シマコちゃん、春の野原を闊歩してます(っておうち、縄張りですけど)
赤ちゃんも育っているようですがあまりにダニがついていて辛そうなので
ダニノミ除去の薬をつけてあげました。
なでなでさせてくれるようになっているので逃げませんが、薬の臭いに
敏感で警戒されてしまって。
しょうがないので猫用ミルクで気をひいて、その間に首の後ろへポチっ
と射しました。
シマコちゃんも快適になって(即効性があるのでダニは落ちました)、
陽のあたる庭先でゴロンゴロンしたり、遊びにきた野鳥を観察したり、
自由なんですねー、しあわせそうなのを見ているとこっちも安らぎます。
一時期より減少したと発表されているけど、大気中には通常時よりも
多い放射性物質が飛散しているわけで、シマコが草むらで日向ぼっこ
しているのを見ながら気になります。
避難区域への一時帰宅のニュースは悲しみしか伝えてくれず、
二か月経った今、まだなにも解決してはいません。
繋がれたまま、そこで穴を掘って死んでいた犬の写真がありました。
写真で見ても苦しく悲しく堪らないものを、飼い主はどんな思いを
されたかと思うと幾重にも悲しいです。
カナシイという言葉の本質と意味を、これまで知らなかったのでは
ないかと己を疑いたくなるほどです。
何もしないではいられないので、避難所にいる未就学児や小学生の
低学年児童の人数などおたずねしたり…、あればいいものは何か
教えてもらったり、涙を流した分、喜びも味わってほしいと思いながら
せわしなくしています。
避難所の窓口では衣類、日用品の消耗品、食糧(主食のみ)はほぼ
足りてきていますが、それは最低限生きるためのものがあるという話
です。ありますと言われて、はいそうですか、ではなくてさらに問い掛け
て聞いてみないと皆さん答えてくださらない、つまり遠慮もあるのでは
ないかと思います。
加えて、要らないものを送られることに閉口しているけれど、貰う側が
それを言うと何も来なくなるし失礼になってはいけないし、といろいろと
考えて向こうからはおっしゃらないのですね。
これはどうか、こんなものがあるが必要か、どんな人がいるか
年齢層と人数を尋ねて、想像力を働かせれば「足りている」の真意は
見えてきます。そのうえで自分ができることを話してお伺いするという
のが物資支援のやり方として大事なことではないかと思いました。
絵本が500冊届いた、子供の玩具もいろいろたくさんいただいた、
そういうお話もあって、わたしがぬいぐるみがあるんですけどと言った
ら、どんな? と聞かれました。玩具は要らないとおっしゃった後に。
説明すると、それならあるとありがたいですねーと言われました。
お子さんは自分の物にして可愛がりたいんですよね、と言うと、
そうなんです、好みもあるし一人に一個ずつ行きわたるわけでもない
し、同じものを他の子と取り合いになったりもするんですよ、という話
でした。
場所によってさまざまなニーズがあると思います。
大きな枠組みではなく個人レベルのほうが細かいニーズには応えられ
るような気がします。
「絵本用に本棚こしらえたりして、もうお断りしてます」
「子供の玩具も数は来ましたが種類があまりないです」
「こどもも欲しがらないものもあるんです」なんて話も聞けました。
そりゃそうだろうと思います。これに贅沢言うな、なんてことを思うなら
そう思う人は恵まれない人に施ししているつもりなんでしょうね。
最初は口が滑らない窓口担当者がこちらからいろいろとお尋ねしたり
こちらの事情をちゃんとお伝えすると、欲しい要らないをはっきりと言って
くれるようになりました。
要らないものを処分する労力と手間、置き場は無駄ですもんね、と言う
とそうなんですと返ってきました。
避難所の人数も二次三次移動で減ってきた場所もあれば、また戻って
くる人もいるし、新たにくる人もいる、さまざまだそうです。
仮設住宅という一時的にでも安住(寝場所と拠点)できる場が遅すぎる
という点はどこも同じです、これが憂える二か月後の現状です。
うさこは自分が救われたいばっかりに、コレクションのぬいぐるみ軍団を
旅立たせることにしました。(うさこにとっては指輪より大事なのだが)。
誰かの胸に抱かれて、その子が笑ったりほっとしたりしてくれることを思って、
うさこは自分が救われたいのです。
泣いた分だけ、喜びもありますようにと願っています。
ついでにかかかも読んでね。