唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

大和五年(831年.天長八年)

2006-11-08 18:46:01 | Weblog
正月朝廷派の幽州節度使李載義が軍乱により逐われ、楊志誠が自立した。
載義はその忠誠を評価され宰相となった。
二月文宗の宦官抑圧を感じた王守澄は先手をうって宋申錫を漳王と謀叛を図ると誣告した。
形勢不利と感じた文宗は申錫に全ての責任を押しつけて配流した。
この年は淮南・江南地方は水害が多く、不安定な気候が続いた。
九月西川李裕は吐蕃の維州守將を招撫した、しかし宰相牛僧孺は政争の具として送還することを命じ、守將一族は虐殺された。
裕はこれを深く怨んだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大和四年(830年.天長七年)

2006-11-08 17:53:39 | Weblog
正月牛僧孺が宰相に復帰した。
二月山西節度使で監軍楊叔元の失政から軍乱がおき、元宰相の李絳が殺された。
七月文宗は宦官に擁立されたのだが、その専横を憎み、側近の宋申錫を宰相として、宦官勢力を除く対策を練らせていった。
十月雲南蠻の侵攻で荒れた西川節度使に敏腕の李裕が入り、復興と防御態勢づくりに努めた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする