想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

二か月経って…支援物資の事情

2011-05-11 17:14:09 | Weblog

シマコちゃん、春の野原を闊歩してます(っておうち、縄張りですけど)
赤ちゃんも育っているようですがあまりにダニがついていて辛そうなので
ダニノミ除去の薬をつけてあげました。
なでなでさせてくれるようになっているので逃げませんが、薬の臭いに
敏感で警戒されてしまって。
しょうがないので猫用ミルクで気をひいて、その間に首の後ろへポチっ
と射しました。

シマコちゃんも快適になって(即効性があるのでダニは落ちました)、
陽のあたる庭先でゴロンゴロンしたり、遊びにきた野鳥を観察したり、
自由なんですねー、しあわせそうなのを見ているとこっちも安らぎます。

一時期より減少したと発表されているけど、大気中には通常時よりも
多い放射性物質が飛散しているわけで、シマコが草むらで日向ぼっこ
しているのを見ながら気になります。

避難区域への一時帰宅のニュースは悲しみしか伝えてくれず、
二か月経った今、まだなにも解決してはいません。
繋がれたまま、そこで穴を掘って死んでいた犬の写真がありました。
写真で見ても苦しく悲しく堪らないものを、飼い主はどんな思いを
されたかと思うと幾重にも悲しいです。
カナシイという言葉の本質と意味を、これまで知らなかったのでは
ないかと己を疑いたくなるほどです。



何もしないではいられないので、避難所にいる未就学児や小学生の
低学年児童の人数などおたずねしたり…、あればいいものは何か
教えてもらったり、涙を流した分、喜びも味わってほしいと思いながら
せわしなくしています。

避難所の窓口では衣類、日用品の消耗品、食糧(主食のみ)はほぼ
足りてきていますが、それは最低限生きるためのものがあるという話
です。ありますと言われて、はいそうですか、ではなくてさらに問い掛け
て聞いてみないと皆さん答えてくださらない、つまり遠慮もあるのでは
ないかと思います。
加えて、要らないものを送られることに閉口しているけれど、貰う側が
それを言うと何も来なくなるし失礼になってはいけないし、といろいろと
考えて向こうからはおっしゃらないのですね。

これはどうか、こんなものがあるが必要か、どんな人がいるか
年齢層と人数を尋ねて、想像力を働かせれば「足りている」の真意は
見えてきます。そのうえで自分ができることを話してお伺いするという
のが物資支援のやり方として大事なことではないかと思いました。

絵本が500冊届いた、子供の玩具もいろいろたくさんいただいた、
そういうお話もあって、わたしがぬいぐるみがあるんですけどと言った
ら、どんな? と聞かれました。玩具は要らないとおっしゃった後に。

説明すると、それならあるとありがたいですねーと言われました。
お子さんは自分の物にして可愛がりたいんですよね、と言うと、
そうなんです、好みもあるし一人に一個ずつ行きわたるわけでもない
し、同じものを他の子と取り合いになったりもするんですよ、という話
でした。

場所によってさまざまなニーズがあると思います。
大きな枠組みではなく個人レベルのほうが細かいニーズには応えられ
るような気がします。

「絵本用に本棚こしらえたりして、もうお断りしてます」
「子供の玩具も数は来ましたが種類があまりないです」
「こどもも欲しがらないものもあるんです」なんて話も聞けました。
そりゃそうだろうと思います。これに贅沢言うな、なんてことを思うなら
そう思う人は恵まれない人に施ししているつもりなんでしょうね。

最初は口が滑らない窓口担当者がこちらからいろいろとお尋ねしたり
こちらの事情をちゃんとお伝えすると、欲しい要らないをはっきりと言って
くれるようになりました。
要らないものを処分する労力と手間、置き場は無駄ですもんね、と言う
とそうなんですと返ってきました。

避難所の人数も二次三次移動で減ってきた場所もあれば、また戻って
くる人もいるし、新たにくる人もいる、さまざまだそうです。
仮設住宅という一時的にでも安住(寝場所と拠点)できる場が遅すぎる
という点はどこも同じです、これが憂える二か月後の現状です。

うさこは自分が救われたいばっかりに、コレクションのぬいぐるみ軍団を
旅立たせることにしました。(うさこにとっては指輪より大事なのだが)。
誰かの胸に抱かれて、その子が笑ったりほっとしたりしてくれることを思って、
うさこは自分が救われたいのです。

泣いた分だけ、喜びもありますようにと願っています。

ついでにかかかも読んでね。






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犬猫のねだん

2011-05-10 00:50:21 | Weblog

ベイビーの手術予定日も近くなったので病院へ挨拶へ行ってきた。
そんなことはあまりしないらしく対応した看護士さんが怪訝な顔を
されたがこちらは気が済んだ。そんなもんだ。
帰りホームセンターに寄ってワンちゃんおやつコーナーを探す。
おみやげ、おみやげ、って何かいいのないかなあと歩いていると、
奥の方に生きた犬猫コーナーがあるではないか。

ホンモノのベイビーたちがケージの中で動き回っていた。
檻にはりついて見ている人間をどう思っているのだろうか。
買手がついた子には「新しいお家が決まりました」と手書きの紙が
貼付けてあった。

ミニチュアなんとか、とかいう小型犬が売約済みである。
一番奥の人だかりから外れたところに、チョコレートのラブラドール
がいた。目がやや吊り気味で、眠いのか、怖がっているのか、器量
がよくないベイビーだった。ころころと太っていたうちのベイビーの
生後間もないころと比べると細い身体だった。

周囲に誰もいないのを確かめて、その子に無言で話しかけた。
お眠り、ねんね、ねんね、ここではねんねしてればいいよ、ねんね
ねんね、いい子だね。
チョコのラブは細かった目を何度か瞬きし、そして閉じた。
首をくーっと伸ばし、前脚を伸ばしアゴを乗せた。
ああ、眠くなったな。よしよし、ねんねだ。

値段は158000円也、何頭もいる中でラブラドールが一番安かった。

ケージの前を離れてまた振り返ると、中年カップルが近づいて、
あれ、この子もう三ヶ月もいるよ、もう赤ちゃんじゃないよね。
チョコを指さしてそういう声が聞こえた。
そうか、売れ残っちまったのかい。
悲しいねえ。お母さんに会えなくてさみしいだろうなあ、チョコ。

わたしは家に帰ると、とびついてくるベイビーの頭をごしごしと
撫でて、チョコのことを忘れようと二頭分、抱きしめた。

環境省がやっと動き出した、二ヶ月も経って遅いすぎるが。
警戒避難区域の動物の救助連れ出し。
たぶんこのせいだろう
デモは行けなかったが、最後まで見届けないと行政のやり方は
信用できないんであるよ。息も絶え絶えになって助けに行くから
と言われてもなあ‥。無名の人々の行動のほうがマトモだ。



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山桜、夢みるチカラ

2011-05-09 13:51:23 | Weblog
(朝一番の五分咲き。この後、だんだん開いてるもよう)

つまり想像力のことだわね。
眠ってるときの夢じゃないんよね、この際。

元気の素は夢みるチカラだわね。
目先口先鼻先くらいのところばっか見てるんじゃなくてさ。

想い描き線引き色づけし、形がみえてくるように。
なにがいるのか、なにがいらないのか、なにがたらないのか。
考えると楽しい。
考えると困ってくる。
困ってて、見つかったり、出会ったり、またつまづいたり。
少しづつ形へ向かっていく。
朝が来て夜が来て、また朝が来る。
眠れなかった夜には星空を見て、朝焼けを見た。



座ってしゃべってテーブル囲んで口先だけじゃ、夜の闇は
明けないんだわね。
想像力がなければ、朝は来ないんだわね。

震災後、放射能ダダ漏れの恐怖後しばらくして、人々が街へと
戻ってきだした頃に、「希望」という言葉が目につくようになった。

平穏無事がいいとしか思わない人はあまり縁ない言葉なんだ。
希望なんてこどもの戯言(たわごと)みたいに聞こえていたかもな。
それが今、希望希望希望希望と識者からフリーターから一農民まで
口にするニッポン、いや、世界じゅう。

希望を、ただの欲望の発露に終わらせないために、夢みるチカラが
必要なんだ。
(あやまちをごまかすために希望って言うなよ。)
(問題の先送りのために希望って使うなよ。)
知性と感性と情緒があいまって想像力は活性化する。

足りない分、なんのサプリで補いましょうか?
カメに聞いてみたい憂さ子である。

かかかをやっと更新終了、ごめんなさい、遅れまして。
次々日めくりで更新されるよ、今度はほんとっす。

ウワぁーーーーーとホントは叫びたいんだなー‥苦しいぜよ。
あっちこっち、そんなんだろうな、と思うなあ。
そこんとこ、理性が勝って一安心。
うさこが叫んではゴメイワクゴメイワク。









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寂しさの向こうがわへ

2011-05-07 12:54:50 | Weblog
庭を前にした縁がわに座っていると、ベイビーが
そっとやってくる。
そばにぴたっとくっついて寝そべる。
向こうで寝ていたはずなのに、いつのまにかやってくる。
片手で黒い毛を撫で、ぬくもりを感じる。

左側にベイビーがいて
右前のちょっと先にシマコが、これも寝ている。

桜のつぼみがほころんできた。
枯れ木だった庭があわあわとして、小さな新しい芽で
色づいてきた。




君たちはふたりとも歳をとったね。
わたしと同じように。そしてわたしを追い越していくね。
ぬくもりを感じる手を離すことができないで
庭を眺めている眼が曇ってくる。

悲しいのはなぜですか、と神さまにたずねる。
どうして死んでしまうのが悲しいのか、と神さまに尋ねて
曇った眼を払って、木々をみつめる。

木がすーっと伸びて、先に枝を広げている。
やがて緑の葉をつけて風がそこで遊び、音楽が聴こえる。
生き生きとして、そして静かなぬくもりだ。




覚えておきたくて手を離せないのだった。
けれど、忘れるはずがないのだ。
季節がめぐるごとに、君といた一瞬一瞬を。
わたしは思い出すことができる。
すぐにその時へ戻ることができる。

あまりにしあわせで、離したくないと思ってしまった。
けれど、しあわせにしてくれて、ありがとうなんだ。
ありがとう、ありがとう、今もこれからもずっと
ありがとう。

君の体重が重いので、ちょっとその脚のけてほしい。
ずっともたれて、くっついていたいのはお互いさまだけど
わかっているからね、だいじょうぶだから。
どきなさい、ほら。重いよ。


かかか更新中***キビシーキモチイー緊張感!
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今年も春は巡り来て…

2011-05-05 13:21:17 | Weblog

1年前の五月にわたしが何を感じて何を思って
いたのか。この日記によれば少なくとも今より
明るい気持ちだったみたいだな。
ノーテンキに花と空と樹とベイビーに楽しませて
もらって、ほのぼのと安らいでいたんだな。
それがためにこの地でいるわけであったな。



そして今年の五月、思うのはこの地に降った放射能
のことだね。
チェルノブイリって蓬(よもぎ)のことらしい。
ヒマワリで畑地を浄化しその後にさらに蓬を植える
ことで放射能を土から取り除く方法があるらしい。

ここは雨が多い。
春が終われば強い激しい雨が降る季節になる。
雨水とともに地中に浸透していく放射能物質はその後
どうなるのかを考え続けている。
今年のバラからジャムを作ることはできないな、とか。
咲いた花を部屋へ持ち帰って飾るのをためらうな、とか。



核の平和利用という言葉を馬鹿げた詭弁だと不快に
思いながら聞いてきた。90年代を境に下火になって
きた反核運動であるが、やめず続けてきた友人は今
九州の田舎で市役所の課長である。
ずっと課長のままである。
労組をやり反核運動の旗振りをやり離婚して子育て
しながら歳をとった。

彼はトーキョーにいるはずのわたしを案じ、つてを
頼ってフクシマにいると聞いて驚愕したという。
なんであんたがフクシマなんだよ、なんでだよって。

いいところだからよ~、とてもいいところだからさ~。
そう、答えた。
フクシマという地名、固有名詞がカタカナ表記になり
福島ではなくなった日を忘れまい。
広島、長崎の8.6、8.9を毎年忘れず黙祷するように
来年の3.11に太平洋側の東北沿岸部で祈りを捧げる
ように。再来年もその翌年も忘れられないように。
3.12という日付を人々は記憶せねばならない。

原子力発電所爆発事故は天災で明らかになった人災。
人の犯した罪だ。その恐怖は今も続いている。
フクシマの恐怖はそれが福島で終わらないところだ。

対岸の火事、そういえないのが原子力発電所である。
そのことを幾人の人が身にしみて感じているだろうか。
長崎の友、心配してくれて、ありがとう。
けれども、このことでここを去ることはないよ。
今以上に、この地をイトオシク思っているんだから。


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人気なく、森は静かです

2011-05-04 12:58:15 | Weblog
今年の山桜は遅いですねー、まだ堅い蕾です。
代わりに木瓜の花の紅で、桜待ちです。
アチキは代わりかい!とボケにツッコマレタリ~。

ふもとの桜並木はすでに葉桜で、今年は満開時に
見に行くこともありませんでした。
道路脇の崩落現場はまだ修復中だし、途中の道の
ひび割れもだんだんひどくなるからです。

このくらいなんだ、と思って通ってみたのですが、
やっぱ怖かった。なんだかな~。




静かです。
ほんとに静か、森は迷い込む人も覗き見人もなく
静かです。静かなのは望むところなので歓迎だし
いわきから南西の方角なので風向きは最悪では
なく、放射能はどこまでも降ってくるのはみな
同じことで。関東平野とどっこいです。
(ちなみに都内の野菜売場は叩き売り状況!、
従来価格の半値~6割ほど。ここより安い)


風は流れ、雲をなし、雨も降ったので、埃の様に
積もっていたものは土中へしみこんだでしょう。
しみこんだ後に植物の根から這い上がって地上に
出てくる前に土中にあるものを、耕運機でかき
まわしてはいけないというお達しもありますが、
それがほんとうに正しいのでしょうかね。

地震以後、ずっと地震から逃れられないんですね。
たいした被害もなくたいした損害もなくたいした傷
を負ったわけでも失ったものもないのに、何か違う。

何を失ったのでしょう。
いや、なんだか呆けてるんじゃないか? そんな
疑いを抱いているんですねー、わたしは。

町を興すことは銭金の話です。
人の心の傷は、どうだろう。
恐怖が残した傷は深いものですが、傷を癒すのは
人のやさしさだけなく、智慧が必要です。

信じることなど何も無いと、刹那に即物的になって
しまわぬように、そう思います。
頼っていたものに裏切られた思いがどこへ向かうか
自暴自棄になったり愚痴ったり非難してばかりでは
謀略には勝てず、嘘つきはいよいよ罷り通ります。

ゴールデンウイークにテント持参で北上した若者は
疲労と共に何を思って帰宅するんでしょう。
そして次は何をするのでしょうか。
日常の平穏に戻る? 戻れるのでしょうか。

深い愛はより深く、酷薄な情はより卑劣に。
あいまいだったのがごまかしようもなく表に顕れて
しまうようになりました。
そういう人の気持ちの変化に気づかず鈍感なのは、
後者の人々…相も変わらず、いや、より酷く。

志を高く抱け、カメに平常時から言われてきたので
非常時の今はさらにそのことを思います。
怠け者、起きよ。
















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