湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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ホルスト(2013年12月時点でのまとめ)

2014年01月06日 | Weblog
合唱交響曲第1番

○サージェント指揮BBC合唱団、合唱ソサエティ、交響楽団、ヘザー・ハーパー(SP) (inta glio)1964/1/3ロイヤル・フェスティヴァルホールLIVE

美しい堂々たる大曲で、惑星を始めとする代表作をあげてのちの1923年から24年にかけて書き上げられた。1楽章のプレリュードのウツウツとした雰囲気を抜けてのち牧歌的なヴァイオリンソロが歌い上げる世界はRVWそのもの。RVWとの密接な関係は他の楽章でも感じられる箇所があるが、この人はもっと複雑で、モダンなコード進行(プログレか?というようなところもあったりする)や激しいリズム要素(まさに惑星、3楽章スケルツォその他一部)、高音打楽器のここぞというところでの導入(静かな場面でやや常套的ではあるが特徴的に使われる)、いずれも「惑星」を彷彿とするところがある。かつ洗練されたシンプルな書法への指向からも、本質的にラヴェルの影響を受けていたことは想像に難くない。結構無駄のないスマートさがあるし、全編効果的とは言わないまでも、ここぞというところはRVW張りに偉大に盛り上がることもできる。とりとめのなさを感じる人もいるかもしれないが(とくに長い曲に慣れない向きは)、サージェントのスマートだが緊密な指揮はこの曲の価値を引き出し欠点を隠すもので、52分弱を飽きずに聴ききることができる。但しモノラル。また、拍手が別録的な感じで、ひょっとすると記載に偽りがあるかも、でもいい演奏であることは確かだ。とにかくとても聴きやすい曲なのに25年リーズ音楽祭での初演の評判は散々で、そのせいか?結局第2番は書かれなかった。「メランコリー・スペクタクル」という当時の評は言い得て妙で、1楽章冒頭や2楽章オードなど、「晦渋なホルスト」がやや目立つ反面、、妙に派手という矛盾をはらんでいるが、そこがいいと感じる人もいるに違いない。テキストはキーツの様々な神話的なものからとられている。ホルストらしいテキストだがワタシはあんまり曲と詩の関係に重要性は感じない。まあ、一度は聴いてみると面白いと思う。ハーパーの歌唱はとくに印象に残らなかった。

組曲「惑星」

○ボールト指揮LPO他(smc)1956/9/20モスクワlive・CD

モノラル。最初はかなり即物的でさらさら流れるように進み、ブラスは迫力不足で抑制的。音量自体抑え気味の録音なのでここは余り耳を惹かない。中盤にやっとのってきたふうでボールトらしいバランスの良い重量感のある響きにのったホルストがすみやかに展開されていき、ブラスも張りが出て来るが、ライヴならではの難点か木管などにミスが聴かれる。こういうのはボールトでは珍しい。とにかく録音が力不足なので終盤の合唱も聞こえづらく、幻想味を損ねているが、もともとボールトの惑星は幻想よりもオケの純音楽的な部分を訴える指向がつよいのでそれはそれでいいのだろう。モスクワライヴというと西側オケの客演にはひときわ迫力をかもす演奏が多く期待できるものだが、これはしょうじき、ボールトの平均かそれ以下といったふうだった。拍手は盛大。

◎ボールト指揮フィルハモーニック・プロムナードO(LPO)1953

火星が必聴!この演奏(というより録音)は、何といっても打楽器系の強調された耳をつんざく音響が堪らない。後半、速い楽章の集中力がやや薄まっている(ボールトの穏やかなテンポ解釈のせいもあろう)が、総じて一流の表現だ。私はLPで聴いているので、CDだと少し趣が違うように聞こえるかもしれないけれども、ボールトにしては表現意欲がかなり強いように聞こえる。2楽章等穏やかな楽章の音にも時折言い知れぬ悲痛さがよぎる。堅実さのうえに何か個人的な思い入れを感じさせる演奏である。個人的に知る限りの5回の録音で、この演奏ほど印象深い演奏は無いように思う。粗さが目立つ録音も中には存在している。

ボールト指揮BBC交響楽団(HISTORY他)1945・CD

古い録音に残響を加えた廉価盤。まあ、この曲はいい録音で聞くに越したことはない。火星も録音のせいかぱっとしない(元々ボールトの火星はそれほど自己主張が強くないのだが)。最後の音の決然とした伸ばしに、がっと捕まれるものはある。録音が悪いため精妙な遅い楽章は殆ど鑑賞の対象にならない。さいきんはやりの木星など、このころのボールトの急くようなテンポが気分を煽りまま楽しめる。総じて無印。

○ボールト指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1946/2/2live

BBCオケ時代のボールトの貴重な客演記録だが、この指揮者はオケによってかなり相性の問題があり、ボストンのような中欧的なオケとは相性がいいと思いきや、何かアメリカの二流田舎オケを聞いているような、あっけらかんと明るくもばらけたアンサンブルを聞かされてしまう。特に前半乱れる。ヴァイオリンが好き勝手に歌い(曲に慣れていないせいで魅惑的な旋律をソリスティックに歌ってしまったのだろう)、ブラスは下品に吹きっぱなし、木管は技巧的フレーズを吹きこなせず、ティンパニのみがしっかりリズムを締める。VPOとの惑星もこうだったように思う。オケのセクションがバラバラになる、これは練習時間が足りないせいなのか?それでも説得力はあり、最後には聴衆の盛大な拍手が入るが、古い録音でもあり、ライヴなりの面白さだけを聞き取るべきか。その点、各楽章間にアナウンサーの解説が入り、わかりやすい。惑星はアタッカでつながった曲ではないのだ。マジシャンの、デュカスをカリカチュアライズしたようなリズムにはっとさせられた。ああ、惑星の名前にしばられてはいけないのだ。ホルストは完璧なオーケストレーションを目指し、曲の中身よりもそちらの整合性を重視しているようなところがある(じじつ編成をいじることは自らやむを得ず作った小編成版以外禁止していた。ジュピターもアウトだ)。だがやっぱり表題性をちゃんと意識して聴くと非常に世俗的な目から神秘主義を見つめたなりが面白く感じられる。○。

(参考)正式には五回録音していると言われる初演者ボールト。どれが好みかは人によるだろうがイギリスオケに越したことは無い、イギリスオケでやるように解釈されている、と言ってもいいセンスが反映されているのだから。民謡旋律を木管ソロでえんえんと吹かせる、などいかにもだ。この曲を一面真実であるスペクタクル音楽としたのはオーマンディやカラヤンだが、ボールトはあくまでRVWらと自らも同時代者として新民族主義的見地から、そして少し古風な重厚さをもってさばいている。惑星を浅薄と断ずる人はボールトを聞くと理解の仕方がわかるだろう。ただ、人によってばらけた演奏とか(上記ライヴはそれが極端にあらわれた状況ともとれる)躁鬱的とか感じるかもしれない。

作曲家指揮ロンドン交響楽団(pearl)1922-24
作曲家指揮ロンドン交響楽団(koch他)1926

音が貧弱で当時の録音技術の弱さゆえ編成もかなり小さく、薦められるとは言い難い。このことはホルスト自身の言葉としても伝えられている。録音場所も狭すぎて、バルコニーから指揮したとか。ただこの曲を「再発見」するのにこれほど好都合な音は無い。虚飾の無い響きが却って本質を浮き彫りにする。2枚は互いに少し違う表現だが、パール盤のほうは余りに音が悪く聞きにくい。木星中間部旋律の表現がエルガー行進曲風のところなどは、ホルストの音楽経験を物語っているような気がする。

○カラヤン指揮BPO(DG)
○カラヤン指揮VPO(DG)

同曲の復活に功績のあったカラヤンの古い盤は、私がクラシックを自主的に聴いた最初のクラシックだ。今聴くとやはりスペクタクル型の演奏でもあるのだが、安心して聞けることと、緩徐楽章での適度に思索的な雰囲気が良い。古い演奏の方が良い気がする。後年導入したシンセサイザーは少し唐突過ぎる響きで馴染めない。

○スヴェトラーノフ指揮フィルハーモニア管弦楽団(EDGESTONE CLASSICS/COLLINS)1991/11

本文中にも挙げた「火星」が名演。重戦車的な音がレコード屋に流れていたとき、私はこの曲を再発見した。(1997記)

昔持っていたときはいたく仰々しくまた激しい音響効果の施された演奏のように感じたものだが、このたび改めて手元に来た盤を聞く限り、弛緩するほど横拡がりの演奏で、盛りあがりどころでもブカブカやっているだけ、といった印象を持ってしまった。とくに暴力的なはずの1楽章火星がどうも弱い。冒頭からの最初のクレッシェンドはものすごいのだが、あとがなぜか足踏みするようなテンポで気持ちの持っていきようがない。考えてみればスヴェトの晩年の演奏はみなテンポが遅く、昔の突き刺すようなソリッドな音作りは殆ど見られないものになっている。ブラス・・ここでは火星のホ
ルンの咆哮・・の力強い音にロシアの香りが残るのみだ。とくに弦が柔らかく、ふぬけた感じもなくはない。だが、非常に荘大ではあるし、細部のニュアンス表現に拘った、より内面的で掘り下げた演奏になっていることも評価できる。表面的な演奏とは一線を画している。5楽章など暗い曲想の運命論的なダイナミズム(大太鼓の地響きが凄い)ののちどこか空虚さを残した解釈は、やはり内面的な解釈をしたボールトとは別種の感動をあたえる。これはむしろマーラーだ、と弦のピチカートの向こうにひびく遠い鐘の音を聞きながら思った。6楽章天王星もマーラー的。7楽章海王星は印象派的な神秘的なひびきをよく出している。非常に繊細だ。総じて○。(2003/12追記)

○スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団他(weitblick)1994/9/3live・CD

基本的な解釈はスタジオ盤と同じ。おっそいなあ、という楽章は遅いし、繊細すぎやしないか、という楽章は繊細の極み。だがスタジオ盤よりも緊張感があり、1楽章など重量感が迫力に昇華され、重すぎることはなく重戦車のような響きを堪能させる。リアルなロマンチシズムと細部まで透明感ある繊細な響きという点では終楽章。旋律にはロマンチシズムを残すが全体の響きはモダンな面をしっかり浮き彫りにしている。ブラスとティンパニの激しい扱いのみが取沙汰される人だがこの高性能なオケでは弦や木管に要求されている細かい動きがきっちり仕上げられているのもいい。なかなかの演奏。但し、ライヴなりの羽目を外したような解釈を期待したら裏切られよう。

オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団

結構粗い演奏だが、スペクタクル的な演奏とは一線を画した純音楽的印象を持った。

~抜粋

〇コーツ指揮LSO(KOCH)1926-28・CD

雑然とした録音に演奏といったイメージを覆すものではないが特徴的なところはある。火星はせかせかした前のめりのテンポで思い切りずれてるように聞こえる箇所もあり録音の悪さもあって苦笑してしまう。しかし力ずくで押し通す気迫は聞き取れる。悪い音のわりに曇ったところのない響きが現代的でもある。金星も速い。SPの宿命だ。ここでもずれているような感じのところがある。木星は非常に抑揚があり特徴的な演奏になっている。中間部旋律のてんめんとしたポルタメントに異様な音量変化は耳をひく。前のめりはあいかわらずだが面白い。最後はかっこよさすら感じられる。土星もやはり速い。攻撃的だ。あまつさえズレ易いセレスタがなぜかズレないのがおかしい。勇壮な第二主題も力強い。〇。

○バルビローリ指揮NYP(DA:CD-R他)1958-59放送LIVE

恐らく編集ミスで順番が入れ替わっているが、最後の木星のあとは拍手とナレーションが入るのでそこは正しい順番だと思われる。暗い土星と海王星が抜かれ、

火星、金星、水星、天王星、木星

の順番に編集されている。録音状態が非常に悪く、(恐らく元からの)媒体劣化音含め不安定で全般聴きづらい。が、エッジの立ったこの時代にしては迫力ある音にちょっと驚かされる。ガツンガツンと重くはっきりした凶悪な音楽に、火星の冒頭こそか細いもののすぐにびっくりさせられる。バルビとしてもまだ後期の歌心あふれる様式に移る前のトスカニーニ色のあったころの推進力を明確に示したものとして聴ける。しかしトスカニーニのような無味乾燥さはなく、しっかり「音楽」している。個性的な解釈こそさほど聴かれないものの比較的遅めなのに遅いと感じさせないコントラストのはっきりした音作りには心躍らされるところもある。緩徐楽章も後年ほどのカンタービレはないがゆったりした静かな点景が薄い情緒をかもす。録音状態や編集ミス等をかんがみたとしても、これはこれで楽しく聴けます。まあ、バルビはあまりホルストに向いていなさそうな感じもあるけど(解釈に思い入れがない!)。○。 後補)WHRA盤(1959/1/18)と同じ可能性あり。またバルビローリは曲選・曲順はこの通りで行っていた模様(他録に同じ順あり)

○バルビローリ指揮NYP(whra他)1959/1/18live・CD

恐らくCD-Rで何度か出た音源と同じと思われる(むこうのデータが不確かなため断言はしない)。音は同じく悪いもののややリマスタリングしているようで立体感がある。曲を選びいかにも大衆受けする順番に再構成した、バルビしかやってないような抜粋だが、ダイナミックな起伏をつけて見得を切るような表現、威風高々旋律の雄渾朗々と流れるさまは中期バルビの真骨頂を思わせる。そういうやり方は表層的ではあるが、それにとどまらないところがあって、いわばブラームスのシンフォニーを描くような、ちょっとおかしくもしっかりしたところのある惑星に仕上がっていると思う。リズム表現の強く出る場面でテンポが少し停滞するのはいつものバルビだが個人的にはすっきりいってほしい感あり。○。

○バルビローリ指揮ツーリンRAI交響楽団(BS)1957/11/15live・CD

他録とされるものと抜粋も録音状態の悪さも似ていて疑問はあるが、荒々しい表現、あけすけなブラスは放送オケらしいところが聞き取れる。50年代の覇気が漲り独特の歌謡性が聴き易さをあたえ、けっこう面白い。金星の美しさは特筆すべきか。○。残響がややうるさい。

~Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ

○サー・アーネスト・マクミラン指揮トロント交響楽団(ANALEKTA/NAXOS/VICTOR)1942・CD

意外や意外、聴けるのだ。ねっとりロマンティックな惑星、金管が事故を起こすほどうねる、こんなものは聴いたことが無い。あるいはこのオケの鮮やかな色彩感を活かしたみずみずしい表現。ロシア人指揮者のようだ。録音は悪いし人により気持ち悪くて聴けないと思うが、私は耳から鱗が落ちた。ラヴェル派のホルストならやはり突き放した表現のほうが正統だろうが、こういうのもあっていい。ナクソスでオンライン配信中。

~冥王星(マシューズ作)付

○ロイド・ジョーンズ指揮ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団(NAXOS)2001/2・CD

無難な演奏。しかし悪くはない。スコティッシュ管らしいちょっと硬質でささくれだったような音も録音のやわらかさによっていかにもイギリスらしい柔軟な音にきこえる。しっかりした指揮ぶりではあるもののいささか無個性さがあって、個々の楽章のコントラストもいまひとつ。演奏レベルは高いと思うけど。。ちなみに蛇足の冥王星は作曲されてまもなくあっというまに太陽系の惑星から除名されてしまったが、アイヴズをリゲティふうに仕上げたような変な曲。スクリアビンのプロメテあたりに近い合唱が奇異さを煽る。もっと小さい星でしょ、だから除名されたのに。

<ピアノ連弾(原典)盤>

ゴールドストン&クレモウ(P)(新世界レコード/OLYMPIA)

録音の輪郭がぼやけている。打鍵も柔らかく余り力を感じない。曲が曲だけに、火星などは仕方ないかもしれないし、いくら作曲家の手による編曲にして、管弦楽版よりも早く私的初演されたものとはいえ、単にピアノ曲としてはいささか単純にすぎる感がある。演奏解釈も非常に穏やかで、ダイナミクスの変化も余り聞こえてこない。表現という点では物足りなさを感じる。但し、音構造がすっきり見やすくなっているぶん、作曲家の意図したハーモニーの綾の美しさや、重層的な表現の面白味がはっきりと聞き取れ、細かい音符の端まで楽しめる。ジュピター以降の後半楽章の響き、また緩徐楽章の初期ラヴェル的な趣が聞き物だろう。夢見心地。

イモージェン女史がピアノ初演時の父親とヴォーン・ウィリアムズの背中について語った言葉がライナーに併記されている。二人の暖かい仲をよく物語っている。

エルガーの弦楽セレナーデのピアノ版や、ホルストの「ウィリアム・モリスの想い出に」等も収録。ホルストの同曲は最近補完録音が出た、「コッツウオルド交響曲」のエレジー楽章より作曲家本人による編曲版だ。私は何故か初期~中期スクリアビンを思い浮かべる。ショパン風に聞こえる。「惑星」の方がずっと魅力的に感じた。

日本組曲

○ボールト指揮LSO(lyrita)CD

有名な珍曲で以前書いたおぼえがあるのだが消えているようなので再掲。ボールトの指揮はホール残響のせいで細部がわかりにくくなっているものの、客観性が勝っており、しかし精度的にはボールトなりのアバウトさが感じられる。曲はまさに「オーケストレイテッド民謡」で、ドビュッシー後のイギリスの近代作曲家たちが自国内の民謡旋律に施したオーケストレーションを、単純に日本の民謡に対して施した6曲からなる組曲。だから旋律は完全に日本の馴染み深い民謡からとられているものの、ハーモニーは西欧の語法によっており、そこに歩み寄りやどちらかへの傾倒はみられない。変な作為がないだけ違和感も薄いが、それでも「ねんねんころりや」などが出てくるとむずがゆい。「まんが日本むかし話」とか、そのへんのBGMを想起するが、これはつまり「日本の国民楽派」がやっていたものと同じ路線であること、NHKのドキュメンタリーや時代劇で慣れっこになった「音世界」を先駆けたものであるせいが大きい。リズム的には西欧のものが使われるので、「水戸黄門」にみられるエンヤコラドッコイショ的な感覚は皆無である。オーケストレーションはおおむねわかりやすい。RVWのあけっぴろげな民謡編曲にかなり近いが、「惑星」を思わせる楽器の組み合わせが時折耳新しい。演奏的にそれほど惹かれなかったが、曲の希少価値を買って○。

エグドン・ヒース~ハーディを称えてOP.47

ブリテン指揮ロンドン交響楽団(BBC,IMG)1961/7/6LIVE

うーーーん、ホルストの晦渋とはこういう曲のことを言うんですよ。現代好きにはアピールするだろう。イギリスという国を考えると、こういう同時代の前衛に食い付いていこうとしたものは奇異であったろう。しいていえばRVWの4番シンフォニーの世界に近くなくもないが、部分的にストラヴィンスキーであったり新ウィーン楽派であったりいささか節操が無い。とにかくあんまりわかりにくいので、好悪は凄く別れると思う。個人的には無印。

「神秘のトランペッター」Op.18(マシューズ&I.ホルスト編)

○ロイド=ジョーンズ(指揮)ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団、クレア・ラター(SP)(NAXOS)2001/2・CD

極めて美しい。このドイツ・オーストリア臭たっぷりな歌曲をディーリアスよりむしろRVWのように透明感のある(一種常套的で耳なじみいい)音楽として壮大に盛り上げている。ドラマティックな「惑星」でも晩年の晦渋な作品でもない、特定してしまえばマーラー「復活」終楽章終幕あたりからの影響を和声展開や旋律線に多大に受けながらも、RVWや前期スクリアビンが「そのまんま」写してしまったところをホルストらしく鮮やかな転調と意外な旋律の繋ぎ方を駆使しているさまが、RVWのような耳優しさの枠にはまらない現代好きにもアピールすると思う。演奏も素晴らしく透明感がありいっそうRVW的に聞こえるが、惑星を期待したら余りの牧歌的なさまにあてが外れるかもしれない。亡くなってしまったが娘さんのイモーゲン氏の手も入った編曲で、マシューズ氏の冥王星付き惑星~今となっては完全なる蛇足だが~の余白に入っている。

一つだけ・・・CD時代も長くなり、劣化や不良品が予想外の拡がりを見せる中、中古市場での品物の扱いというのは非常に微妙なところに入っている。検盤しないのが今の中古レコード屋でのCDの扱いであり、そういった欠陥品を入手してしまう場合がここ数年非常に多くなっている。この盤も中古で入手したが、劣化ではなく不良だと思うが、最後に収録されているこの曲でかなりひどい音飛びがする。アナログを手放してCDで買いなおすという人も今は余りいないとは思うが、これではCDなんて媒体よりも、ナクソスが先駆けて始めているようなネット配信という形のほうが普及して仕方ないなあ、と思った。少なくとも80年代の、イタリア系海賊盤は論外としてイギリス焼きのCDは注意です。

組曲ホ短調

~Ⅰ.行進曲(ジャコブ管弦楽編)

○ボールト指揮ロンドン・フィル(LYRITA)1973/11/13・CD

派手なブラバン曲でどこを管弦楽編曲したのかよくわからないほどにすぐに終わるが、ホルストの曲がそもそも内容的に大曲指向であり余り小規模な曲では魅力が十分伝わりにくい側面をよくわからせてくれる。ボールトも覇気に満ちた老齢とは思えない指揮ぶり。○。

歌劇「どこまでも馬鹿な男」よりバレエ組曲

○サージェント指揮シンフォニー・オブ・ジ・エア(NBC交響楽団)(DA:CD-R)1945/3/11live

録音の悪さは同日のウォルトンのヴィオラ協奏曲同様。ただ、オケの繊細で金属的な響きがよりビビッドに捉えられていて、雑音を除けばサージェントがホルストに示した適性というか、近現代作品を鮮やかにさばく手腕を感じ取ることもできる。

惑星と同時期の作品というのはどうしても惑星と比べてしまうものだが、素材や書法に共通するものがないとは言えない。正直、多い。目立つのは天王星と共通する箇所だろう。作曲時期によって晦渋であったり平易であったりその極端な差がホルストであったりするのだが、惑星程度の近代性を主張し、それでいて平易な曲というのはやはり、このあたりの似通った楽想をもつ作品ということになる。ブラス、とくにボントロの重用は後年よく作曲した小規模作品とは異なり、大管弦楽をメインに据えた野心的な作風のころをよく示している。同時に神秘主義が最も「雄弁に」表現された時期とも言える。「ポジティブな神秘主義」とでも言うべきか。「アグレッシブな神秘主義」でもあろう。なにせ、魔術師がダンスしてしまうのだから。

オペラ嚆矢のバレエ音楽としてよく取り出して演奏されるものだが、オペラティックな構成の中で生きる部分と明らかに独立した楽想として舞踊的にもしくは「印象派的に」かかれた部分が交錯し、前者は陳腐ともとれるロマンティックなものとしてあらわれ、後者は神秘的な音楽としてあらわれ、ほぼ繋がってメドレーされていくが、噛み合わせが少しちぐはぐな感じもする(そもそもバレエ音楽部分は他作品からの転用らしい)。その後者において、まさしく惑星の各楽章を髣髴とさせるものが多く聴かれる。それゆえ楽しめる向きも二番煎じと捉えてしまう向きもいるだろう。形式上神秘主義的題名を冠された三曲からなるが楽想自体はそれぞれの中に更に詰め込まれている。

サージェントは弱音部においては金属的な音響を緻密に響かせながらメランコリックな楽想を陳腐化させることなく爽やかに昇華させており、舞踏的表現においてはトスカニーニを彷彿とするような前進力に明快なリズム処理で清清しい感興をあたえている。メインプロとしてはいささか短い曲だ。○。

ブルック・グリーン組曲(1933)

○イモージェン・ホルスト指揮イギリス室内管の弦楽セクション(lyrita)1967

かつてホルストを特徴づけていたオリエンタリズム、実験的な不協和音やポリリズム要素がすっかり昇華され、非常に近接した作曲家ヴォーン・ウィリアムズのそれよりも平明で、一種無個性な美しさを得た晩年の室内作品のひとつ。あくまで典雅な雰囲気は同盤に併録されたイモーゲン女史編曲の「管弦楽の為の奇想曲」(原曲は「ジャズ・バンド・ピース」・・・これがジャズ???初演1968年)の示すウォルトン的攻撃性とは対極だ
が、同じ1933年の作品だ(ホルストは1934年病に弊しており、ブルック・グリーン組曲は死の僅か2ヶ月前(3月)に学校で初演された)。ちなみに同曲機知に溢れじつに恰好良い映画音楽風の小曲だが(私は大好き!)、「ホルスト」としての作家性は同様に薄いようにも思う。中間部にはヴォーン・ウィリアムズの5番交響曲のような憧れに満ちた雄大な情景も混ざる。終わりかたがやや唐突なのが玉にキズだが。

話しを戻す。一音楽教師として女学校のジュニア・オーケストラのために作曲した曲であるから、息の長い旋律の単純な流れは、例えば1楽章「前奏曲」の最後にみられるピツイカートだけの終止形など、かつてのロシア室内音楽・・・チャイコフスキーの「弦セレ」等・・・を想起するもので、あくまで主題はイギリス民謡風でありながらも、それらクラシカル・ミュージックの伝統を意識して模倣したようであり、矢張り一種練習曲風といえよう。しかしこの曲全般に聞かれるひたすら軽く舞うような雰囲気、じつに品が良いものだ・・・お蝶夫人が出てきそうだ(古い)。全般アンサンブルがとりやすそうで(ホルストは時々複雑なリズム構成をとるがここでは目立たない)、アマチュアにはうってつけの曲だろう。ごくたまに、やや不格好な和音が横切るが、これこそホルストの個性の残滓。作曲技巧の綻びではなかろう。個人的にはアリアと称される古風な佇まいの緩徐楽章(2楽章)については、いくつかの主題がおしなべて弱く感じる。これらは民謡そのものに基づいているそうだが、しかし近代のこの手の擬古典曲では、全世界的に似たような主題が使われており、私個人がそれらを聴きすぎているから退屈するということだけかもしれない。ただ、構成的にも一番特徴がない気もする。主題の魅力でいうと1楽章の(第一)主題に尽きると思う。てらいのない終楽章「舞曲」(2拍子のタテノリ・ジグは、単純すぎて余り踊るような雰囲気でもないが)はどうしてアンサンブルの妙があり面白い。なにもこの曲に限ったことでもないが、同時代のフランスの曲を思わせる。この和声の流れは誰かの曲に似ている気がするが・・・失念。イベールあたり?休暇中シシリーで耳にした人形芝居の音楽に基づいている、とイモーゲン女史は書いている。ヴァイオリンと低弦のがっちり噛み合う単純な対位性がとても聴きやすい。後半少しくすんだ心象風景を呼び覚ますところがあり、ヴォーン・ウィリアムズ的であるが、時期的にみると寧ろヴォーン・ウィリアムズに先んじたものといえるかもしれない。

演奏に関しては比較対象となるものがないので敢えて書かない。作曲家の娘さんがイギリス瑞逸の室内管弦楽団を振った演奏だから悪くはないだろう。イモージェンさんは最近逝去した。合掌。(2000/2003記)

セントポール組曲

○ボイド・ニール弦楽合奏団(HMV)1948-49・SP

いかにも英国民謡音楽に新古典的な編曲をくわえた職人的な弦楽合奏曲で、終楽章で1楽章が回想される段にいたっては少々飽きる。むろんRVWほどに割り切ってはいないホルストのこと、惑星を思わせる神秘的な和音がひょっと顔を出したり、フランスの一昔前の前衛を思わせる和声をちょっと入れてみたり、わりと若い人に人気があるのがわかる。SPでも素晴らしい録音でこの合奏団の求心力の強さとブレのない技量の高さをちゃんと届けてくれる。web販売されている音源では2楽章の原盤が悪く、そのあたりは何ともいえないが、ノイズ除去すれば十分今でも通用するだろう。○。

二つのヴァイオリンのための協奏曲

フーウィッツ、シリト(Vn)I.ホルスト指揮イギリス室内管弦楽団(LYRITA)CD

曲がよくわからない。二台のヴァイオリンを使う意味はわからないでもないが、絡みは単純で、中身はカイジュウで、書法的に何故そう書いたのかわからないような所も多く、最初と最後を〆める楽想は美しいが、名曲とは言い難い。曲への評価として無印。

フルートとオーボエと弦楽のためのフーガ風協奏曲

○グレーム(FL)ベネット(OB)I.ホルスト指揮イギリス室内管弦楽団(LYRITA)CD

完全に新古典主義に立った作品でホルスト後期らしい特徴のない室内合奏曲だが、このての曲が好きな人には受けるだろう。個性は無いがストラヴィンスキーのプルチネルラよりもずっと聴きやすい。演奏はイギリス室内管らしい透明感溢れる曲に適したもの。

○アデネイ(Fl)グラーム(O)イモーゲン・ホルスト指揮イギリス室内管弦楽団(BBC,IMG)1969/6/15LIVE

ホルストらしい室内楽である。完全に古典主義の立場から往古の音楽の復刻に挑み、あるていど成功している。さすがイモーゲンの指揮はよくわかっているというか、曲の勘所をよく掴んだ聴き易いものになっている。音の綺麗さよりもアンサンブルのスリリングさが魅力だ。ブリテンの指揮とはやはり違う。○。

インヴォケーション

○J.ロイド・ウェバー(Vc)シナイスキー指揮BBCフィルのメンバー(放送)2011/8/11プロムスlive

ロイド・ウェバーは作曲家アンドルーの弟。この曲はチェロを中心とした室内編成の典雅な小品。ハープのしらべがホルストのフランス趣味を反映している。やや生硬なチェロだがアンサンブルとしてはシンプルな輝きを示すものとなっている。

夜想曲

○マッケイブ(P)(DECCA)

このアルバムではRVWの曲の次にホルストのこの曲が収録されている。その差は歴然である。余りに素朴で親しみやすいRVWの民謡風音楽に続いて顕れるこの曲は、ドビュッシー的な妖しい雰囲気の中に硬質のフレーズを散りばめた、まるで異なる視座の音楽になっている。格段に複雑だ。といっても影響色濃いドビュッシーのものより、やや特異さがあるというだけで要求される技術は下るであろう。しょっちゅう変わる不安定な調性もホルストらしい尖鋭さを象徴している。冒頭は「お、夜想曲」という雰囲気なのに、進む音楽は不気味な自動機械の徹夜操業のようだ(言い過ぎ?)。でも雰囲気は満点である。妖しいといっても南欧のぬるまゆい空気の放つ妖しさではない、冷え冷えとした金属の輝きの醸す妖しさだ。決してクラ界に溢れる夜想曲の系譜において輝きを放つ作品とは言えないものの、面白いことは確かであり、イギリス好きなら聴いてみてもいいと思う。○。

ジグ

○マッケイブ(P)(DECCA)

恐らくこのアルバムの中ではこの曲がいちばんホルストらしい尖鋭さをもったピアノ曲といえるだろう。いきなり電子音楽的な非調的な単旋律で始まるのが面白い。前期アイアランドぽい不可思議な音階にクラシックというよりEL&Pのような呪術的で扇情的なフレーズが重なり、それほど難しくないわりになかなか書き込まれており、しっかり聞き込むと非常に楽しめる。漫然と聞くと気持ち悪い瞬間もあるかもしれないが、夢のように美しく世俗的な旋律が織り交ざり(EL&Pだねへ)変化に富んでいる。マッケイブはしっかり弾き切っている。○。

二つの民謡断片op.46-2,3

マッケイブ(P)(DECCA)

ホルストもRVWも間違いなくフランス音楽の影響を受けているわけだが、そこにイギリス民謡のエッセンスを注入ししっとりした抒情を持ち込んだところで独自性を主張している。ホルストは更に一歩進めて晦渋な現代的音響を指向していったが、この曲では殆ど素直な抒情のみを打ち出している。マッケイブのイギリスピアノ曲集を聴いていると昔流行ったウィンダム・ヒルの音楽を思い出す。あれにもっと深い心根を忍ばせたような爽やかで仄かに感傷的な音楽だ。この断片は余りに短いため論評のしようがないが、近代イギリス・ピアノ音楽の最も一般的なイメージを象徴しているように思える。2番はまるで沈める寺。ドビュッシーだ。3番の俊敏な音楽は微妙に不協和で半音階的な動きがちょっと個性的。無印。

合唱幻想曲

ボールト指揮ロンドン・フィル、ジョン・オールディス合唱団、コスター(MSP) (inta glio)1967/8/30ロイヤル・フェスティヴァルホールLIVE

合唱交響曲とのカップリングだがこちらのほうが有名だろう。ワタシも最初このCDを聞いたときはこちらのほうにより魅力を感じた。しかしこんかい聞き直してみて、あれ・・・と思った。オルガンの余りに押し付けがましくけたたましい始まりかたからして幻想ではない。曲の内容も複雑でいわゆるホルストの晦渋も出てしまっている。1930年の作品でテキストは完成直後に死んだブリッジェスのものからとられている(そのため献呈もブリッジェス)。パーセル没後200年を記念して1895年にかかれた詩で、その採用からしてもホルストの古典趣味があらわれている。オルガンと合唱という形式を前面に押し出した背景にはビクトリア朝の音楽があることは想像に難くない。イマイチな感じだった。ボールトもとくにスバラシイとは感じないというか、これはボールトが統制した音楽とも感じない。無印。
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