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何が人の寿命を決めるのであろうか?
なぜ幼い頃に暴力的に人生を奪われる人がいるのだろうか?
自己成長は世界の変化とどのように結びつくのだろうか?
シャーマンは夢を明晰に見ることでワークを行い、
ヴィジョンを追い求め、身体の感覚に従い、自然を敬う。
つまり、アイデンティティや履歴から自由になった後の出来事を
ワークするのだ。
出来事を俯瞰(ふかん)する側に自分を位置づけることができれば、
成長のひとつの目的は達せられたことになるだろう。
※俯瞰とは、高いところから見下ろす、全体を上からみる意。
シャーマンズボディより
祖父または祖母、すでになくなった友人たちの細胞と
連動している身体感覚と共に私は生きている。
それは私の娘や子孫や周囲の友人たちへも必要であれば
連動するのであろうことは気付いている。
細胞というよりも内面、つまり魂の呼応や気脈の一致は
時空を超越した全体像がそのすべてであり、
そこに生や死、その間にある「生きる」物事に影響を与え、
それを私たちは運命や宿命と呼称する。
自分が何者であるのか、
あるいは何者になろうとしているかに焦点をあてるのではなく、
あなたの自覚に焦点をあてていく。
そこにはさまざまな国や民族などの伝統が織り交ぜられ、
召命を聞くこと ― その道が人生を満たしてくれるのだ。
祖母なのだろうか、
吊るした浴衣を何度も落とし、風のない場所で風鈴を鳴らし、
私に語りかけてくる。
明日は灯篭を流すためだけに一日を費やす。
娘も一緒に、父も一緒に、と問いかけると、
今度は風があるのに風鈴の音色は聞こえてはこない。
それが祖母の存在を証明しているのだろう。
何か見えないものの感覚に護られていることはわかる。
それが私の身体から痛みを吸い取ってくれたことも、
迷いの道から進むべき道を指し示してくれたことも、
危険の察知も、知者との出会いも、
その護りの中で生かされていることが私なのだと理解した。
明日の灯篭には「ありがとう」と書こう。
祖父母たち血縁者のためだけではなく、
すでに亡くなった多くの友人へ、
戦争や災害で亡くなった方々への敬意を思いを共に流そう。
※写真は「0404」さんの作品です。