去年、庭の花壇に植えたチューリップの球根が成長して、芽を出していた。
もともとあった水仙の花がそろそろ咲きそうです。
春は、そこまで来ています。
今日、埼玉の家に来た。
軽井沢の家を9時に出た。
私の予定としては7時に出るはずだった。
6時前に起きてはいたのです。
ところが朝飯を食べ、荷物の準備などをしているうちにどんどん時間が過ぎていった。
何を持って行くかなんてことで悩んだせいでもある。
今回、9日間埼玉にいるので冷蔵庫の食材をほとんど持って行くことにした。
出かけるときになって図書館に本を返却しておこう、なんて考え歩いて図書館に行った。
中軽井沢に帰るのが4月2日、今借りている本の返却日が4月1日だった。
水抜きをするかしないか?でも悩んだ。
さすがに最近の気温では凍らないだろう、とは思ったが、やっぱり水抜きをした。
そんなことをしていて、結局中軽井沢の家の駐車場を出たのが9時になってしまった。
高速代を節約して一般道を走った。
しかし、時間を考えて高崎ICから関越自動車道に乗ることにした。
今日は、女房が会社を休んで家で待っていたのです。
全部を一般道で走ると4時間弱はかかってしまう。
埼玉の家には11時20分に着いた。
約2時間20分で着いたことになる。
碓氷軽井沢ICから高速道路を使うと2時間で着く。
ということは高崎ICから高速道路に乗ってもそんなに時間は変わらない。
碓氷軽井沢ICから東松山ICまで、高速代が2600円、高崎ICからだと1430円だった。
これから急ぐときには高崎ICから高速道路に乗ろうと思った。
本庄児玉ICからだと高速代は960円だが、3時間以上はかかってしまう。
今、調べてみたら上信越道の藤岡ICからだと1250円だった。
これも検討する価値があると思った。
家で少し休んで食器棚を買うために女房と出かけた。
近くのニトリに行った。
これまでニトリに行っては展示品処分で安くなっているものはないか、と探していた。
ニトリでは、キズなどがあると1万円ほど安くして展示品処分をしていた。
しかし、なかなか気に入ったものが安くなっていない。
今日は、そういうことはあてにしないで食器棚を買おうとニトリに行った。
ひとつ展示品処分になっていたのがあった。
2万円ほど安くなっていた。
それは上の引き戸の動きが重かった。
閉める最後の5センチほどのところが重かった。
2万円ほど安いのが魅力だったが、その引き戸の開閉の重さが辛かった。
女房は展示品処分ではないものを選び買った。
6万円ちょっとのものだった。
今は、引越シーズンで配送が遅れていると店員がいう。
4月10日配達ということになった。
これでまた少し、埼玉の家での暮らしが快適になるだろう。
夕方、5時頃ウォーキングに出た。
風が強く寒かったのでダウンを着て冬のかっこうで出かけた。
しかし、道々には花が咲いていた。
私はそれらの写真を撮って歩いた。
今日、東京では桜の開花が発表された。
このへんの桜はまだ固い蕾です。
木蓮の白がきれいだった。
水仙も咲いていた。
春が楽しみです。
「真夜中の五分前 side-B」(本多孝好著 新潮文庫)を昨夜読了した。
「真夜中の五分前 side-A」の九想話を書いたのが2月6日だった。
すぐ「side-B」を読みたかったが、図書館で見つからなかった。
誰かが借りていたのだろう。
3月18日(水)、「ふぞろいの林檎たちⅡ」を返却に行ったときに見つけたので借りてきた。
軽井沢図書館に感謝です。
あれから2年たっている。
“僕”はある男と待ち合わせている。
女性の上司が会社を辞めたあと、“僕”も会社を辞めた。
IT企業で成功した人に誘われて仕事を始めている“僕”。
はやらない店にアドバイスをして儲かる店にする仕事だ。
順調にうまくいっている。
「side-A」でつきあい始めたかすみは半年後、ゆかりとスペインに旅行に行き事故で死んだ。
ゆかりは生き残って夫の尾崎と暮らしている。
待ち合わせの相手は、この尾崎だった。
尾崎は、生き残ったゆかりをどこか疑っていた。
強くは断定できないが、ゆかりではないのではないか、と思っている。
ゆかりが死んで、かすみがゆかりになりすましているのではないかと。
それを確かめたいから、“僕”を家に呼んでゆかりと会ってくれという。
“僕”は、かすみだと尾崎が疑うゆかりに会いに、尾崎の家に行く。
“僕”の心のどこかに、「かすみ」だったらいいと思う気持ちもある。
私は思う。
やはりこの作者は双子というものを考え違いをしている。
いくら双子が似ているといっても、100%間違えるようにまで似ていることはない、と思う。
一卵性双生児を育てた親の立場として思う。
うちの息子たちもかなり似ている双子だ。
息子の友人たちもよく間違えたようだ。
私も間違えたときがあった。
でも、それは、「間違えた」であって、その何分か後にはその「間違い」に気づく。
ずーっと「間違い」続けることなんてありえなかった。
双子姉妹がスペインで事故に遭い、片方が生き残る。
生き残った彼女が、妹になりすまし妹として生きて、好きだった妹の夫と暮らすなんてことには無理がある。
いくら似ていても双子には、どこか違うところがある。
一緒に暮らしていればそれに気づく。
気づかないはずはない。
くどいようだが、“間違える”ことはあっても、“間違い続ける”ことはありえない。
だからこの小説の設定には無理がある。
とはいうものの、作者の文章のうまさで物語に心地よく引きずりまわされた。
この小説が映画になったらしい。
原作とはかなり違うとネットに書いてあった。
テレビで放送されたら観てみたいものです。
今日も湯川ふるさと公園を散歩した。
といってもかなり大股早足で歩いた。
これは水仙だったと思う。
だんだん、緑のところが増えてきたような感じです。
今日は、浅間山がきれいに見えました。
暖かかったので親子連れが沢山いました。
これから軽井沢はいい季節になります。
「ふぞろいの林檎たちⅡ」(新潮文庫)を、おととい読み終えた。
「ふぞろいの林檎たち」は、大学生の話だったが、「Ⅱ」では社会人になっていた。
このテレビドラマを私は観た記憶がない。
いや観ていて覚えていないのかも知れない。
1985年に放送されている。
私の息子たちが5歳のときというと、私はいつも息子たちと8時頃一緒に布団に入り絵本を読んでいた。
そのまま寝てしまい、11時頃女房に起こしてもらいそれから深夜3時ぐらいまで小説を書いていた。
なので観ていないのかも知れません。
その生活を続けていたら、私は小説……。
仕事が忙しくなり、小説を書くことから離れてしまいました。
(という、いいわけです)
運送会社に就職した良雄(中井貴一)。
工作機器を扱う下請け商社に就職した健一(時任三郎)と 実(柳沢慎吾)。
嫌みな上司がいる良雄、営業成績を上げるために苦労する健一と実。
健一と陽子(手塚理美)は恋人同士なんだが、男と女としていろいろ悩む。
晴江(石原真理子)は突然看護婦をやめ、水商売をし、良雄とつきあうようになる。
実は、綾子(中島唱子)といい関係になる。
夏恵(高橋ひとみ)と修一(国広富之)の関係も微妙だ。
修一が晴江に夢中になり、夏恵と同棲を解消するが、最後は元の鞘に…。
いろいろあるが「ふぞろいの林檎たちⅡ」としてはハッピーエンドです。
『ふぞろいの林檎たちⅡ』Dorama 第7話
先週は、日勤ばかりだったのでウォーキングに行けなかった。
今日は仕事が休みだったから、久しぶりに湯川ふるさと公園へ行った。
遊歩道の雪がすっかり消えていた。
うれしくなった。
地面を見ると、緑の小さな芽が沢山出ていた。
春ですね。
道ばたにこのような動物の毛があった。
これはどうゆうことだろう?暖かくなって毛が抜けたのか?
今は、公園の道から湯川が見えるが、夏になると草が生えて見えなくなります。
暖かくなると、子どもたちであふれる公園です。 新幹線の線路、晴れていれば浅間山が見えます。
浅間大橋と離山 この先で湯川ふるさと公園は終わりです。
まだ冬枯れの景色ですが、これから緑色になってゆく湯川ふるさと公園です。
いろんな花が咲いてくるのが楽しみです。
関西電力と日本原子力発電(原電)は17日、運転開始から40年を超えて古くなった原発3基の廃炉を決めた。
九州、中国電力は18日に老朽化した2基の廃炉を決める予定のようだ。
廃炉になるのは、関電の美浜1、2号機と、原電の敦賀1号機。
九電は玄海1号機、中国電は島根1号機を廃炉にするようだ。
国内の原発は48基から43基に減るという。
ニュースを聴いているとこの廃炉に金がかかるので、電気料金に上乗せするという。
原子力発電は他の発電方法より安く、良いといわれてたのではないか。
それが、廃炉にするのにお金がかかるから電気料金に上乗せするというのは、
“オレオレ詐欺”“特殊詐欺”とあまり変わらないなと思った。
しかし、廃炉にしたあとのあの核のゴミをどうするんだろう?
日本では最終処分場が決まっていない。
核のゴミのことなんてまだ先のことだと呑気に考えていた関係者の脳天気なこと。
東日本大震災で起きた福島の原発事故によって、原発の寿命が60年から40年になっての大あわてぶり。
スウェーデンでは核のゴミ最終処分場は決めたという。
NHKの解説委員が現地に行きその報告した番組を私は観た。
日本は、どうすんだろう?
心配だな…。
私は日記を中学2年生の9月から、なぜか私の祖父が亡くなったときから書き始めている。
なので私の日記の最初には、祖父の葬式のことが書いてあります。
最初は大学ノートだった。
そのうちに日記帳を買えるようになり、それに書いた。
仕事をするようになってからは大学ノートに戻った。
現在、それらの日記(20冊ぐらいかな?)は、埼玉の家に置いてある。
私の思春期・青春期から青年期・中年の頃までのことが書いてあります。
なぜか軽井沢に日記が1冊あった。
それはこれです。
この日記の書き始めは、1996年4月18日(木)だ。
それから、2008年2月19日(火)まで書いてあって途切れている。
かなり飛び飛びに書いてあります。
ノートの5分の2ほど残っているので、このノートに3月4日からまた日記を書いている。
九想話は日記のようなものだが、私にも他人に知られたくはないことはあります。
それを書くために紙の日記は必要だとしみじみ思う。
これには、自分の気持ちがちゃんと書ける。
九想話には世の中の良いことや心あたたまることを書くようにしているが(なかなかそうもいきませんが…)、
紙の日記には、自己嫌悪や世の中への恨み辛みを書いている、実に情けないものです。
日記を読むと、私に“成長”というものはないようです。
今、私が吹いているプラスティックの尺八をくれたひとのことを想う。
このところ毎日尺八を吹いているからだろう。
シマさんというひとだった。
このひとのことを書こうとしたが、むかし九想話に書いたことを思い出した。
それを読んでみたら、なにもあらためて書かなくてもそれを読んでもらえばいいと考えた。
2004年6月12日「マジック」 ← クリックして下さい
2004年6月13日「シマさん」 ← クリックして下さい
シマさんは今、どうしているんだろう?
生きているのか。
20年ほど前に駒込のあのアパートに行ったときには、マンションになっていた。
あのアパート「五月荘」が建て替えられたときに、シマさんは出て行ったのだろう。
そしてあのマンションには経済的に入居できないと思う。
田舎にでも行ったか?
そういえばシマさんの田舎はどこだったのだろう?
会えるものなら会ってその後のことなどを訊いてみたい。