LOS INCAS - Urubamba (musica andina)
私はこんどの「わいわいがやがやコンサート」では2曲だけ吹くことにしていた。
ところが昨日練習しているときに、
「『ウルバンバの流れ』もやれば」とマスターにそそのかされてしまった。
この曲は、私が初めてパンカーラで吹いた曲です。
しばらく吹いてなかったので指使いを忘れていました。
どうなるでしょうか?
じゃない、がんばります。
今度の土曜日、北軽井沢のパンカーラでライブがあります。
「わいわいがやがやコンサート」です。
私が、伴奏をしてもらうマスターと音合わせをしにパンカーラに来たら、
SAY1さんも来た。
先週、SAY1さんと偶然にツルヤで会っていた。
そのとき今日パンカーラに練習に行くといっていた。
あ…、おれはへたです。
ミラーレス一眼レフを買ったが、まだそれをあまりいじってない。
時間もないこともあるが、この寒さがいけない。
つい出かけるときにコンパクトデジカメを持ってしまう。
このカメラ用のメモリーカードを買ってないこともあった。
コンパクトデジカメに使っていた 4GB を入れてはある。
ネットで安いものを買おうと考えていた。
しかし、いざメモリーカードを買おうと思ったら、私にメモリーカードに対しての知識がなかった。
私は漠然とSDメモリーカードと思っていたら、現在は、SDHCメモリーカードなんですね。
そしてそれにスピードの違いがあるとか、知らなかった。
SDスピードクラスというのだそうです。
Class 2から10まである。
昨夜、ネットで買おうとしたが、途中でやめた。
32GB Class10 が1,500円ほどで買えた。
しかし、送料とか代引き手数料がかかって、プラス1,000円ぐらい増える。
なんかそんなのが面倒になってやめた。
今日は夕方5時15分に職場を出られた。
ツルヤに行く前にヤマダ電機に行ってみようか、どうしょうか悩んだ。
数日前、滋賀県の友人に相談したら、
「32GBなんていらないよ。16GB で十分だよ。それに8GB を1枚もっていればいいよ」という。
やはりヤマダ電機に行ってしまった。
メモリーカード売り場に行くといろいろありました。
名の通ったメーカーの32GB Class10 だと安くて3,980円なんてのがあった。
32GB Class6 で2,980円 というのもあった。
たしかE-PL3の動画はClass6 に対応しているとカタログに書いてあった。
でもどうせならClass10 が欲しかった。
少し上の方に、16GB Class10 のものが1,440円というものがあった。
メーカーは台湾のradiusというものだ。
私は悩みました。
どうせなら日本製のClass10が欲しかった。
しかし、さんざん悩んでその1,440円のものにした。
ツルヤで食材の買い物をして家に帰った。
帰ってさっそく買ってきたメモリーカードをカメラにさした。
電源を入れると「このメモリーカードは使用できません」という表示が出た。
やっぱりかよとガッカリした。
しかし、何かの間違いかなと思った。
何度かカードを出し入れしていたら、使える状態になった。
私は、明日から2連休です。
ミラーレス一眼レフでこの近所の写真を撮りまくりたい。
同窓会で会ったもう1人のことを書きます。
彼の本名はJではありません。
便宜的に、Jにします。
彼とは同じ高校だったがクラスは別だった。
私の高校は、2・3年は音楽、美術、書道、進学クラスに別れていた。
私のいた1組は音楽専攻で、彼は美術だったと思う。
Jとは中学3年のときに同じクラスだった。
高校のころどのようにつきあっていたかよく憶えていない。
おそらくそんなに親密につきあっていなかったと思う。
ところが私がギター工房を辞めて田舎の金物屋に勤めていたころ、彼の家によく行っていた。
彼のお兄さんはトタン屋、正式には板金業というかな?
それでメシを食っていたが、仕事は仕事として趣味に生きていた。
でもあれは趣味じゃないだろうな。
あれはプロヘェッショナルといってもいい。
お兄さんは、昆虫写真家で、ハチの写真集の本を出版していた。
お兄さんの影響といっていいのだろうか、Jもカメラが大好きだった。
彼の家の仕事場の隅に、写真の現像をする暗室があった。
そこで私も写真の現像などを教わった。
Jはそのとき、なんの仕事をしていたのだろう。
近くの工場にでも勤めていたのかな。
彼にはカメラマンになる夢があった。
そして彼とつきあっているうちに一緒に上京しよう、ということになった。
彼は夜の写真専門学校へ、私は夜の予備校に行くことにした。
2月のある日、Jと私はアパートと仕事を探しに東京に行った。
最初は同じアパートに住もうということだったが、それはやめた。
やはり同じアパートに暮らすことは難しいと考えた。
私は上野駅で降りてから山手線に乗り、
駅前に大きく「アパート」などと書いてある不動産屋の看板が多かった駒込駅で下車した。
そして駅から歩いて15分ほどかかる3畳のアパートを見つけた。
Jは高円寺にアパートを借りた。
4月からそれぞれに写真の専門学校と予備校に通い始めた。
私は、1・2ヶ月に1回ぐらい高円寺に行った。
そのうちJは女の子と同棲を始めた。
高円寺に行くと酒を飲み、私は彼のアパートに泊まって翌日勤務する会社に行っていた。
そのうち私も仕事が忙しくなったりして高円寺に行かなくなった。
そのとき同棲していた女性と結婚し、同窓会が終わるころ彼女が車で迎えにくるとJが話してくれた。
縁がなく子どもは生まれなかったそうだ。
Jと同窓会で会ったのは37・8年ぶりだった。
彼は、夢を実現させて写真家になっていた。
おもに風景や動物の写真を専門に撮っているようだった。
これまでにイギリスの雑誌社のコンテストに応募して賞をもらったことがある、ということだった。
イギリスまで行って授賞式に出られたときは、カメラマンになってよかったと思った、という。
そんな彼を見て高校時代とまったく変わっていないと私は思った。
私は予備校を途中でやめて、大学にも行かなかった。
私の夢だった教師にもなれず軽井沢なんぞで1人で暮らしている。
ちょっと忸怩たる思いが私にはあります。
水に流して (私は後悔しない) NON,JE NE REGRETTE RIEN
明日は日曜日、家で九想話を見ているひとが多いと思う。
ぜひ、この歌を聴いて下さい。
私が最近、気に入っているエディット・ピアフの歌です。
今日、職場で取っている信濃毎日新聞を見る。
1月17日(木)の新聞に芥川賞と直木賞を受賞されたひとのことが書いてあった。
こういう方が受賞したんだ、としみじみ読む。
戦後最年少で直木賞をとった朝井リョウさん。
18年ぶり2度目の候補で直木賞の栄冠を手にした安部龍太郎さん。
史上最年長で芥川賞に決まった黒田夏子さん。
「時の顔」という欄を読んで、それなりの努力をした素晴らしいひとが受賞したんだな、と思った。
特に、黒田夏子さんの受賞は、“文学老人”に希望をあたえた。
私だってもう少しがんばってみようかな、と思っちゃったりして。
今日17日は、阪神淡路大震災が起きてから18年目になるんですね。
あの日の朝、5時前に地震の揺れで目が覚めたことを憶えています。
昨夜、ブログ「のはらだより」を読んでいたら、
娘さんと「レ・ミゼラブル」の映画を観に行って号泣した、と書いてあった。
私も今日、女房と観に行こうと思った。
ネットで佐久市のアムアムビレッジの中にある映画館のことを調べてみた。
映画は、12時から始まる、それに行こうと思った。
1人が50歳以上の夫婦なら2,000円で入れる。
今朝、女房にそれを提案すると「行かない」と即答された。
この答えが返ってくることは承知していた。
結婚したころ銀座でダスティン・ホフマンの「クレイマー、クレイマー」を観たことがある。
あと息子たちが小さいときドラえもんを観に行った。
それ以来夫婦で映画館に行ったことがない。
それでも今回だけは付き合ってもらおうとお願いした。
「京都ののはらさんが観に行って号泣したんだよ」
「私は、映画館で映画を観たくないの」
そうなんだ。彼女はそういうひとなんだ。
「なんで隣のひとの泣き声を聞かなくちゃならないの」
映画はDVDを借りてきて、自宅で気ままに1人で観ることが好きだと、女房はいう。
そういうわけで結局今日も、家でのんびりすることになった。
11時ごろ家を出て湯川ふるさと公園を歩くことにした。
ついでにツルヤで買い物です。
この雪の量を見て、今回は大雪が降ったんだとあらためて知った。
あのおじいちゃんにあった。女房は、うれしそうに話していた。
ちょっと読みにくいでしょうが、女房が「ひ」「さ」「し」という文字を雪に書いた。
女房が立っているところはハートマークだそうです。
雪の上に遭難者がいます。いえ、バカな女房です。
立ち上がり、こんどは四角のベンチに積もった雪に寝るアホなひとです。
女房が雪の上に寝ると気持ちいいよというので、つられてやるアホな亭主です。
家の近くだからすぐ着替えればいいからとまた雪ふとんに寝る女房。
私はもういいと拒絶するが、「気持ちいいからやりなよ」という。
しょうがない、思いっきり雪に寝ころびました。
雪ふとんがふかふか柔らかくて気持ちよかったことは事実です。
しかし、よい子のみなさんは真似をすることはよしましょう。
昨日、仕事を終えてから高速バスで女房がやってきた。
朝、さっそく雪かきをしてくれた。
私は、職場で連日雪かきをしていて辟易していた。
女房にすれば新鮮な作業のようで、ある意味、東京での日常生活からの解放になるのかも知れない。
終わってからゴミ捨てに行った。
じん芥処理場からの帰りにホームセンターのD2、ツルヤで買い物をした。
トンボの湯に行こうと計画していたが、なんか気分が乗らなくてよした。
家のお風呂でいいや、ということにした。
今日は家でのんびりしようということにして、ほとんど私はコタツで寝ていた。
夕方、私はお風呂場を洗った。
それをしていて、ふと昔のことを思い出した。
息子たちが小学生の低学年のころのことです。
私たちは所沢の公団住宅のテラスハウスに住んでいた。
2階建ての家が8つつながっている長屋みたいな住宅です。
小さな庭があり、私は花壇を作っていて春になるとチューリップや薔薇が咲いた。
いつもUとKの笑い声が賑やかだった。
女房が夕食の準備を台所でしていて、私がお風呂場を洗っている。
息子たちはファミコンをテレビにつないでゲームをしている。
風呂を洗い終わりお湯をわかして、
ゲームを中断させられてブーブーいってる息子たちを私が風呂に入れる。
風呂から出ると、居間にしている6畳の部屋のテーブルに女房の作った料理が並んでいる。
この家は、1階に1部屋、2階に2部屋で、思えば狭い間取りだった。
でも、私としてはあの家の暮らしが一番楽しかった。
息子たちが私の近くにいて、毎日ワイワイガヤガヤ暮らしていた。
現在は、息子たちが独立して所帯を持ち、家族4人がそれぞれの場所で暮らしている。
孫も2人いて、みんな今のところ健康だ。
お風呂を洗いながらそんなことを考えてしまった。
ちょっぴり胸が熱くなった。
あのときから私は何回転職しただろう。
行くところ行く会社が不景気になったり、消えていった。
よく息子たちを大学までやれたと、思う。
おかげで私と女房には家がない。
わが家の収入は全部息子たちの教育費に消えた。
風呂にお湯を入れているときに、私はケーナを吹いた。
いい音がしない、スカスカだ。
来週の土曜日(26日)がライブの日だ。
7時前、夕食になった。
鶏のむね肉のショウガ焼きが晩飯のメインだった。
「むね肉はカロリーが低くて身体にいいんだよ」女房が得意げにいう。
価格が安いからむね肉にしたんではないときっぱりという。
やっぱり私は豚肉のショウガ焼きがいいかな。
15日は、私の入っている句会の結果の出る日です。
順位 作者 合計点
1位 九想 15点 点
枯柳イルミネーション飾られて 5
痩せた父話す相手の懐手 5
生き下手を直し切れずに年暮るる 5
久しぶりの1位でした。
今回、1位は2名だった。
12月の句会の題は、「枯柳」「懐手」<“下”しばり>。
正直なところどの題にも苦しんだ。
「枯柳」なんて私の暮らしのどこにもない。
「懐手」は、和服を着ない現在では死語といってもよいのではないでしょうか。
かろうじて<“下”しばり>はなんとかなると思った。
どうにか句をひねって12月30日にメールで投句した。
正直なところ3句とも満足できる句ではなかった。
しかし、他にどんな句も作れなかった。
時間もないことなので、“ええいままよ”と投句してしまった。
この3句の中で私が一番好きなのはつぎの句です。
生き下手を直し切れずに年暮るる
どなたからか“説明しすぎの句”とかとの声が飛んできそうです。
今日、職場から家に帰るのに4時間ちょっとかかってしまった。
いつもは30分前後で帰れる距離(18km)です。
御代田に入ったあたりからまったく車が動かなくなってしまった。
停まって20分ほどほとんど進まないときが何回かあった。
渋滞というより停滞です。
ちょっとした傾斜したところでタイヤがスリップして、前進できなくなってしまった。
そのとき、うしろのトラックの運転手さんにお願いして、車を押していただいた。
(すみません。住所とお名前を訊くゆとりが私にありませんでした。お礼だけは大きな声でいいました)
今日は家に帰れないのではないか、と覚悟した。
あるところで大型トラックが私の車を追い抜いていった。
私はこんな雪道で追い抜きをするトラックに呆れた。
しばらくしてそのトラックが目の前で停まり、チェーンをつけはじめた。
そのため私はしばらくそのトラックのうしろにいなければならなかった。
反対車線に車が来ないことを確認してそのトラックの横を行った。
私のその精神的苦痛は、そのトラックドライバーの無神経さのせいだ。
長時間乗っていたので、明日ぐらいに給油すればいいと思っていたが、
給油ランプがついてしまいガソリンスタンドに行った。
トイレにも行きたかったのです。
スタンドのお兄さんに「この渋滞はなんですかね?」と訊くと、「上信越道が止まったからですよ」という。
上信越道が通行止めになってしまったことで、国道18号が車であふれたからこうなったようだ。
私は、交通事故も起こさず無事帰れたことに感謝します。