想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

冬育ち…

2019-12-23 16:21:55 | Weblog
秋から冬へ、すでに真冬になった。
下書きフォルダの中に置いていたら
子猫がずんずん育って、ふわふわの
赤ちゃんのかわいらしさがなくなり
やんちゃ盛りへと以降しつつある。





こんなだったのに…



この堂々たる背中…同一猫である。
催促の仕方も母親を真似て覚えてきた…
食欲旺盛。




気温が下がりオーバーコートが無く
ては歩けない頃になると、時刻表と
地図を眺め始める。
まだ行っていない場所、再び訪れたい
場所と、地図上で旅の予行演習。

遠いところほど真冬にでかけている。
国内外とも祭のあとの籠りの頃が
いい。
去年は事情あっておとなしくして
いたので、旅の虫が増殖中なのだ。
野良猫はいいがベイビーを預けて
行くのがいやで十年くらい旅程を
短くしていた。
もう身軽だから行きたいところへ
行けるはずだったが。

礼文島は悪天候で欠航し断念した。
花も咲いていないのに、なぜこんな
時に来たのかと案内してくれた知人
が呆れた。旅だからと言うと彼は、
そうか、そうだなとうなずいた。
(その時は大河と荒波を見ると
いうテーマだった。)
予測不能のことに出会うのが旅だね
と言うと気持ち元気ならね…と
返ってきた。
利尻富士を望む岬に立つのはお預け
になったまま、三年が経った。


先日、八ヶ岳へ行く用事があった。
標高は高いが、まだ冬の感じには
なっていなかった。で、そそくさと
帰ってきた。遊びで行ったわけでは
ないからあたりまえだが、行く前は
泊まってこようかなどと思っていた。
営業時間が冬仕様になる直前のホテル
やレストランにはまだ観光客の姿が
あった。
日暮れる時間は確かに早くなったが、
陽射しが中途半端に明るい。人の気
がまだ濃厚に漂っていた。

ひとりだと寂しくない? と聞く人
もいるが寂しくはない。
陽の翳った曇天の下、帽子や手袋、
身体をくるむコートで防寒して歩く
足取りはだいたい軽く、ずんずんと
行く。乗り物は遅い方がいい。

静寂と寂寥感に包まれる景色を
わびしいと思わなかった。
誰もいない公園のベンチに座ると
解放感が胸の底から湧いてきて
笑みが浮かぶ(唇は閉じて)

ひとりだという意識は旅先では
ないが、日常生活の中でふと
感じる方が多い。
ベイビーの量子的存在感が脇に
はりついていた時にはなかった
独り身の現実感を時とともに
味わうようになってきた。
あの満たされた感じを思い出し
不思議な気がする、犬と二人、
一つだった。

冬とは、騒々しく見苦しく、汗を
かきながらあくせくと駆け抜けた
日々を決済した後、汚れや残滓を
次の春に持ち越さないよう鎮め、
濾過し、新たな縁を待つ刻という。
備えの時だ。

猫はこたつで丸くなるというが
ほんとうは雪のなかをワシワシ
歩くのは嫌いではないらしい。

いつも秋に生まれて冬に育つ。
だんだん大きく逞しくなる。
おっかあと懐いてくれるわけでは
ないミルクが欲しいだけの猫たち。
量子的存在感は希薄だから、
気軽に留守にして冬旅に行こう。
元気を取り戻すとしよう。



ミルクを飲んでブルブルっとする
のでガラスはいつもこんなふう…

















コメント
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