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あるワイドショーを観ていた。
すると、親のための就職活動に会社が説明会を行っていることを知った。
つまり、大学卒業をする娘や息子、
22歳になる子供たちが自分の人生の決断ができないため、
親が会社や社内雰囲気や社長などを見極めるためだという。
馬鹿か。
いつまで面倒をみてやるつもりなのかと思った。
どこまで責任を取ることが可能だと思っているのだ。
もしその会社が自分の目指すものではなかった場合、
親の所為にされるのは言うまでもない。
就職倍率が2倍を超えたことは、売り手市場の復活を意味する。
けれど、そこまでやる企業が存命できるとは思えないし、
そこで就職が決まっても、洗脳は可能だろうが、
本来の意味、労働や企業の危機に対する感性を持った人材など
集まるわけがない。
そこに出演する経緯がどのようなものだったのかはわかりかねる。
けれど、企業側も親側も「恥」だとは思わない感性に
その欠如を感じてしまったのは私だけではないだろう。
何が幸せだと思うかはそれぞれの自由だ。
けれど、子育てとは「自立」をさせる作業であり、
親の納得のいく子供に育て、その籠の中で生かすためのものではない。
何かが崩壊しているのだと痛感し、
それをみているだけで気分が悪くなってしまった。
私とは生息する世界が違い過ぎる。
それで日本が本当に世界と共存できると思えるのか?
生き残れると思えるのか?
視線の先にあるものの違いに、今日は本当に驚かされてしまった。
逆に向こう側からの視点では、私が非常識に映るのだろう。
投資だと称して、お金が続く限り、世界の国々へ旅をすることを
大学へ行くよりも先に、その途中において、
推奨している親であるのだから。
人生は決断の連続だ。
深慮の繰り返しだ。
それを放棄させることは、
その子の人生を親自身が無意識に奪っている行為に他ならないのに。