美子の
NHKのラジオで、所沢のある人からのFAXを読んだ。「防衛医大あたりで桜
が咲いている」。私はぜひ見たいと思っていたのだ。図書館は防衛医大の先に
あるんです。
 自転車で上を見ながら図書館までのんびり行ったのだが、桜の花はなかった。
 今日借りたのは、永倉万治の「大青春」、大沢在昌の「死ぬより簡単」、小
説現代3月号、オール讀物6月号です。
 帰りに、春になると桜が咲く道を思いだし、そこを通った。咲いてなかった。
しかし、1本だけ咲いてる木があった。といっても木全体が咲いてるのではな
く、4、5本の枝にちらほら桜の花が咲いているだけだった。おそらく番組に
FAXした人の見た桜の木ではないだろう。でも、桜の花を見て、私は一応満
足した。
 しかし、朝起きてからテレビを見てるときも、自転車に乗ってるときも、図
書館で本を探していたときも、それからも、ずーと、土曜日さんとこまさんと
話したことを考えてました。

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