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リバティ船ジェレマイア・オブライエン~「アベンジ・ディッセンバー7」

2014-10-18 | 軍艦


サンフランシスコ湾で動的展示公開されている、
アメリカの戦時リバティ船「ジェレマイア・オブライエン」。
夏に見学してきて、それについて語るのも最終回となりました。




取りあえず甲板から上を全部見学し終わったところに、
ミュージアムの指差し看板があります。
甲板の一階下が博物館として公開されているようです。

さっそく狭い階段を下りて行きますと・・・。 



いきなり記念写真のコーナーが。
海軍の水兵さん、海兵隊士官、そしてロージー・ザ・リペッター。
縮尺の関係でロージーが巨大になってしまいました。



前にも機関室の写真と共にこの船の動力が

3シリンダートリプル拡張レシプロ蒸気エンジン

であることをお話ししたと思いますが、JOのエンジンは
動的展示されているため、ここにあるのはレプリカです。
レプリカではありますが、動かそうと思えば蒸気で稼働するそうです。

この横にあった看板には、長々とエンジンの動力の仕組みについて
機構を説明してありましたが、現場では面倒なので読まず、
後で写真を点検したら、一番最後に

「50¢入れたら2分間実際に動きます」

と書いてあったのに気がつきました。
・・このときちゃんと読んでいれば動くのを見られたのに・・。



映画「タイタニック」にJOの機関室が使われたことも
パネル展示で説明されています。

ちなみにタイタニック号のエンジンは、レシプロ蒸気エンジンと
タービンを組み合わせたものでした。

ボイラーで作られた蒸気はレシプロ蒸気機関を動かし、さらにそれが
低圧になって出てきて直結タービンを回すという仕組みです。



一般的なリバティシップの船内見取り図。

中央の赤部分がエンジンで、そこから船底のやはり赤で表わされた
シャフトトンネルに配された動力を伝って船尾のスクリューに伝わります。

船首と船尾のブルーの部分は「ピークタンク」

船首および船尾の隔壁(衝突時に沈没を防ぐ)の前後にあり、
船の縦方向の傾斜の調整(トリミング)を行うタンクです。
このタンクに注排水をすることにより,前・後部の喫水調整を行います。




中央にはイベント等を行うスペースがあり、皆が座って
上映されているビデオを見ていました。



かつて実際に使われていたJOの備品。



ふと画面を見ると、かつて現役だった(今も現役といえば現役ですが)
JOの映像が流れていました。



彼女が航行した航路が全て線で記されています。

ノルマンジー上陸作戦のときが緑の線。
その他、上海、フィリピン、パプアニューギニア、オーストラリア、
南米にも一度ボストンから向かっています。



第一次世界大戦時、アメリカは一隻でも多くの船を必要として、
そのために様々な取り組みを行いました。

「我が祖国は船を必要としている」

「船は出来うる限り早く、完全な姿で建造されねばならず、
このためには全ての人々が毎日より一層の労働を果たせば、
船の出来るのが少しでも早くなるのである」

このような煽り文句が書かれたポスター。
実際に、この頃から26年後に、リバティシップは急増の最盛期を迎えます。




第二次世界大戦時、大量に建造された船にかかわる資料。

護衛艦 565、ビクトリーシップ(貨物船)534、
そしてリバティ船2710隻。



タンカー697隻、護衛空母124隻、戦車揚陸艦1152隻。

世界一の金持ちの国が威信を賭けて船を建造すると、こうなります。
こういうのを見ても、この相手に勝てるわけなかったとつくづく思いますね。



第一次大戦時、船建造の必要性を上からあの手この手で説いていた米政府ですが、
この日を境に、持って回った宣伝文句は不要になりました。

「復讐 12月7日」

真珠湾を奇襲した日本への憎しみを煽ることが、すなわち
アメリカ国民の労働への惜しみない挺身に繋がるというわけです。

しかし、これを観て思ったのですが、一般の歴史博物館なら
もう少し中立の立場で「こんなことがあった」と述べるだけの説明が、

「なぜ我々は建造という戦いに挑んだのか」

船舶、航空機、タンカー、銃・・
そして我が国の青年たちに,この閉ざされた世界に
勝利と平和をもたらすことが求められた

ですからね。
今でも全く立ち位置は「アメリカが正義、日本は悪」のまま。

まあ知ってましたけど。



”不注意な一言・・・・不要な沈没”

「ケアレスワード」が何を意味するのかイマイチ分かりませんが、
小さなミスによってもたらされる被害は余りに大きい、ってことでしょうか。

ここに、大戦中の喪失船舶についての資料が掲げられていました。

戦没した戦時徴用船員 8,431人
戦没した武装警備隊員 2,193人
沈没した商船 674隻 その内のリバティ船 243隻    

戦没した民間船 世界全体で 3,304隻



「JEEP ON A LIBERTY」

こういう書き方がいかにもアメリカ人ですね。
「リバティ船に乗っていたジープ」っていうことなんですけど。

リバティ船が輸送したのは車両、兵員、食料、武器、燃料などでした。



足踏み式動力のオルガンは、前線での礼拝の為に
リバティ船に乗り込んでいた神父が使用したものです。

艦内の郵便ポストもJOの艦名入りで現存。



DーDAY、ノルマンジー上陸作戦を再現した大ジオラマ。
これはすごい迫力でした。
手前に見えているのがジェレマイア・オブライエンですね。
船から降ろされた兵員たちがボートで次々と岸に向かっていきます。



黒々としたノルマンジーの海の色と白波。
大きさは縦5m、横3mといったところでしょうか。
アメリカにもこういう模型製作のプロがいるんですね。



「鳥だ!飛行機だ!」とおののく船上の人々。

ヒトラーのV1、と説明に書かれたこの飛行体は、第二次世界大戦中、
ドイツが開発したミサイル兵器のことです。



ただしこれは2000発つくって、英仏海峡をちゃんと越えていったのは
全体の6.5%くらいにすぎなかったそうです。


こちらはV2。
初めて使用されたのはベルギーの港アントウェルペンでした。
「V」というのはヨーゼフ・ゲッベルスの命名で、

Vergeltungswaffe 2(報復兵器2号)

の略称です。
V1は失敗でしたが、こちらは一定の効果を上げたため、
戦後、この脅威のミサイルを我が物にしようと、
アメリカとソ連の間でV−2の残りと技術者の獲得競争が起こりました(笑)



爆撃をするため低空飛行してきたドイツ機は、
バルーンの紐に引っかかり墜落したそうです。まじか。



”Fooling Hitler”

ヒトラーを騙す、と題された絵。
同盟国イギリスは、ノルマンジー作戦のときに、ショートカットである
フランスの沿岸に偽の戦車や飛行機を置いてドイツ軍を騙し、
現地への援軍の到着を遅らせました。

5人で戦車を運んでおる(笑)
ベニヤか紙でできてるのかな?



「インスタントハーバー」

補給物資を効率的に揚陸するため、「マルベリー」と呼ばれる人工港湾施設を
アメリカ軍とイギリス軍がそれぞれ1つ準備しました。

この「マルベリー」は潜函(ケーソンと呼ばれるコンクリート製の箱)、
浮橋(ポンツーンと呼ばれる、40t用と25t用など数種類有る)消波ブロック、
沈船を組み合わせたもので、ル・アーブル港を使用できるようになるまで、
燃料を始めとする約120万tの補給物資の揚陸に用いられることになりました。



アメリカ軍、イギリスそしてカナダ軍が「オマハビーチ」「ユタビーチ」
等と名付けられたノルマンディー地方の沿岸から上陸しました。

この作戦にかかわった人々は3百万人にのぼります。

 

オマハビーチで回収された上陸作戦の際のボート。
爆撃を受け粉々に粉砕され、乗員は戦死したことが分かっています。

そんな貴重なものにガムテープで説明を貼るアメリカ人。



船団を攻撃したのはドイツ軍のコンドル(フォッケウルフ)。
対するアメリカ側はリベレーターB24

このモデルはアメリカ軍のパイロットが敵味方識別のトレーニングに
つかったものだそうです。
そのさい、モデルのスケールは1/72が基準とされました。



これも認識トレーニングの為に使われたもの。
右から駆逐艦、戦艦ティルピッツと姉妹船ビスマルク、
重巡洋艦プリンツオイゲン、戦艦シャルンホルスト。



展示はこれで終わりです。
展示コーナーを抜けるとかつての兵員居住区がそのまま
現在も使われている状態で公開されていました。



カセットのビデオ、「DーDAY」「THE LONGEST DAY」があるので、
全部Dデイ関係の映画かと思いましたが、007カジノロワイヤル、
NO WAY BACK(邦題逃走遊戯)など、全く関係ないものもありました。

このブロック棚は水兵たちが私物を入れるのに使用されていたものです。




キャンバス式の船員ベッド。
今でもJOは、体験宿泊を時々行っており、こういうところでも
希望すれば一晩寝ることが可能です。



空調がないというのは本当らしく、巨大な扇風機がありました。
このころは軍艦は勿論一般の船にもクーラーはなかったようです。
ボイラー室で働く人々はいったいどんな状態だったのでしょうか。




さて、というわけでリバティシップ、ジェレマイア・オブライエンの
見学を終了しました。
この狭いラッタルをまた降りていくことにします。 



ラッタルの一番上から船体を撮ってみました。



ラッタルを降り、船尾を臨む。






潜水艦パンパニトとは、岸壁の隣同士に係留されています。
いつも思うのですが、こんなサンフランシスコで最も賑わう観光地に
戦争の遺跡をこのように展示公開するなど、日本では考えられません。


いずれにせよ、JOの資料に添えられた説明を読んでみても、彼らはいまだに

あの戦争は正義の為の戦いで、アメリカは悪と戦ったのであり、
全国民が一丸となって勝ち取った勝利は偉大だったと信じているようです。

日本の現在の歪な国家意識は全て敗戦から来ているのは確かですが、
万が一勝っていたら、日本もこんな国になっていたのかもしれません。

現にアメリカというのは日本やドイツに勝った後も、
朝鮮戦争に始まり、ベトナム戦争で懲りたかと思いきや全く懲りず、
湾岸戦争だイラクだアフガニスタンだと、こまめに世界中で
戦争を繰り返しています。

その度にアメリカ人の命もまた失われていくわけですが、
繰り返される戦争を経ても国民に疑問を抱かせない為には、
戦争そのものの是非を
国民に考えさせないことが必要となります。

過去の戦争を語るときのアメリカ人が、いまだに当時の価値観
留まっているように見えるのも、つまりは
過去の戦争に疑問を抱くことなく、
その行為を「愛国」という言葉で
讃えることを
国家から連綿と教えられてきたが故の思考停止というものかもしれません。


国単位で言うならば、それは「勝者の奢り」と呼ぶべきものでしょう。



こういった戦争の痕跡において、衒いもなく自らの戦いを讃えて憚らない
アメリカ人を見ると、何となく我々としては、そこに
見てはいけないものを見たような戸惑いと、微かな苦々しさを感じます。

敗戦によって国家観を歪にされてしまった国民の僻みかもしれませんが。

 


(シリーズ終わり)