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海軍潜水艇「X-1」バチスカーフ「トリエステII」〜メア・アイランド海軍工廠博物館

2019-05-03 | 軍艦

 

先日海上自衛隊呉史料館、通称「てつのくじら 」を見学ましたが、
今日はメア・アイランドの展示物の中でも潜水関係のものについてです。

このエントリを仕上げてから、わたしはインターネットでNHKの

映像の世紀プレミアム7「挑戦者たち」

を観て、その中の

深海に挑んだオーギュスト・ピカール教授

の紹介に思わずあっと声を上げました。
ピカールが深海に挑んだ潜水艇こそ、この時メア・アイランドで模型を見た
「トリエステ2」だったからです。

wiki

オーギュスト・ピカール。

当時のニュース映像音声によると(日本語訳はされていませんでしたが)

「教授とその息子はこれからバチスカーフで4000mの深海に挑戦する」

ということが説明されていました。

スイスの物理学者ピカールは、自分の発明した気球で成層圏に達した
最初の人物ですが、その技術を応用し、潜水艇を開発したのです。

それは理論上、水深1万6千メートルまで水圧に耐えられるとされていましたが、
機構上の不備で浸水してしまい、失敗。

そこでイタリアのトリエステという街のスポンサーを得て、
新たに作られたのが

トリエステ号

でした。

人員が乗り込むのは丸い「ゴンドラ」の部分です。

1953年、前人未到の水深3150mを目指した「トリエステ」号は
69歳のピカールと息子のジャックを乗せて目標を達成しています。

みなさん、ところでタイトルのバチスカーフという言葉聞いたことがありますか?

Bathyscaphe、-scape、-scaph

と綴るのですが、この言葉はピカールによって発明されたもので、

推進力をもち、深海を自由に動き回ることが可能な小型の深海探査艇

という意味を持ちます。

ギリシア語の「bathys(深い)」「skaphos(船)」を合わせた造語で、
現在は深海探査艇のうちピカールが設計(デザイン)した一連の個体、
あるいは、それに類似したタイプを指す総称となっています。

初代バチスカーフ「トリエステ」は、最終的にマリアナ海溝に潜行を行い、
20万トンもの水圧に耐え、
深度約10,911メートルの潜行記録をを打ち立てました。

wiki

その「チャレンジャー海淵」はエベレストよりも高い、いや深いのです。
この時、老齢のピカールに変わって挑戦を行なったのは息子のジャックでした。
(写真上の人物)

成功の知らせを受けたピカールは、

「嬉しいかって?嬉しいに決まっているだろう」

と答え、その2年後に78歳でこの世を去っています。

「トリエステ」号の有人潜水記録は、その52年後の2012年に
「ディープシー・チャレンジャー」がほぼ同じ深度に到達するまで、
破られることはありませんでした。


ところでもしロレックスの時計を愛用している方がいたら
ロレックスの名声を高めたのが他ならぬ「トリエステ」であったことを
ぜひ知っていただきたいと思います。

 ROLEX History: 1960

Bathyscaph Trieste Record Dive.mpg

このチャレンジの時、「トリエステ」の外壁にはロレックスの時計がむき出して備えてあり、
1万メートルもの世界初の水圧に耐えたことでその性能が証明されました。

わたしがロレックスというブランドに惹かれるのもこの伝説あってのことです。
(流石にその潜水艇が『トリエステ』であることは今回初めて知りましたが)

カルチエの「サントス」もそうですが、現在ブランドと呼ばれるものには
それなりの歴史の積み重ねがあり、その物語ゆえに人々はブランドを支持するのです。

この、まるで白いクジラのような形の潜水艇は、

TriesteII(トリエステ2)

というバチスカーフです。

ピカール親子とは全く関係ありませんが、初代「トリエステ」のオ
マージュとして2号と名付けられた潜水艇で、
設計は初代を参考に、
ここメア・アイランド海軍工廠で建造されました。

これが「トリエステII」の最初のバージョンです。
彼女は最終系になるまで何度か階層を繰り返して進化しています。

手書きの字がじわじわきますね。

メア・アイランドの対岸のまちが向こうに見えていますが、これはおそらく
建造中で艦体にカバーがかかっている状態だと思われます。

このカバーを外したものが下の写真。
船底のハッチからのぞいているのは乗員が乗り込む与圧室です。
ここから海底を目視しながら操縦を行うのです。

もちろん深海用なのですが、普通深海用というとできるだけ
圧力の変形を受けないように丸く作るものですよね?
「あの」マルゆですら、そのため缶詰工場で作らせようとしたくらいですが、
この形はなんともよくわかりません。

海上の「トリエステ2」。
イタリアの設計に任せたら、耐圧殻がこんなのになってしまいました。

軍用艇ではなく、さらに深海に潜水するということで、艇体は白です。

上の当博物館にあった説明(しかし字が下手すぎる)によると、
この写真が3回目の改装後で、下に保護のためにつけられた枠を外すと、

改装された後の艇体はこんなになっていたというわけです。

ようやく深海探査艇らしい耐圧殻に生まれ変わった「トリエステ2」。

この耐圧殻は信頼のドイツ・クルップ社製です。
(イタリア製が信用できないと言っているわけではありません)

この改装ももちろんメア・アイランド海軍工廠で行われ、この結果
新しい外殻によって水深20,000フィート(約6100メートル)まで潜航可能となりました。

海軍の所属ではありましたが、いわば「潜水夫」の仕事をする、
探索艇だったためか、「トリエステ2」は1969年秋までは
海軍の「備品」扱いで、艦船とはみなされていませんでした。

しかし、「トリエステII」が海軍籍に入れられるきっかけとなったのは
おそらくですが、この潜水艇が

原子力潜水艦「スレッシャー」USS Thresher, SSN-593

が1963年に沈没事故を起こした時、その捜索にあたったからでしょう。

海軍籍を与えられた「トリエステII」の船体番号は「X-1」

そして1971年6月1日から1980年まで、深海潜水艇(DSV)として運用されました。

 

 

「トリエステ級」深海潜水艇は、その後、有名な「アルビン」に代表される
「アルビン級深海潜水艇」(『タートル』『シークリフ』『ネモ』)
に置き換えられて引退しています。

アルビン号

wikiによると「アルビン級」は乗員が多く、より機動性に優れているが、
トリエステほど深くは潜れない、と書かれています。

ちなみに、「トリエステ2」の最大乗員数は2名。
それではアルビンは何人乗れるのかな?と思ったら、

操縦士1名科学者2名(計3名)

たった一人しか違わんやないかーい(笑)


こちら海軍艦艇甲板上のアルビン。

 

 

さて、そのほかの潜水関係展示をさくさくとご紹介していきましょう。

潜水夫が潜水艦を抱えているモチーフ。
海軍工廠では、港湾における潜水作業が欠かせません。

一番左の絵はやはり潜水艦を抱え、海底に立って
お魚と対話している潜水夫が描かれています。

これらの写真は比較的最近、1984年ごろのもので、
上は「ダイビング・バージ」といい、潜水を行うプラットホームです。

こちらの白黒写真は皆1954年ごろのもの。
いずれもバージの上で潜水スーツをつけた潜水夫に、
ヘルメットを被せたりしているシーンばかりです。

これによると、メア・アイランド近海の水深はせいぜい12mくらいで、
深くはありませんが、3〜4時間以上は水温の関係で潜ることはできません。

海峡となっているメア・アイランド付近の海は濁っていて
水深2フィート潜ればもう何も見えず、ダイバーは手探り状態。
作業は大変困難になることが多かったそうです。

大変きつい仕事なので、ダイバーはローテーションで仕事を行い、
しかも潜水は一日一回だけとされていました。


ダイバーになるには厳しい体力テストが行われ、勤務中も
最大限のメディカルケアが施されましたが、それでも
引退は40歳と大変早い時期です。

昔の潜水はここにあった器具を見ても、大変過酷だったに違いありません。

説明はありませんが・・・これ潜水艦の潜望鏡じゃないですか?

しかも、「ノーチラス」を見たことのあるわたしに言わせると、
これは明らかに原子力潜水艦の潜望鏡です。

巨大な潜水艦の模型がありました。

もちろん人間が乗れるようなものではありませんが、模型にしては大きすぎる。

しかし、アップにしてみると潜水艦も輪切りにしてあり、
しかもそれぞれのパーツに番号がついています。

 

ここにあった説明です。

「造船路(シップ・ビルディング・ウェイズ)」

1939年、メア・アイランドには1番と2番、2つの造船路がありました。
1番路は通常全長600フィート以上の造船に使われていました。
2番路は450フィート級の船を作るための大きさではありましたが、
例えば潜水艦や駆逐艦クラスなら同時に2隻作ることができました。

1941年、新造計画が立ち上がると同時に、新しい造船路が必要となったので、
第3から8までの6つの造船路が一気に作られることになりました。
ここに来るためにナパリバー・ブリッジができたのもこの時です。

これらの造船路は皆450フィートでした。

どうもこの模型は、大量に造船路を作るにあたって用意された
潜水艦のモックアップだったということのようですね。

潜水艦基地のあるメア・アイランド。
今いるところは画面左奥の工廠の部分です。

SSN575、原潜シーウルフ

「シーウルフ」はこれもわたしはすでに見学したことのある、「潜水艦のふるさと」
グロトンで建造され、ここメア・アイランドで電子情報収集及び分析装置、
有線式遠隔観測機(通称「フィッシュ」)2基を搭載しています。

つまり、ソ連領海に侵入して情報蒐集を行うという特殊任務用の改造でした。

立派な潜水艦の模型ですが、艦体に書かれている「ソラノ」、
この名前の潜水艦はないので模型製作者の名前かもしれません。

もし実在する潜水艦だったらごめんなさい<(_ _)>


続く。