唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

大中十三年(859年.貞観元年)

2006-11-22 23:48:58 | Weblog
三月河東軍の北部を分割して雲州に大同軍を置いた。
このころまでに北邊[大同・朔方・振武・天徳・夏綏など]はすっかり蛮族が定着して外地化していた。
四月恒例の武寧軍乱が起き、節度使康季榮が逐われた。
後任は將士の機嫌取りのうまい田牟となった。
宣宗は仙薬中毒が悪化し八月死亡した。
宣宗に近い宦官王歸長達は、長男鄆王より、宣宗に愛された虁王を擁立しようとしたが、実力宦官王宗實は実力で鄆王[懿宗]を即位させた。
十二月再び南部情勢が悪化し、浙東では賊仇甫が反乱をおこし、雲南蠻が大挙播州へ侵攻してきた。

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大中十二年(858年.天安二年)

2006-11-22 18:26:50 | Weblog
以下のように南部で連鎖反応的に軍乱が起こった。これらは共謀したものではないが、軍人の劣悪な環境が共通するため次々と発生したものであり、弱体な軍のみの反乱であったため簡単に鎮圧された。宣宗の治政への情熱も地方へはまったく伝わっていなかったわけである。
四月嶺南節度使で軍乱、節度使楊發は殺される。腐敗した軍政を粛正しようとした發への反発より。
五月湖南軍乱、観察使韓は逐われる。將士を冷遇。
六月江西軍乱、観察使鄭憲は逐われる。
七月容管軍乱、経略使宋涯が鎮圧。蛮族と共謀。
八月宣歙軍乱、観察使鄭薫は逐われる。
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