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シック・ベイ〜USS「リトルロック」

2025-02-26 | 軍艦

ミサイル巡洋艦、「リトルロック」艦内探訪の続きです。


グリーンと赤のクリスマシーなタイルの廊下。
この一角に「シック・ベイ」があります。

シック・ベイとは医療目的で使用される艦内の区画を指し、
つまりは艦内病院ということになります。

Pタイルにある蛾のような模様は、医事を表す、
アピクレオスの杖のマークをかたどっているものと思われます。

ここにある「シック・ベイ」の説明は以下の通り。

「乗組員である将校、海兵隊員、下士官兵、
総勢1300人もの乗組員のケアはフルタイムの仕事だった。

そのために医師、歯科医、衛生兵が乗艦し、医療上の問題に対処した。

ここでは、医療室、手術室、回復室、歯科治療室を見ることができる」



左はレントゲン室で、使用中を表すランプが取り付けられています。
ここは一般には公開されていません。

突き当たりは診察&医療室、

「サージカル・ドレッシング・ルーム」

で、外から見るためにドアをガラス張りにしてあります。


この部屋を「シックベイ・ワード」Sick Bay Wardといいます。
回復室と一般的な病気の治療エリアとして機能するエリアです。

血圧測定中

ここを拠点に、総員に向けて、毎日2回の「シックコール」が行われました。

シックコールはアメリカ軍全般で行われる慣習で、

「医療処置を必要とする軍人の毎日の整列」

または、そのための信号ラッパのことをいいます。

Sick Call (Bugle Call)

各自が受けた検査の記録として、通常一人、
時には複数の医療担当者が、各自の健康状態を

「シックコール トリートメントレコード」(治療記録)

に記入することが定められています。

コンパートメント内にはロッカーや書類器具用の棚が配置されています。
棚の上のヘルメットにはメディックを表す赤十字入り。



可動式らしいアイランド型の簡易ベッドは、
診察を受けるため患者が横たわるようになっています。
ベッドにしては妙に高いですが、医師が診察しやすいし、
おそらくこの高さでもアメリカ人なら問題ないのでしょう。

アイランドに立てかけてあるのはギプスに重ねるシーネかシャーレでしょう。
シーネは添木とも副子ともいい、骨折部に当てて包帯で巻くものです。

英語ではギプスではなくキャストといい、添え木はスプリントと言います。

添木の近くに「海の上での医療行為」という本、
机の上には「人体解剖」の本がさりげなく?飾ってあります。

ゴム製の氷嚢は古い型のようですが、今でもダンロップ印のゴム製のものは
ほとんどこれと変わらない形で売られています。

さて、お次は手術室です。


負傷した(重症っぽい)患者を前に、にこやかに微笑む軍医。

軍に限らず、船上の生活は本質的に危険な労働環境にあり、
必然的かつ恒常的に事故が起こりがちです。

長期の配備サイクルや長い「洋上」(at-sea)期間、
乗組員は陸上の病院や施設から遠く離れざるを得ません。

そのため、艦は乗組員や、戦闘グループ全体に対し、あらゆる想定のもとに
医療援助の提供を行う能力を備えていなければなりません。

「リトルロック」の規模の艦艇に手術室が不可欠なのはそのためです。


「リトルロック」1400名の乗組員は、配属された医療要員と、
これらの施設にその健康と、時として生命の維持を依存していました。


白衣と手術着が掛けられた物品棚なるコーナー。
左の機械は麻酔用のガス供給装置だと思われます。

棚にビーカーなどが並んでいますが、運用中は船の動揺に備えて
一番上の棚にあるような枠のついたラックに収納されていたはずです。

ここには、保管が必要な医薬品を入れる薬品箱や、
モルヒネなどの規制薬物を入れる鍵付きのキャビネットもあります。

患者がいない限り、通常、医療室は施錠され、
鍵は医務官と司令官しか使用することを許されていません。



手前に見えるのはステンレス製の尿瓶。
現在は珍しい素材ですが、生産していないわけではありません。



一般の病院で言うところの「病棟」にあたる部屋です。
こちらは下士官兵用のベッド。


アピクレオスの杖の部分だけは、改装時にも残されたようです。
ベッドの真ん中に据えられたデスクは、ここで医務官が
病棟見回りの代わりに待機していたのかもしれません。


デスクの後ろにあるこの窓のある機械ですが、
いわゆるナースコールの役目をするものです。


赤丸で囲まれているものもナースコールです。

緊急事態や問題が発生したときに、このシステムを使うと、
各ボタンには右舷、ベッド、バスルームなどと書いてあり、
このオフィスにいるドクターが電話を取ることができます。

病棟区画にあるナースコールが鳴らされると、隊員や看護師、
薬剤師などの誰かがここに駆けつけてきてくれ、
どのベッドで緊急事態が発生したかを確認してくれます。




テレビ付きの(このベッドからは逆にあって見ることはできませんが)
リクライニング式ベッドが・・・・。

一般の病院で言うところの「特別室」待遇患者用でしょうか。
一つしかないので、その時ベッドが必要な一番上級の乗員用かもしれません。

例えば中尉がここに寝かされていても、もしその時
大佐が担ぎ込まれてきたら、交代させられるとか・・・?

■ 歯科区画


シックベイには歯科治療を行う区画もあります。
処置室を覗くガラス窓の説明を読んでみます。

「この歯科スペースは、アメリカ海軍予備歯科部隊の、
ニューヨーク州バッファローにあるNORVAHQ-105と
NORVADET-405のメンバーによって、
この船で勤務したすべての歯科関係者を顕彰するため修復された」

105と405の略字を検索してもわからなかったのですが、
おそらく、研修部隊のことでしょうか。

米海軍の歯科部隊は1,400人以上の現役、あるいは予備役の歯科医からなり、
軍の治療施設、教育機関、診療所、病院、研究室、船舶、
そして国内外の海兵隊に配属されて職務を果たしています。

また、戦闘作戦、災害支援、人道支援ミッションの現場にも派遣されます。


して、この写真の司令はというと、海軍歯科部隊の最高司令官、
ジョージ・セルフリッジ海軍少将であらせられます。
略歴が書いてあるので、一応見ておきましょう。

ジョージ・デヴァー・セルフリッジ少将は
1924年ニュージャージー州ピットマンに生まれ、
1947年にバッファロー大学歯学部を卒業した。

この間、彼は次のような綬章を受章している
(ユニフォームの左から右へ、上から下へ)。

海軍徴兵章
アメリカ戦線章
第二次世界大戦戦勝章
海軍職業軍務章
国防軍務章
軍隊遠征章

現役を退いた後、セルフリッジ提督は
ワシントン大学歯学部の学部長を務めた。

ニュージャージー州ピットマンの元ルース・M・モティシェロと結婚。
パメラ、シェリル、キンバリーの3人の娘がいる。

どこの誰と結婚して娘の名前がどうとかいうのは
当ブログにとって全くどうでもいい情報ではあるのですが、まあ一応。


歯科部隊最高司令官になったロジャー・トリフトシャウザー少将も、
ここバッファロー出身の歯科医官でした。

歯科大学卒業後すぐに海軍歯科隊に入隊。
1961年、歯科医学校を卒業し、アメリカ海軍歯科隊に入隊し、
1961年から1967年まで現役で勤務し、その間、
ボストンのチェルシー海軍病院、ミッドウェー島の海軍基地、
カリフォルニア州のポイント・ムグ海軍航空基地、
サンディエゴの駆逐艦「ディキシー」でも勤務しました。

1969年から予備士官としてキーウェスト海軍基地、
フィラデルフィア海軍基地、ノーフォーク歯科医院、米国海軍士官学校、
ベセスダ海軍病院、グアンタナモ湾で勤務。

1993年に歯科担当副部長に就任してからは、日本にも来ています。
1994年に少将に昇進し、現役6年、予備役27年を含む
33年間の勤務をもって、1995年に海軍予備役歯科部隊を退役しました。


ちなみにこちらが現在の歯科部隊最高司令官、
ウォルター・ブラッフォード少将
さすが歯科医、もういやっちゅうほど歯を強調してます。

アメリカ人は写真を撮るときよくこんなふうに歯を見せますが、
ここまでむき出そうと思うと、かなりの努力が必要となります。



これが復元されたという歯科診察台。


治療中ドクターがどこかに行ってしまったので、
俺、これからどうなるんかなーと物思いに耽っている水兵くん。

トレイの上に歯牙見本があるので、彼は抜糸後、
ブリッジか差し歯を入れる治療を受けるのかもしれません。

次のバッファローネイバルパーク公式のビデオでは、
シックベイの内部を紹介しています。
レントゲン室の中と、バーベット内部の物置?は
一般公開されておらず、このビデオでのみ見ることができます。

USS Little Rock: Sick Bay

続く。


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