「どうして日本からわざわざBelfastまで?」と、幾度聞かれたことだろうか。
その度にこう答えてきた、「ここにProfessor Priseがいるからだ」と。
Prise教授が世界の放射線研究者コミュニティにおいてOutstanding(目立つ)存在であることに疑いの余地はなく、彼に師事するということは、私にとってだけでなく日本の放射線生命医科学界においても、やはり重要であると思われました。
渡英10日目、ようやく長期出張から戻って来た彼に、私は初めてお会いすることが出来ました。
そして、挨拶もそこそこに早速、研究のディスカッションをしました。現在、Oxfordで開催されているRadiation Protection WeekというEU諸国主体の放射線生物学関連の国際学会における最新の研究動向を含めて、世界の放射線研究の最先端がどこにあるか、福島FUKUSHIMAをどうするのかという観点から、色々とお話しすることが出来ました。
……まあ、私のような青二才というか洟垂れ小僧では、まだまだ敵う相手ではありませんでした。短い時間ではありましたが、なるほど、「世界のトップはこうなのか」と思い知らされました。
しかし、勝てないとまでは思いませんでした。
少なくとも、学生時代に田中教授に感じていたような凄みまでは覚えませんでした。とりあえず、この3年間で、どこまで追いつけるか。私には時間がありませんから、焦っても仕方ありませんが、いずれは勝つつもりでやらないとどうにもならないと改めて思いました。
Belfastに来て、Prise先生に会った時点で、もう、終わりが見えていなければならなかった。
つまり、この留学が終わった後のことまで見据えながら、この3年間を戦わなければならない。
ずっとそう思ってきました――なぜなら、出来るだけ早く世界を変えるために。出来るだけ早く放射線の教科書を書き換えるために。
出来るだけ早く「いつか故郷に帰る人たちの力になる」ために、私はここに来たのだから。
「何であれ、初めて挑む人って、やっぱり凄いよ」と、かつて言われました。「そういう人が世界を変える。だから、研修医第一号先生も、いつかきっと、世界を変える人になれると思います―――ただし、女、酒、ギャンブルに狂ったりしなければ」
2年以上も前のことですが、私に向かってそういうことを言った方がいました。
その後、私はちょっと頭がおかしかった時期もあった(?)ようですが、その方の献身的なサポートのおかげ(?)もあって、私のキャリアパスにおいて「ある種の致命的となる事態」は回避されてきました。たしかに女性、お酒、ギャンブルなどの影響で、生き方を変えた人たちを私も数多く知っていました。もちろん、それは必ずしも悪いことではないとも知っています。
結局、初志貫徹して、今、こうして英国に来たことを思えば、私はその人にやはり感謝するべきなのでしょう。
来てまだわずか10日間ではありますが、すでに幾度もカルチャーショックに曝されて、今までの自分の不見識を思い知っています――なにより、私には「覚悟」が足りなかったということが判りました。
当たり前ですが、何かを手に入れようと思ったら、何かを支払わなければなりません。
何かを得ようと思えば、何かを失わなければなりません。
その覚悟が本当は足りなかったのだと思います。
つまり、私は甘かった。日本にいたままではおそらく気付けなかったでしょう。
やはり、ここに来て、良かった。
色々な想いを背負って、私はここにいます。
もはや私だけの冒険ではないということは、薄々と判ってはいるのです。せめて3年後には世界と戦える人間になっていなければ、自分をこれまでサポートしてくれた人たち、温かく応援してくれた人たち、なにより「自分がなんとかしてあげたかった人たち」に、申し訳が立たないというものでしょう。
遠い先にゴールは見えています。だから、あとは、がむしゃらに走るだけ。
カッコ良くなくてもいいから、とにかく、最後の最後まで。
その度にこう答えてきた、「ここにProfessor Priseがいるからだ」と。
Prise教授が世界の放射線研究者コミュニティにおいてOutstanding(目立つ)存在であることに疑いの余地はなく、彼に師事するということは、私にとってだけでなく日本の放射線生命医科学界においても、やはり重要であると思われました。
渡英10日目、ようやく長期出張から戻って来た彼に、私は初めてお会いすることが出来ました。
そして、挨拶もそこそこに早速、研究のディスカッションをしました。現在、Oxfordで開催されているRadiation Protection WeekというEU諸国主体の放射線生物学関連の国際学会における最新の研究動向を含めて、世界の放射線研究の最先端がどこにあるか、福島FUKUSHIMAをどうするのかという観点から、色々とお話しすることが出来ました。
……まあ、私のような青二才というか洟垂れ小僧では、まだまだ敵う相手ではありませんでした。短い時間ではありましたが、なるほど、「世界のトップはこうなのか」と思い知らされました。
しかし、勝てないとまでは思いませんでした。
少なくとも、学生時代に田中教授に感じていたような凄みまでは覚えませんでした。とりあえず、この3年間で、どこまで追いつけるか。私には時間がありませんから、焦っても仕方ありませんが、いずれは勝つつもりでやらないとどうにもならないと改めて思いました。
Belfastに来て、Prise先生に会った時点で、もう、終わりが見えていなければならなかった。
つまり、この留学が終わった後のことまで見据えながら、この3年間を戦わなければならない。
ずっとそう思ってきました――なぜなら、出来るだけ早く世界を変えるために。出来るだけ早く放射線の教科書を書き換えるために。
出来るだけ早く「いつか故郷に帰る人たちの力になる」ために、私はここに来たのだから。
「何であれ、初めて挑む人って、やっぱり凄いよ」と、かつて言われました。「そういう人が世界を変える。だから、研修医第一号先生も、いつかきっと、世界を変える人になれると思います―――ただし、女、酒、ギャンブルに狂ったりしなければ」
2年以上も前のことですが、私に向かってそういうことを言った方がいました。
その後、私はちょっと頭がおかしかった時期もあった(?)ようですが、その方の献身的なサポートのおかげ(?)もあって、私のキャリアパスにおいて「ある種の致命的となる事態」は回避されてきました。たしかに女性、お酒、ギャンブルなどの影響で、生き方を変えた人たちを私も数多く知っていました。もちろん、それは必ずしも悪いことではないとも知っています。
結局、初志貫徹して、今、こうして英国に来たことを思えば、私はその人にやはり感謝するべきなのでしょう。
来てまだわずか10日間ではありますが、すでに幾度もカルチャーショックに曝されて、今までの自分の不見識を思い知っています――なにより、私には「覚悟」が足りなかったということが判りました。
当たり前ですが、何かを手に入れようと思ったら、何かを支払わなければなりません。
何かを得ようと思えば、何かを失わなければなりません。
その覚悟が本当は足りなかったのだと思います。
つまり、私は甘かった。日本にいたままではおそらく気付けなかったでしょう。
やはり、ここに来て、良かった。
色々な想いを背負って、私はここにいます。
もはや私だけの冒険ではないということは、薄々と判ってはいるのです。せめて3年後には世界と戦える人間になっていなければ、自分をこれまでサポートしてくれた人たち、温かく応援してくれた人たち、なにより「自分がなんとかしてあげたかった人たち」に、申し訳が立たないというものでしょう。
遠い先にゴールは見えています。だから、あとは、がむしゃらに走るだけ。
カッコ良くなくてもいいから、とにかく、最後の最後まで。