「不可視の両刃」放射線に挑む~英国大学院博士課程留学~

英国に留学して放射線研究に取り組む日本人医師ブログ

留学とホームシック

2016-09-25 | 留学全般に関して
留学の話題になると、よく、「ホームシックになりませんか?」と聞かれてきました。
日本の環境とりわけ家族や友達や知人と自分との間に広がる距離感と、言葉と文化の壁が厚い異邦の地での心細さを心配して、そのような質問をされるのだろうと考えています。

以前に米国、英国に短期間滞在した時のことを振り返っても、ホームシックに似た感情を覚えたことがあったかどうか、今となっては思い出せません。
再び英国の地を踏んで2週間近くが経ちましたが、日本にいた頃から孤独には慣れていて、今も所謂ホームシックを自覚することはありません。相馬に居た時も、仙台に居た時も、私はいつだって独りでしたから。たとえ誰かが傍にいてくれた時があったとしても、目前の諸問題に対しては、私はいつも精神的に独りで闘ってきましたから。
これまで苦悩を分かち合えたことはありませんでした。

たしかに相馬に居た時は、とても寂しくて、人恋しくなる時がありましたけれど、仙台に転居してからはそういう感情の葛藤はいつの間にか自分の中から消えてなくなってしまったように思います。私が見ている「世界」を誰かに知ってもらいたい、誰かと分かち合いたいと思ったことは幾度もありましたが、その望みはもう諦めたといえるのかもしれません。少なくとも、誰かに「私という人間」のことを理解してもらうことは、もう、諦めました。

『葉隠』に「朝毎に懈怠なく死して置くべし」という一節があります。
私の勝手な解釈ではありますが、「自己の生死を顧みず、(武士として)正しいこと、為すべきことを選びなさい」ということだと思っています。
「死んでもいい」というと極端ではありますが、生きていく上での私利私欲を捨ててみると、「本当に大切なもの」「自分が為すべきこと」が見えるてくるような気がしています。そして、それを追求しようとした時に、別に自分が孤独であろうが、不幸であろうが、大した問題ではないように感じるのですね。葉隠の精神に完全に同調する気はありませんが、なかなか興味深い教えだなと思って、時々、自分の精神状態を振り返る時に参考にしています。
つまり、今この瞬間にもしも私が志半ばで倒れたとしても、後悔しないように日々生きているつもりです。
とはいえ、そんな私とて、美人を見ればドキッとするし、可愛い子と話すとデレッとするし、誰かと何かを分かち合えた時には嬉しかったり、楽しかったりします。
生きていく上で、感情までを捨てる必要はないでしょう、ただ、それに振り回される必要もないのではないかと考えているだけです。

ホームシックになるのは悪いことだとは思いません。
むしろ感受性豊かな人にこそかかりやすいのではないかとも思います。正直言えば、ある意味、羨ましくさえあります。私は、おそらく、もはやホームシックにはかかりません。パフォーマンスも日本にいた頃とほとんど変わりませんし、日本にいた頃よりも時間がある分、論文書きなどの書類仕事はよほど捗っています。
これで良かったのだとは必ずしも思いませんが、まあ、仕方ないのでしょう。

いつかまた、ホームシックにかかるような時があったら……。
早くどこかに帰りたいと思える時が来たら……。

それはそれで、もしかしたら、素敵なことなんじゃないかって――今は、そんな風に思っています