正月朝廷派の幽州節度使李載義が軍乱により逐われ、楊志誠が自立した。
載義はその忠誠を評価され宰相となった。
二月文宗の宦官抑圧を感じた王守澄は先手をうって宋申錫を漳王と謀叛を図ると誣告した。
形勢不利と感じた文宗は申錫に全ての責任を押しつけて配流した。
この年は淮南・江南地方は水害が多く、不安定な気候が続いた。
九月西川李裕は吐蕃の維州守將を招撫した、しかし宰相牛僧孺は政争の具として送還することを命じ、守將一族は虐殺された。
裕はこれを深く怨んだ。
載義はその忠誠を評価され宰相となった。
二月文宗の宦官抑圧を感じた王守澄は先手をうって宋申錫を漳王と謀叛を図ると誣告した。
形勢不利と感じた文宗は申錫に全ての責任を押しつけて配流した。
この年は淮南・江南地方は水害が多く、不安定な気候が続いた。
九月西川李裕は吐蕃の維州守將を招撫した、しかし宰相牛僧孺は政争の具として送還することを命じ、守將一族は虐殺された。
裕はこれを深く怨んだ。