十月はやさしくて甘い。
山の湖のやうに空が碧く澄んで
薔薇の花に思ひ出の匂ひがある…
十月はやさしくて、豊かだ
昨日の夏は何処へ行ったか?
十月は、やさしくて、しとやかだ
色づいた木の葉、草の葉、咲き残る季節の花々 …
堀口大學の詩から 部分を拾う。
琳派の帰り 10月15日のユリノキ、 夏の陽が残っている。 紅葉まで まだまだ。 青々とした屏風はベンチの人を休ませている。 とりどりに形を変えて、ふざける雲と。
思い出す歌がある。
障子しめて四方の紅葉を感じをり 星野立子
見てきたものは 現代感覚のアートだった。 ちっとも古くない。 簾越しの秋草もあり、 こちらも惹かれる。 薄墨いろの、 そこはかとなく かがよふ色など、 これから大いに学ぼうと思う。
>障子しめて四方の紅葉を感じをり
この句に共感してしまうな・・
障子の影、秋のよさを引き立てますね
昨日、そんな古民家の中で食事してきました
彫刻家のえみ丸さんは 幅広いご活躍ですね。こちらこそ楽しんでいます。
障子しめて 陰翳礼賛、ご自分の感性で想像する。内なるものすべてを含めて奥深い。十七文字の宇宙です。
ありがとうございました。
「あの、ど派手のどこがいい?」と呆れられていますが、派手なものばかりじゃないのですよね。「かがよう色」を捉える詩人もいて安心します。決して古くないのにと言う反発に見事に反応してくださって嬉しいことです。お礼申し上げます。
宗達など、今時のモダンアートよりずっと洗練された斬新なセンスと、ズバッとした力があると思うのですが。江戸琳派は粋で瀟洒。蛙さんのお好みに合うのではありませんか。
月を描いてもあからさまな満月は琳派のものではありません。十三夜の月や、半月ですし、満月は必ず隠して表現していたと思うのですが
。”障子しめて感じをり”こそ琳派の真髄だと思うのですが。
ど派手といわれようとも、承知の上で当分は深情けで追っかけるとします。今からわくわくして待っています。
「かがよう色」… 「吸い物の椀が微かに…ジイと鳴っている、あの遠い虫の音のようなおとに思いをひそめる…」ような、文豪の陰翳の中の美に重なります。ほの明るい静けき闇は寂びをもたらし、ど派手な黄金さえも「沈痛な美しさ」を見せています。
「宗達の洗練された斬新なセンスと、ズバッとした力…」と、墨絵にかがよう色、五彩を秘めて、魅かれます。まさに「障子しめて…」のせかいですね。
「江戸琳派は粋で瀟洒」特に好きです。
boa!さん 楽しみですね。琳派がお呼びです。