ストレッチ体操

2001年07月11日 | 家族

前からもそうなのだが、
「ストレッチをやってあげる」
と女房がよくいう。
そういってくれても、
彼女は夜、家にいるのが少なく、
帰ってくれば自分が疲れているので、
なかなかその待遇にあわない。

でも、彼女の気が向き、
体とこころに余裕があるときに、
たまにしてくれる。
これがいい。
伸びない、曲がらない、私の体を、
女房が引っ張り、押し曲げる。

エアロビクスを2、3年やり、
フラメンコを5年。
その上現在は、スポーツクラブで、
エアロビクス、ジャズダンス、ヨガ、
その他をやっているので、
それらの前に必ずやるストレッチ体操は本格的だ。

板の間に横になり、
片方の膝を曲げ、両手を広げる。
曲げた膝を女房が横に力いっぱい倒す。
「体を曲げない曲げない」
そんなこといっても、
脚と腰はつながってるから膝を倒せば腰も浮く。
「体はまっすぐ。はい、反対の膝。
 息止めちゃダメ。はい、自然な呼吸ね」
(むりだよ。こんな状態で自然な呼吸なんて)
こんなことは、口が裂けてもいえない。
何回か膝を倒してもらっているうちに、
下のほうが“呼吸”をしたくなってきた。
上半身の呼吸は不自然なのに、
“自然”に1発デカイのが出てしまった。
女房が怒るおこる。
「次におならしたら、すぐやめるからね」
私は、笑いが止まらない。
「ストレッチもいいけど、
 こうして思い切り屁すると気持ちいいね。
 ふだん、したくなったときはたいがい
 我慢しなくてはならない状況だもんな」
「やめてよね。こんどしたら、
 絶対ストレッチやらないから。分かった」
次は、床に坐って手を上に伸ばし組んで、
それを女房が横に倒す。
痛いけど気持ちいい。
毎日、ワゴン車の大きなリアガラスを吸盤につけ、
キズを検査するために表と裏にひっくり返している。
1日100何回繰り返している。
もう右も左も肩がパンパンだ。腰も痛い。
ストレッチはきついけど、
終わるとすっきりする。
20分ほどしてくれた。
「ほんとはこれ、自分でするのよ」
次もお願いします、女房どの。

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二択

2001年07月10日 | 友人

仕事が終わり帰ろうとするおれに、
シンちゃんがいう。
「喉が渇いてどうしょうもないときに、
 しっかり冷えてるビールと、
 2、3日蓋が開いてて、
 気が抜けた、なま暖ったかいコーラが
 目の前にあるとします。
 Oさん、どっちを飲みますか?」
「そりゃ、決まってるじゃないの。ビールだよ」
「ボクは、絶対コーラです」
そうシンちゃんは、汗びっしょりの顔をしていった。
彼は、32歳の独身。
いい青年です。
会社で、こころをふさぎっぱなしのおれが、
全開できるやつです。
彼は、お酒を一滴も飲めないないひとなんです。


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昔の落書き

2001年07月09日 | Weblog

今夜も女房がいなかった。
友人と飲みに行った。
アルコールがだめなあいつだが、
飲みに行っている。

なんのきまぐれか私は、
20代から30代の日記を5、6冊持ってきて、
読み始めた。
とうぜんビーシュを飲みながら。
ああ…、おれは変わらない。
今と同じ様なこと書いている。
進歩がない。

日記の中に“詩”のようなものを
殴り書きしたノートがあった。
23歳のあるときに書いたものだ。
誰にも見せないとはいえ、
よくこんなものを書いたな、
という想いです。
いつか詩のページもつくってみよう。

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「あそんでるの」

2001年07月08日 | 家族

昨日、会社から家に帰り、
通路にかけてあるホワイトボードを見ると、
「図書館から電話があった。
 借りてる本の中で予約が入ったものがあり、
 その本は返却期間が過ぎているので、
 早く返すようにといってきた」
と、息子のへたくそな字が並んでいた。
ああ…、またか。
(なんで、おれの借りる本なんか予約するんだろう)
所沢の図書館は、2週間5冊借りられる。
私は、2週間では読み切れないので、
ついつい3週間ぐらい借りている。
期間内に返そうとは思っているが、
いつも遅れる。反省。

今日11時頃、図書館に行くとき、
車で行くか、自転車にするか迷った。
図書館は、航空記念公園にあり、
そこの駐車場に停めてから10分ぐらい歩く。
日曜日など駐車場が空いてないときがある。
自転車で行くことにした。
今日は晴れていたが、
けっこう風が涼しくて気持ちよかった。
住宅街の中を自転車で行くと、
兄弟なのか、3歳ぐらいと小学校低学年の
男の子が道路にいた。
あまりにも可愛いので、
ずーっと見つめて自転車で近づくと、
私を見ていた小さな子が、
「あそんでるの」
という。
私は思わずうれしくなって、
笑顔を返し、通り過ぎた。
(そうか、あそんでいるのか。よかったね)
ああ…、うちの息子たちも
あのぐらいのときは、可愛かったな。
あの息子たちはどこに行ってしまった?
(イエデ、ネテイル)


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学校給食

2001年07月07日 | ラジオ

5時で仕事を終え、車に乗る。
カーラジオをつけると
「土曜ほっと」というNHKの番組で、
学校給食の話をしていた。
はじめパンの給食から米飯にかわり、
ご飯も、牛乳で炊いたり、
オレンジジュースで炊いたものがあった、
なんてことを話していた。
リスナーからのFAX、Eメールでは、
鯨の竜田揚がおいしかったなど、
思い出がたくさん送られてきた。

都会のひとはいいなァ、
というのが私の感想です。
私の育った茨城の片田舎では、
完全給食はなかった。
週に何回か(毎日だったかな?)、
当番で母親たちが学校に行き、
けんちん汁とかカレー汁などを作ったものが、
給食として出た。
材料の野菜などは、児童が持っていくのです。
私の弁当のおかずは最悪だった。
ほとんどが卵焼きだけだった。
あるときなんか、
海苔の佃煮の瓶を机の中に入れておいて、
弁当は、麦混じりのご飯だけだった。
昼になると、海苔の佃煮だけで食べる。
給食がありがたかった。

しかたないんです。
家は貧しかったし、
母は朝やること多くて、
(その頃家族が9人もいたのです。
 祖父母、両親、子ども5人)
弁当のおかずに手をかけてられなかった。
なにしろ、ご飯炊くのも料理作るのも、
かまどで木を燃やしてやるのです。
洗濯は、たらいで洗う。
朝早く起きて、そういうことやって、
父と一緒に百姓に行っていた。
それをしていた母を今想うと、
胸が熱くなります。

学校で、昼食の時間が一番イヤだった。
私は4年まで分校で、
5、6年は自転車で30分ぐらいかかる
本校まで行った。
本校での給食は、
脱脂粉乳の牛乳1本だった。
寒い冬、脱脂粉乳と冷たい弁当はね…。

しかし、分校のとき食べた
けんちん汁とカレー汁がおいしかったな。

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落ち込むな~

2001年07月06日 | テレビ

どんなに余所行きの顔して、
九想話を書いてても、
こころは落ち込んでいる。
つまんない暮らしのせいだ。
こうなってるのは、
自分がわるいと分かってはいる。
情けないくらい自覚している。

今週、テレビで、
小沢昭一、嵐山光三郎、瀬戸内寂聴
の話を聴いた。
小沢昭一はニュースステーション。
嵐山光三郎はニュース23。
瀬戸内寂聴は昨日の10時からの
ETV2001(NHK教育)だ。
この3人はかなり好きなひとです。

特に、小沢昭一は、
どうしょうもないくらい好きだ。
小沢は、久米宏と俳句のことなどを話していた。
俳句は、五七五の言葉数で、
いい尽くせないところがいい、
といっていた。

嵐山光三郎もけっこう好きです。
「不良おやじのススメ」を、
筑紫哲也と語っていた。
1ヶ月前ほどかな?
日曜日午後6時15分からの
「ようこそ先輩」に出ていた。
母校の小学生に、俳句を教えていた。
「俳句は写真だ」
とかなり力説していた。
私も勉強になる授業でした。

瀬戸内寂聴は、人生相談という形で、
「突然の死と向き合う」
「遺族の心をいやす」
ということで話していた。
3人とも興味深く面白い話だった。

先週からの読書は、
花村萬月のエッセイ「萬月療法」(双葉社)
を読んでいる。
私より2つ年下のこのおじさん、
なかなかいいやつです。

私も落ち込んでいちゃだめだな。
とは思うのですが…。

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逃げたらあかん

2001年07月05日 | テレビ

今夜の「にんげんドキュメント」(NHK9時15分)は、
60歳の新人プロゴルファー古市忠夫さんを紹介していた。
6年前の阪神淡路地震で写真店を焼き、
そのときたまたま車に積んでいたゴルフクラブが残っていて、
それからプロゴルファーを目指した。
写真店を再開しようにも、
まわりの状況はそれどころではなく、
借金してまでやることはないと判断した。
それは分かるが、
それではなぜプロゴルファーなんだ。
やっぱり自信があったのでしょうね。
「気持ちさえ前向きにしてれば、絶対なれる」
と奥さんにうちあけると、
「あんた、何考えとん」
と奥さんはいったそうだ。
これまで、60歳以上でプロテストに合格したのは、
1人しかいない。
競争率40倍。
古市さんは、一昨年1次予選にも通らなかった。
それでも、
「逃げない。悔いのないように生きたい」
と考え、やり続け去年の9月に合格した。
一緒にテストを受けたのは、20代の若者ばかり。

古市さんは、自治会長をやっていて、
日曜日にはお年寄りを公民館に集めてお茶を飲み、
みんなで話せる場をつくっている。

今年の2月、
新人プロトーナメントで3位になり、
賞金25万円を獲得。
しかし、自宅を建て替えた2500万円のローンの
足しにもならない。
練習は、ゴルフ場で素人を教えるあいまや終わったあと、
家の前での素振り、海岸に出てバンカーの練習と、
お金を使わないでしている。

消防団の副団長もしていて、
その活動も先頭になってやっている。

関西地区の60歳以上のプロ59人が出る、
関西プログランドシニア大会に出るには、
交通費、宿泊代は自分持ちだ。
結果はよくなく(タシカ)7位(あ…、メモしてない)
賞金は45000円だった。
8月に、シニアトーナメントがある。
賞金は、6000万円。
古市さんは現在これに向け練習している。
私は応援する。
といっても、私ゴルフのことまったく知りません。

こういうひとを知ると、
私もやらなけりゃな、と思う。
私だって、夢はまだ捨ててない。

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おふくろ

2001年07月04日 | 家族

7月4日は、おふくろの誕生日。
今は、特別養護老人ホームにいる。
夜、田舎の兄に電話をした。
「かあちゃん、どうだった?
 誕生日覚えていた?」
「だめだよ。覚えでねェよ」
最近は歩くのも衰えてきた、
と兄がいった。
おふくろは、今日で、87歳になった。

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生ビールな誕生日

2001年07月03日 | 家族

7月3日は息子たちの誕生日だった。
去年は20歳の誕生日だったので、想いが大きかった。
でも今年だって、やっぱり私にとっては、大きな記念日です。
未熟児で生まれたちっちゃな双子が、21歳になったのです。

今日は、残業を断って定時に帰ってきた。
帰りに酒屋で2リットルの生ビールを買ってきた。
ビーシュ(ビール系発泡酒)ではありません。(シツコイ)
息子たちと飲みたいと考えたのです。
家に帰るとKがいた。
シャワーを浴びて出た頃、女房が帰ってきた。
7時過ぎ、Uの帰りが分からないから、Kとメシにする。
「生ビール買ってきたから飲もう」
というと、
「今日は明日のゼミの準備をするからいいや」
とKがさみしいことをいう。
「ちょっとだけ飲めよ」
と私。
「じゃ、ちょっとだけ」
私はグラスに1杯つぐ。

Uは10時過ぎに帰ってきた。
私はテレビの前でいぎたなく寝ていた。
Uに生ビールがあるというと、
「飲む」という。
めずらしい。
今日は、“話しかけないでバリア”が張ってない。
女房がいろいろ話しかける。
メシが終わって立ち上がろうとするUに、
「まだいいじゃない。もう少し話そうよ。
   お金あげたんだから、その分だけでもいたっていいじゃん」
まるでホストにいうセリフだ。
Uはまた坐りなおし、グラスにビールを入れた。
誕生日プレゼントとして、息子たちにうちとしてはまとまった金をやった。
小遣いをふだんやってないので、奮発した。

2リットル、1280円の生ビールのささやかな誕生日でした。

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負けない指しかた

2001年07月02日 | テレビ

昨日、WBA世界ライト級タイトルマッチ
をテレビで観た。
チャンピオン畑山隆則と同級1位のジュリアン・ロルシー(フランス)の戦いだった。
畑山はテレビ番組の「ガチンコファイトクラブ」などにも出ているので、
女房は大ファンだ。
格闘技の試合などまったく観ない彼女だが、昨日はテレビの前に陣取って、
若い女の子のようになって、黄色い声援をテレビに向かって叫んでいた。
私もとうぜん、応援していた。
試合は、畑山が終始攻撃していた。
12ラウンドが終わり、女房も私も畑山が勝ったと思った。
このへんが素人なんですね。
判定は0ー3で、畑山が負けた。
朝日新聞の「ハイライト」というコラムを読むと、
畑山はボクシングに燃えていなかったようです。
このコラムは、根岸敦生というひとが書いていた。
あれ、この人は、わいわい雑俳塾の三河屋治右衛門さんではないか。
先日はありがとうございました。
と、わけの分からないことを書く九想です。

将棋に「負けない指しかた」というのがある。
昨日のロルシーは、まさしく「負けない指しかた」だった。

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