人生を半分降りる(半隠遁のすすめ)
人生を半分降りるということは、言い換えれば「半分隠遁(いんとん)する」ということで
しよう。半隠遁は世間的にある程度のことをなしとげたあとに、あるいは自分の能力と仕事
を見限ったときに、あるいは出世ゲ-ムに明け暮れていることに心底虚しく感じられたとき
に実践するのが一番いいと言われています。まだ「一花咲かせたい」などというイジマシイ
野心を抱いている間は、難しいでしようる
とはいえ、世の中から完全に隠れるという「本隠遁」は一大決心が必要です。90歳を過
ぎてから、あるいは死ぬ間際に隠遁してもそれは自然かも知れませんが、「半隠遁」はひと
つの積極的な生き方でありましようか。老衰してボロボロになった躰と朦朧(もうろう)とした
精神状態であるよりは、まだ体力・気力・知力ともに残っている年齢のほうがいいと思う
誰かであったが、忘れたが「生きることをやめる土壇場になつて、生きることを始めるの
では、時すでに遅しではないか」と。
その適当な年齢とは、人生にひととおりの勝負がつき、自分の転職のなさと能力のなさを
悟ったとき、すなわち昔なら老人式(四十路の賀)を迎えるころ、平均寿命が長くなり人格形
成もとみに遅い現今では60前後、いや70くらいかもしれない。人生百歳を卯のみにすればの
話ですが。
現在の仕事の成果も満足ではないが、もう新しいことはできそうにない。世間的には、今
「ここで」勝負するしかない。だが、まだ人生の「手応え・悟り」を何もつかんでいない。
100億年以上に及ぶ宇宙の歴史において、この21世紀に至ってたった一度だけ与えられ
た奇跡的な生命なのに、そしてあとは宇宙の最後までいや永遠に続くこの宇宙に何事かを感
じたり考えたりするチャンスはあたえられないであろうことは頭では解っているのに、この
ままアクセク働いて、いや働いているのならまだいい、日々を無意識に無計画に過ごしてい
て死んでしまうのだとしたら、なんともったいないことであろうか。
だが、まだ時間は残されている。「自分がたまたまこの地上に生まれてまもなく死んでし
まわねばならない不条理」について考える時は残されている。「人生とは何なのか、悟りと
はどのような心境になることなのか」「ほんとうに死んだらどうなるのだろう」解らないこ
とがまだある、それを探究する時間は残されていると私は思っている。
フッと一瞬こうした疑問にとりつかれている自分がいても、またフッと「ああヤメタ」と、
こんな「青臭い馬鹿げた」考えなど頭から払いのけている自分がここにいる。