すっかりと萎びてしまった白い胸。
張りのあった体も跡形もなく過去の産物になってしまうのなら、
あのとき、高木のわがままを聞いてあげればよかったのに、と舌打ちする。
話す声よりずいぶんと高い音。
自分のものだとわかっていても、毒でも吐き出すようなそれは心地よいものでは到底なかった。
そんなのは一切関係ないじゃないか・・・・・と言ってくれるのは高木だったが、
私は、もう二度と彼に組み敷かれた姿の自分を想像することができずにいた。
艶かしい声をあげて睦言をくり返すなんて・・・・・・
そうではなくて、ただ一緒にいるだけでいい・・・とくり返す高木の背中に視線を移すたびに、
あんたが悲しいんじゃなくて、こっちの方が情けなくなってくる。
やるせなくなってしまうんだ、という文句を飲み下して、口元を塞いでしまった。
口元を塞ぐ相手を高木はソファーに押し倒そうと必死になる。
黒い艶のある髪を両手で解きながら、それが邪魔にならないようにかき集めていくと、
私は胸を隠すように前へ持ってきた。
恥ずかしいものを、自信のないものは人目に触れてはならないと自責の念に駆られる。
すぐに高木の手はそれを別の場所へ移動させようと
指先で、すこし伸びた爪で傷つけないようにそっと、肌の感触を確かめていくように、
指を通した一本一本の髪を、誰よりも巧みに、後ろへ動作を加えていく。
さらさらとした春の小川のようなさわやかな音が、耳元を擽るように聞こえる。
「シェードラインとはな・・・・・」
またはじまったと私は思った。
愛を囁く言葉と同じ数くらい、このタイミングでその話を聞かされてきたのだから、
「また?」と私は尋ねたくなる衝動を抑えることができずにいた。
また?はないだろう、失礼な!! と高木は口元を尖らせて、鳥の赤ん坊の真似をしてみせた。
ぴーちくぱーちく鳴いている。
そのくちばしは私の額や頬や鼻梁をかすめていって、
「物体にこうして光を当てるだろう?」
と、言いながら口元を塞いだ。
間接照明を自分の足元に引き寄せ、簡単に着脱できる細長い筒の部分を外して、
左手に持った筒を裸電球だけになったスタンドで、右手を巧みに動かしながら影をつくっていく。
部屋の中にはなんともいえない陰影の世界がどこからともなく突然現れて、
車のヘッドライトが部屋にさし込み、天井を遊んでいく光がそこへ加わったとき、
ありふれた夜で、どこにでもある光景なのに、それが幻想的で、特別で、
かけがえのないものに思えた。
私たちの部屋は住宅地の3階にあるのに、どこからとも漏れ届く光で
プラネタリュウムや光のショーのような空間が、午後9時くらいには毎晩出来上がっていた。
天井にも意思があるのだと信じはじめた私に向かって、
「だからさ、そのままでいいんだよ。先は長いのだから」と高木は言った。
物体に光線を当てたとき、物体表面の当たる部分(陽)と当たらない部分(陰)との境界を
シェードライン、つまり「陰線」と呼ぶらしい。
「なんにでも名前があると素敵だけど、別に名前なんかなくてもいい。
けど、その事象は私たちを幸せにしたり、励ましたりするものだったら、名前なんかどうでもいい」
境界となる線、陰陽、そのどちらもこの世界には存在するが、
どちらを選ぶかによって、つまり、物体の表面に光が当たるか、それとも当たらないかは、
先の長い私たちにとって、岐路となり、差異となる。
高木のわがままはあまりにも子供じみていたからと、私はそれを忘れる理由にあてた。
萎びてしまった白い胸をみても、もう溜息をつくことはやめにしようと誓った。