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脊柱の難病との診断を受けた彼。
背中には30cmに渡る傷が生々しく残り、
その部分だけが異常に汗を掻くらしく、
傷を囲むように発疹ができてより痛々しく見えて、私は泣きそうになった。
手術は失敗に終わった。
そのときの主治医は自分には責任などないと捨て台詞だけ残し、
さっさと別病院へ移動してしまったらしい。
たまたま知人に別病院を紹介され、
その執刀医となる主治医とも気が合うらしく、
再手術を決断したことは、以前メールで知らされた。
それは一週間後に手術を控えての今回の逢引となった。
実をいうと、私には先約があって、本当は彼には会えないはずだった。
が、先約者からキャンセルの連絡があり、
すでに待ち合わせ場所に向かっていて
その数分後にかかってきた電話が、彼からのものだったのだ。
日帰りするはずだったけど会いたい・・・・・・と。
おそらく、手術前で怖くてたまらないのだと思った。
私と他愛のない話をすることで、その時間だけは手術からの恐怖、
失敗に終わるかもしれない覚悟からは解放される。
銀座で炭火焼の店でご飯を食べた。
行きつけのBARにも連れていった。
品川のホテルに戻ると、
いろいろな話をしながら彼はちびちびとブランデーを飲んで、
やっぱり怖くてたまらないのだと思ったら、
氷をもらいに行ってくる、と言って部屋を出て、
特別フロア階のトイレで私は号泣した。
難病を抱えた者同士でしか分かり合えないことがある。
いいや、難病を抱えた者同士でも分かり合えないことの方がきっと多い。
私は自分が大黒柱になって不調時も働いてきた自負があるから、
独身である彼に「もし寝たきりになっても面倒みるから安心しな」と言って
彼を笑わせて、彼に抱きしめられて、私の方が泣けてしまったのだ。
ふと思った。
私には泣ける場所などなかったのではないだろうか、と。
甘えることを知らずに育った私は男たちの恩恵には本当に感謝してきたが、
甘えることは不得意で、
付き合う男の前で本当に「女」であったことがあったのだろうか、と
つい考え込んでしまった。
私が髭が好きだというと、彼は人に会わなければならないのに剃らない。
それが彼の分かり難い優しさの表現であり、
私の前では「男」であろうとしながらも、
同時に泣ける場所なのだと思った。
弱音を吐き、それを裏切らず受け止めてくれる場所、
私にとってもおそらく彼はそうした唯一の場所なのだと思う。
だから彼の胸は厚くて、温かくて、ほっこりとして、
私のすべてを包み込む許容が感じられるのだと思った。
帰路に向かう車中から、メールが入った。
実はもう片足が麻痺をはじめていて、
このまま手術しなければ、下半身麻痺になると宣告を受けていたらしい。
だから健康な体で会えるのが最後になるかもしれないから、
見納めをして欲しいと思って実は会ったんだ、と告げられた。
なんて返信をすればいいの?
どんな言葉に安心を覚えてくれるの?
私はあなたを思いながら、なかなか気の利いた言葉が見当たらずに
携帯を持ったまま、泣き崩れてしまった。
いいよ、どんな体になっても。
一緒に海をみたり、山を眺めたり、お風呂で体も洗ってあげるし、
美味しいご馳走を毎日食べさせてあげるから、一緒にいよう。
だから、手術後のことは心配しないで。
あなたが泣ける場所、甘えられる場所である私は、
何もかわらず、あなたを受け入れるから。
ありがとう。
頑張るよ、とすぐさま返信が届いた。
頑張って来い、最強の応援団がいるのだから、
自分の人生を闘って来い。
どのような人生の経過を辿っても、
私は私のまま、彼を受け入れることには揺らぎなどないのだ。