ブラタモリの相方に桑子真帆

2015年03月06日 | 健康・病気

4月から再開するブラタモリの相方に桑子真帆が抜擢された。
それを私は今日の信濃毎日新聞で知った。
彼女がどんどんNHKでいい位置に駆け上がって行く。
彼女を応援してきた私としてはとても嬉しい。
ブラタモリも私の大好きな番組で何度も九想話に書いている。
その番組に、私がNHK長野局時代から応援していた桑子真帆が相方として出る。
こんな喜ばしことはない。
まるで自分の娘が出世しているのを見ているようです。
私が彼女のことを書いたブログは、「桑子真帆 九想」と入力すると出てきます。
私はこれからも桑子真帆を応援していきます。

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リブロ池袋本店閉店

2015年03月05日 | 健康・病気

リブロ池袋本店が閉店するということを「デイ・キャッチ!ニュースクリップ」(TBSラジオ夕方5時~)で知った。
(今日私は、久しぶりの日勤で、帰りの車の中で聴いた)
ものすごくショックだった。
私は、池袋に行くとたいがい寄っていた。
池袋駅にあるので行きやすかったのです。
孫にプレゼントする絵本や自分が読みたい小説をよく探した。

「デイ・キャッチ!ニュースクリップ」で書評家永江朗の話だと、なんか池袋のリブロの本の売り上げが悪くて閉店するように聴こえた。
私は真剣に、今は本が売れないんだな、と考えこんでしまった。
ところが、この九想話を書くために「リブロ池袋本店閉店」を検索エンジンに入力して調べてみたら、
どうも理由はそんなことではないようです。
毎日新聞にはこのように書いてあった。

>  リブロは2014年2月期決算で売上高211億円。5年前より5%減ったが、最終(当期)利益は2年ぶりの黒字計上となった。
> 今年2月に松戸店(千葉県)と熊本店を閉める一方、今月、千葉店を開く予定で、関係者によると「閉店は経営状態とは関係
> ない」という。西武を傘下に持つセブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長の出身企業はトーハンで、出版取次業界では
> 日販のライバル。06年にセブンが西武を買収後は、「いずれは撤退を迫られる」とみられていたという。

なんだそういうことかよ、と私は思った。
私が大学生協の書籍部に勤めていたときに、東販(現在はトーハン)と日販にはよく行って本の抜き取りをしてきた。
人文の書籍は、鈴木書店(今調べたら、2001年12月に廃業しているんですね。サビシイ)に行ったものです。
リブロ池袋本店のあった場所には、今度は日販に関係する書店が入るのか、それともまったく別な店になるんですかね。
私としてはあそこには、書店が入って欲しいです。

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耳鳴り

2015年03月04日 | 健康・病気

今夜の「ためしてガッテン」のテーマは、「耳鳴り」だった。
そういえば私は、昨年あたりから耳鳴りがひどくなった。
どうしてだろうとちょっと考えていた。
その原因がこの番組を観て納得した。
私は50代になってから高音が聞こえなくなってきた。
いつも人間ドックのときに指摘されていた。
音が聞こえにくいと脳が勝手に感度を上げてその結果、耳鳴りがするらしい。
その解決方法は、補聴器をつけることだという。
私もこれ以上、耳鳴りがひどくなったら補聴器をつけることを考えないといけないんだろうな。
少し面倒くさいし、耳に補聴器をつけるのはかっこ悪いし、その上価格は10万円ほどだという。
しかし、これ以上耳鳴りがひどくなったら精神状態がおかしくなりそうだ。
補聴器をつけるしかないんだろうな。
歳をとったんだからしかたないですね。

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早春のトンボの湯

2015年03月04日 | 健康・病気

今日、トンボの湯に行った。
先週も行った。
いい温泉です。
今日は30人ほど入浴客がいた。
なので私の好きな湯船の角っこには入れなかった。
今朝、軽井沢には6・7センチほど雪が降った。
家の前の道路の雪かきをした。
露天風呂では雪を眺められるかなと楽しみにしていたら、雪はすっかりとけていた。

先週、私が湯船に入っていたら、
4・5歳のお兄ちゃんと2・3歳の女の子を連れた40歳前後のお父さんが入ってきた。
そのお兄ちゃんと妹が可愛かった。
お父さんは、スマートフォンを持っていて、2人の写真を一所懸命撮っていた。
私は、スマホがお湯に濡れないことをひたすら祈っていました。

トンボの湯は、1月のメンテナンスで1週間ほど休業した。
そのあとに入ると、湯船の木の枠、桶・イスが新しくなっていた。
これは気持ちよかった。
やっぱり私は、トンボの湯が大好きです。

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腹腔鏡手術

2015年03月03日 | 健康・病気

> 群馬大病院(前橋市)で2010~14年に腹腔鏡(ふくくうきょう)による肝臓切除手術を受けた患者8人が
> 相次いで死亡した問題で、同病院は3日、8人全員の診療で「過失があった」とする最終の調査報告書を
> 公表した。病院側は内容をすでに遺族に説明し、今後補償を進める方針だ。

> 最終報告では、8人全員について病院側に「過失があったと判断される」とした。手術前に肝臓の容量計算
> をせず、検査や評価が不十分で、家族らへの説明も十分でなかったと判断。一部の患者は手術自体の必要
> 性に疑問が示された。診療科内での打ち合わせの具体的な記録やカルテの記載が乏しく、主治医の医療行
> 為に不明な点が多いとした。また、死亡した8人の病理解剖をしていなかった。
                                                                                   <朝日新聞デジタル>

10年12月~14年6月に腹腔鏡下の肝臓切除手術を受けた肝臓がんなどの患者8人が術後100日以内に死亡したんですね。
大変な“事件”だと思います。
これを40代の男性医師が1人でやったという。
8人全員について病院側に「過失があったと判断される」と最終報告された。
この医師が「胆管細胞がん」と診断し、開腹して手術したが3日後に死亡したこともあったが、
これはがんではなかったと群馬大病院が発表した。
この医師による開腹の肝臓切除手術でも10例の死亡例があったという。
この医師は、どういう気持ちで病院で働いていたのだろう?

前にも書きましたが、私も腹腔鏡手術を40歳のときにした。
会社の健康診断で私の胆嚢に石があることが分かった。
その前年のエコーの検査で胆石のあることは知っていた。
40歳のときにはかなり大きくなっていて、いつ痛くなってもおかしくないと医師はいった。
今は、お腹を切らなくても簡単に胆石を取れるとその医師は熱心に腹腔鏡手術を私に勧めてくれた。
私は、胆石の痛さはかなりなものと聞いていたので、手術を受けることにした。
そう決断したあとにニュースで、たしか秋田県で腹腔鏡手術の失敗で亡くなった人がいたことを知った。
私は何冊か週刊誌を買ってその手術の記事を読んでみた。
内視鏡と鉗子を使って狭いところの手術をするので、切らなくていい血管などを切ってしまうミスをしたようだった。
その年に何人か腹腔鏡手術で死んでいた。
正直なところ私は、腹腔鏡手術をすることが心配で怖くなった。
私の手術を受ける病院は、所沢の小さな病院だった。
しかし、私の腹腔鏡手術をする医師は国立大学病院の医師だった。
その医師は週に何回か所沢のその病院で働いていた。
そして私はその医師のエコー検査を受けたのでした。
腹腔鏡手術を受ける何日か前に、私の身体の状態を知るための検査をした。
以前にも九想話に書いたが、レントゲン台の上で胃カメラを飲んだのです。
その胃カメラが所沢の小さい病院にはなかった。
大宮の病院からその日に借りることになっていた。
時間がきて私は裸になりベッドに寝て、胃カメラを飲むための麻酔注射をされた。
ところがなんの手違いかその時間に胃カメラが来なかった。
私は、裸のままベッドの上で胃カメラ待つことになった。
そのときこの病院に私の手術をまかせていいのか、と思いましたね。
2時間ほどたって胃カメラが来た、ということでもう一度麻酔注射を打たれた。
それからあの苦しい検査が始まった。
でも、今考えるとあの医師は私の胆嚢周辺の状態を把握しようと必死だったのだと思う。
腹腔鏡手術を失敗しないために…。
あの医師も40代で若かった。
きっと腹腔鏡手術という新しい手術に燃えていたのだと思う。
会社の健康診断だったのに、一所懸命私に胆石の苦しみ、腹腔鏡手術の良さを話してくれた。
月曜日に入院して土曜日には退院した。
胆石除去手術は、開腹手術だと3週間はかかるという。
今は、あの医師に感謝しています。

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女房と軽井沢に帰る

2015年03月02日 | 健康・病気

今日、女房と軽井沢に来た。
私は本日午後から仕事です。
女房は今日と明日休みをとっていた。
1月のときの予定では、私は今日まで休みだったのですが、
どうしても休みを代わってくれという人がいたので今日出勤となった。
女房は1人で埼玉にいてもしかたないというので、久しぶりに軽井沢に来た。
前回来たのは去年の9月だから、半年も来ていなかった。
一般道で来てまた渋滞だったら嫌だと考えて、今日は藤岡ICまで高速道路を走った。
午前7時前に埼玉の家を出て藤岡ICまで1時間ぐらいかかった。
いつもは高崎市まで来ると車は流れたが、今日は高崎市内もけっこう渋滞していた。
高崎市を過ぎたら渋滞もなく走れた。
横川あたりは雪も少なく、女房は埼玉の家のまわりとあまり変わりないな、なんていっていた。
ところが、碓氷峠を登っていくうちにあたりに雪が多くなり、
「これが軽井沢ね」と美しい雪景色に感動していた。
私とすれば、毎年この雪にいじめられている。
軽井沢に雪が降らなかったらどれだけ暮らしやすいだろうと思っている。
中軽井沢の家に帰る前にツルヤによって買い物をした。
「懐かしいね」
ツルヤに女房が入るときの感想です。
そりゃ半年も来なかったら懐かしいだろう。
今夜の食事は、生姜焼きとけんちん汁とポテトサラダをリクエストしたからそれらの食材を買った。
午前10時半、家に帰って窓から外を見た女房がいう。
「この景色がいいんだよね」
それから女房は、坐りもしないで部屋の掃除を始めた。
私もしかたなくコタツをどかしたり棚を動かしたりしてその手伝いをした。
「やっぱり軽井沢に来てよかった」と何度もなんどもいう。
「部屋が汚れてたって死なないよ」
「それはだめだよ」
「ハイハイ」
「ハイは一回」
「ハイ」
口うるさい女房ですが、やはり部屋がキレイになり、晩飯があることは嬉しい。
明日、女房は午前7時46分の高速バスで埼玉に帰ります。

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汚い風呂のドア

2015年03月01日 | 健康・病気

 女房が風呂のドアを新しくしたいといった。
私としては(どうして?)という思いだった。
新しいドアにするためには、お金がいくらかかるのか?
とはいっても、あらためて風呂のドアを見ると汚かった。
  
それで私は、「おれがキレイにしてみる、もし、気に入らなかったなら、ドアを新しくしよう」と話し合った。
昨日と今日、私は風呂のドアと闘った。
実に汚かった。
アルミが錆びて膨らんでいた。
私は、ヤスリを何本か用意し、紙ヤスリもそろえた。
汚れているところをそのヤスリたちで削りに削った。
越生梅林の帰りに、ホームセンターによりピカールという金属を磨くものを買ってきていた。
これは私が中学生のときに、トロンボーンを磨くときに使っていた。
学校の楽器は、真鍮が錆びていて汚かった。
そのときピカールで拭いてキレイにしていた。
まさかこの歳で、ピカールを使って風呂のドアを磨くとは思いもしなかった。
  
昨日と今日の私のがんばりで、風呂のドアはそれなりにキレイになった。
女房はこれで我慢するといってくれた。
女房には申し訳ないが、まだまだ汚いです。
汚れたところをヤスリで落としたのでキズもついている。
女房よ、これからも時間を作って風呂のドアをキレイにするので、このドアで耐えて下さい。
 

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