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「第一の注意力」とは、
日常的な現実に対する注意力を呼んだ。
「第二の注意力」とは、
思いがけないプロセスに対する注意力を育み、
この注意力が夢見のプロセスを感知することを呼んだ。
注意を払われたことがあれば、
第一の注意力によって話を聴いてもらい、
理解されることがどのような体験であることを知っているだろう。
しかし、第二の注意力が払われると、
より深い充足感を得ることができる。
第一の注意力は、
私たちが日々の仕事をこなし、定めた目標を達成し、
自分のアイデンティティを保つのに必要な自覚である。
一方、第二の注意力は、
普段無視している内的ならびに外的な出来事、
主観的な体験、非合理的な体験に焦点を当てる自覚である。
第二の注意力は、
無意識(夢のような)動作、偶然の出来事、
うっかりした言い間違えといった、
四六時中生じている自発的なプロセスへ向けられたものだが、
それは夢見の世界への鍵なのである。
そうしたシグナルが普段の生活の邪魔になる場合、
とりわけそれが克服すべき疾患であると解釈されや場合には、
消され、抑圧され、癒さなければならないと思うだろう。
しかし、特別な意識状態にあるとき、
たとえば昏睡状態や恍惚状態のとき、創造的なダンスを踊るとき、
そして、スポーツやセックス(愛情のある)をしているときに、
あなたは第二の注意力が中心となる状態に入り、
ドリーミングボディを生きはじめる。
あなたを外側から見る他者は、
あなたのドリーミングボディの体験は理解できないかもしれない。
それはあなたに予測不可能なことをさせるために、
他者はあなたがドラッグをやっているか、
至高体験を経験していると考えるだろう。
しかしあなたの内面では、馴染み深いけれども、
やはり自分でも理解し難い感覚や働きが体験されている。
それらの自然な展開に従うと、
あなたは根源的な何かとの結びつきを感じる。
そういった経験に開かれていくと、
時空間や世界から独立した自己の全体性を体験するのである。
シャーマンズボディより
私は小さいときから、そうした世界観の中でしか生きていない。
いいや、生きてこれなかったといった方が正しい。
だからこそ、親や大人は私を理解することができなかったのだと、
今の私ならわかるのだ。
尚、これは自身の内側の感覚によるものであり、
人間が人間を勧誘する類のものにより得られるものとは相違することを
ここに追記する。
これは自分自身の人生の問題であり、
人生を左右するプロセスだと私は解釈している。
※写真は「mimitsuki」さんの作品です。