
男に限ったことではないが、
今日はあえて「男」に焦点を当てて話したいと思う。
それは最近の男には意地がないというか、意気地ともいえるのだろうが、
相手の都合で私を呼び出しておきながら、割り勘で・・・と言った言葉に、
ひどく私が驚いたことから端を発する。
割り勘が悪いということを言っているのではなく、
年上で、稼ぎも私よりも上で、相手の話を聞くために時間を要したことが、
割り勘・・・・・という一言で、私は「後悔」という二文字が脳裏をぐるぐると渦巻いた。
この人は銀座に勤務している。
誰もが知っているビルの管理会社だ。
彼の目的は「相談」ではなく「私」であることも最初から読めていたことだった。
だからはっきりと面と向かって言わなければ、
銀座に出入りできる自分ではなくなるような気がして、あえて時間をつくったのだ。
お金をかけずに、いや、お金をかければというものでもないが、
女遊びをしたい、既婚者でも独身のように遊びたいなど、あまりにも虫はよすぎないか?
私には男のあしたが見えてしまう。
金を追いかけても金に潰される。
金に追われても金に潰される。
資本主義は自由だ。
だからこそ残酷で冷酷なことを忘れてはならないのだ。
40代50代の男より、私には年下の男の子たちの方が有能に見える。
それは若さという特権を生かし、感性を研ぎ澄ませ、
自然の流れをじっと眺めていることが、彼らには出来ているように映るからだろう。
見栄を張る男は5万といる。
ただし、意地を張れる男がどれほどいるというのだろう。
江戸に縁のある場所では、よくそうしたことが話題にのぼる。
某会社の社長なんですがね、
昼食代のソバ代まで領収書を切るんです。
そのときは美味しいとおっしゃってくださるのだけれど、
仕事を離れると、自分のお金では絶対にここにはきませんの。
自分のお金を使わないということは、それで男の程度がわかるというものです。
うちとの縁もその程度なのだと思うようにしていますが、
それでも意地というか人情というか、ソバ代くらい、自分で支払わない根性が
私たちには非常識に映るのです・・・・・・・
私も同感なり