阪神地区在住であった時には、自衛隊基地が比較的近くにあることなど
夢にも考えたことがありませんでした。
呉地方隊の管轄でもあり、阪神地方の防衛基地である阪神基地隊に、
今回初めていく機会があったのですが、住んでいた時には通り過ぎるだけだった
この地域が実際にどんな様子であるか、生まれて初めて知ることになりました。
伊丹空港から空港バスで阪神甲子園、(関西の人間なら誰でも知っている球場前の駅)
そこから魚崎まで阪神電車、駅からタクシーと乗り継ぎます。
車上から見る景色が、工場しかないのにまずびっくり。
「宮水」といってこの地方には酒造に向いた上質な水が出ることを、関西在住の子供は
何かと聞かされて育ち、大関や白鹿の名前に聞き馴染みがあったりするわけですが、
この辺にも「灘の酒造」として「菊正宗」「月桂冠」などの酒造会社が並び、
わたしなど、目を丸くしながら、今更のように「灘五郷」などという教科書の言葉を
思い出したりしていたわけでございます。
そんな工場街を海に向かって進んでいくと、突如現れる阪神基地隊。
警務分遺隊もあります。
渺茫という言葉がつい浮かんでしまいました。
ここにこんな基地があったんですねえ・・。
この日の主眼は掃海艇の見学であったわけですが、
見学の前に掃海隊司令によるレクチャーが行われました。
わたしのように多少知っている、という者は同行者の中では少数派で、
ほとんどの人が「掃海」という業務について全く知らないも同然なので、
掃海業務の歴史と現在についてをざっと説明したこの講義は、
皆にとっても有益であったはずです。
ただ一つ、わたし自身が調べたこととの相違がありました。
初期の機雷として、アメリカ独立戦争の時に使われたものを
「ブッシュネルの浮遊機雷」
として図まであるのですが、ここで散々()お話ししたように、ブッシュネルのは
「タートル」であり、彼がイギリス軍に見つかった時に、
「トルピードだぞ!」
と言いながら爆発物を流したのでそれが「魚雷」の語源になった、
という事実はあるものの、この図の機雷は、
「インファーナル・マシン」(地獄のマシン)
と呼ばれていた浮遊機雷で、ブッシュネル作ではありません。
まあ、説明している方も割とどうでもいいことなのであっさりと通過しましたし、
ましてやここにいる皆が間違って覚えたとしても問題はないと思ったので、
最後まで何も指摘しませんでしたが。
さて、解説が終わり、皆で岸壁に移動です。
コンパクトな基地なので、レクチャーが行われた建物から外に出て、
駐車場を横切り、防波堤を越えればもうそこは岸壁。
見えているのは阪神高速湾岸線。
昔よく車で通った道ですが、こんなだったんですね。
ここには「すがしま」型掃海艇3番艦の「つのしま」がいます。
岸壁には艇長と機関長が案内のために待機してくれていました。
停泊中の自衛艦なので、艦首旗(国旗に似ているけど似て非なるもの)
が揚がっています。
「すがしま」型掃海艇は1996年から8年間にわたって12隻建造されました。
いずれも船体は木製で、米松などの素材からできています。
最新型の「えのしま」型からは FRP素材になり、木製の船を作れるような
「職人」もいなくなっていることから、次級の「ひらしま」型とともに
最後の木製掃海艇群となるのではと思われます。
掃海艇は自力で接岸、離岸ができることは、何度か乗艦して確かめましたが、
そのための水噴射式「バウ・スラスター」が喫水線に見えています。
機関長にあとで伺ったところ、水の噴射の力バランスを変えることで
動きを調整することができるのだという説明でした。
噴射する水はもちろん海水を吸い込んで吐き出す方式です。
乗る前に岸壁で大変目を引いたリヤカー。
これ、どう見ても配備されて一週間以内だろっていう。
さて、乗艦しました。
ここからは見えませんが、マストには星一つで上下にラインのあるの隊司令旗が揚がっています。
今日は信号旗のラックにはカバーがかかっています。
風力計は両舷ともにゼロ。
艦橋のCICにやってきました。
掃海艇の場合は、CICが操舵室であり電信室でもあります。
自動操縦もできるということですが、ボタンやスイッチなどの佇まいは
護衛艦などに比べるとアナログっぽいなという感想です。
操舵を行う舵輪は、今やこんなにコンパクト。
この前には、止まり木のような椅子が設置してあるので、そこに座って
この写真を撮ってみました。
「昔はものすごく大きなものだったんですよ」
見学者は二手に分かれ、一方は艇長が、わたしたちのグループは
機関長が案内をしてくださいました。
機関長は昨年の夏からここに勤務しているそうです。
掃海艇の艇長席は赤と青のツートーンカラー。
かたやこちらは赤の隊司令席。
隊司令はマストに旗が揚がっていたように、二佐の職です。
掃海艇は触雷を避けるために木造の船体であるわけですが、
艦橋内にも極力木製のものを採用しているせいで、
何かオールドファッションな雰囲気です。
正面の黒板は、訓練予定とその日の必要情報を書き込むもので、
0930 神戸港出港
1115 明石海峡通峡
などとスケジュールが掲載されています。
あとは天候と潮の高低、そして「ネザ」「チョリザ」「ミザ」など、
海自お馴染みの呪文を書く欄があります。
この日は休日で稼働はしなかったはずなので、翌日の予定でしょうか。
巨大な補給艦も、イージス艦も、そして掃海艇も。
使っているジャイロレピータの形と大きさは皆同じです。
これ自体がコンパスなのではなく、マスターコンパスは大抵別の場所
(下の階)に設置されています。
そこからレピータの方に信号が送られてくるようです。
船内の火災、ガス、浸水などの以上を知らせるパネル。
赤が火災で、ブルーは浸水だろうと思われます。
ブルーのボタンは最下層階にしかありません。
紙の海図がチャートデスクの上に広げてありました。
阪神基地隊のある東灘近隣の地図であることがわかります。
左下に突き出している島には神戸空港があります。
今回神戸空港利用も考えたのですが、1日の就航数が少ない上、
阪神基地隊までの所要時間は伊丹と変わらないことが判明しました。
見学モードなので、一般人にわかる説明が掲示されています。
簡単にいうと
ペルシャ湾での掃海を通じてそれまでの掃海艇の短所を痛感したため、
その問題点を克服せんと、企画設計されたのが「すがしま」型である
と書かれています。
情報処理装置である
NAUTIS-M NAUTIS-M1
の搭載によって、核装備武器を一元的に統括することになったほか、
機雷探知機には
TYPE2093
を採用して精度をあげ、さらにはバウスラスタ、シリング舵の搭載によって
それまで難しかった定点保持、航路保持を可能としました。
かもめプロペラという言葉につい目を惹かれました。
これは船舶プロペラを専門とする会社のことらしいです。
可変プロペラとバウスラスタはここの製品であるらしく、
使用に際しての注意事項が書かれていました。
(変節ダイヤルは一度に10度以上回すなとか)
船の上からみた阪神基地隊全貌。
後ろの長い建物は、隣の工場です。
CICの見学を終わり、内部の階段を下に降りて、安全パネル上では
士官室となっている艇長の部屋を見せてもらいました。
木製ベッドと机のせいであまり自衛艦の中らしくありません。
甲板に案内されました。
ここには20ミリ機銃、M61バルカン砲があります。
バルカンは製品名で、 GE社のガトリング砲が一般名称です。
「機雷を掃討するためのもので、武器ではありません」
でも、もしそれが必要なことがあれば、武器として使うのもやむなし?
「下に向けると甲板に当たりませんか」
「角度が固定されていてそうならないようになっています」
同行していた一尉がどのように撃つかを見せてくれました。
リングの上に立って、肩とうでを銃身の後ろのホールに当てて、
体ごと移動すると、銃身はグルーっと回転し、
体の動きにつれて砲身も上下します。
アメリカで見た対空砲とこの辺りは全く同じ仕組みです。
銃は誰でも扱えるわけではなく、免許というか資格が要るそうです。
海面にある機雷を撃つ銃が甲板にあるというのは角度的に
狙いがつけにくくないかと思ったのですが、説明によると
バルカンの射程距離は何キロも先の機雷を狙うだけあるそうですし、
しかも1分間に6,000発の弾丸が発射されるというものなので、
それだけ20ミリが降り注げば一発や二発は機雷みたいな
小さな目標にも当たるのだろうと思われます。
さて、我々はここで甲板を後ろに移動し、掃海具を見ることになりました。
続く。