風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

縁とは・・・・・・

2007年10月24日 00時04分44秒 | シャーマンズボディ






今日で38歳になってしまった。

ちぇっ、とでも舌打ちしたいと思いつつも、

実ははやく40歳を越した自分と早く会いたいのだ。




今日は自分の疾患について、

免疫学を仕事としている某省の友人と通院後、ご飯を食べた。

私は今日まで彼は政府関係の研究者だと聞かされていたのだが、

獣医であることを今日、突然、なぜか聞かされたのだった。

うちに男の子たちがやってきたことなど伝えていないというのに、だ。

いろいろな動物を、もちろん、人間をも含めたそれの扱いは、

ある種、免疫の設計における相違を確認することができる。

しっかし、バースデーサプライズにしては符号し過ぎ。






とはいえ、

今読んでいる「聖なる予言」でも偶然が必然であると感じる出来事が多々起こる、とある。

確かに符号や不思議なご縁に恵まれ、私は本当に助けられているなぁ~と思う。

思わないと絶対に罰があたる。

縁とは本当に不思議で、糸が結ばれたり、育まれたり、絡まれたり、切られたりしながら、

この現実の世界を、見えない世界が動かしていく。

それが毎日の正体であり、だからこそ、注視または着目するに値すると私は考えている。

 

 

お母さんは明日から、点滴ですら外出するたびに後ろ髪を引かれる思い、

娘を育てたときのようにこの子をひとりで置いていくとき感じるのかと思うと、

小さな命の重さから「今でしかならないものの存在」を嗅ぎ取ってしまうのだ。

この子との縁もそう。

今日の獣医であった友人とも。

他の多くの方々とのご縁は「今でしかならないものの存在」であり、

そこからでしか私は救済されることも知恵を与えられることもなく、

また、成長することも不可能だったと今日つくづく、一日中考えていた。








縁とは不思議だ。

けれど、それは本来不思議なものではないとも思う。

人生という引かれた線と重なり合うものが縁となり、

平行である者とはいくら毎日顔を突き合わせても縁として育めないものの方がおそらく多い。








少し頭の中が混乱しているが、

この子が甘えてきて、お母さんをしている自分に母性が芽生えてくると、

育てあがる娘とはまた違う、愛情や責任を感じる。

 

 

 

縁とは・・・・・・・

その答えなど今は知らなくてもいい。

縁を育んでくださった方々が元気で幸せでありさえすれば。











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