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人間の業とでも言うべきか。
私はそのほかの言葉を今は見つけることができずにいる。
2年半振りに夜の新橋へ行くと、
うつろな目をした灰色に染まった何人もの中年女性が路上生活をしていた。
一瞬、インドか? と自分の目を疑った。
けれど、表示された新橋駅の文字、銀座のネオンを確認し、
やっぱりここは日本なのだと思うと、悲壮感と絶望が漂う街の臭いに
一瞬、吐き気を覚えた。
めまいがして、信号を待っているわずかな間ですら長い時間に感じられた。
インド・オールドデリーの喧騒の中で、時間の止まった場所がある。
そこには乳飲み子を抱えた女性が、母乳などでない枯渇した胸を赤子に吸わせ、
うつろな目をしてどこをみるわけでもなく、
焦点の合わない視線を町へ投げ、ふと思い出したように手を差し出す。
私にも生きる権利はあるのだと、
その指先からわずかながらの主張を、恵みを掌にのせるために、
その一瞬だけに生の力を込め、使い果たすようだ。
そこを行き交う13億のうちのどれくらいの人間の足や膝にぶつかるたび、
倒れたまま起き上がる気力も失せた状態で、赤子も泣く力がない。
そのためか、私は死を身近に感じてしまう。
生きている人間から死を感じることなど日本にはかつて出くわしたことがない。
見て、廃人ね・・・・・
自分でも無意識に発した言葉に友人はひどく動揺し、その後、激怒した。
生きている人間に向かって、
この国の現実に唾を吐くようなことを二度と口にするな。
ヨーロッパ系の友人と、その後、3日もの間、
言葉を交わすことなく過ごし、私は毎日のようにオールドデリーに通った。
結果、一ヶ月間、オールドデリーへリクシャーを走らせたのだ。
この世を、人間を、業を知るために。
混沌とは何か。
天地のまだ分れなかった状況の臭いがインドには残されている。
そして、混沌とは相違する力が、日本にも押し寄せてきたのだ。
それを多くの人は目にしながら、現実を直視せず見過ごしている。
それを感受してしまったのだろう。
何かをする気力も失せ、私は腹底から吹き上がるマグマのような力と
格闘することになってしまった。
自分であり、自分ではない状態。
ブログや文章を書けなかった理由は、きっとそこにあるのだ。
業に触れると、感受する力の勢いが強過ぎるせいで、
自分のバランスすら失ってしまうようだ。
人間の業の中には、欲が存在し、
欲しいと思う心よりもむさぼり欲しがる心が、すべてに勝ってしまっている。
私にはそんな風に世の中がときどき見えてしまう。
それを無意識に感受した途端、身体を業が取り巻くのだ。
私自身のものではない、業に埋め尽くされてしまう。
五種の欲望とは、
五官(眼・耳・鼻・舌・身)の五境(色・声・香・味・触)に対する欲望。
感覚的欲望ともいう。
また、財・色・飲食・名(名誉)・睡眠を求める欲望をも意味する。
ちなみに六欲とは、凡夫が異性に対して有する6種の欲を指し、
色欲、形貌欲、威儀姿態欲、言語音声欲、細滑欲、人相欲、
眼・耳・鼻・舌・身・意の六根に関する欲望を意。
そうした負の、バランスの欠いたエネルギーが充満すると、
天地変動が起こる。
最近、地震が続いている。
タイへの渡航前、私が日本から離れる予定がある。
今までテロや地震などに見舞われた土地に、
私の予定が関与しなかったことは一度もなく、
前日までその場所にいたとか、行く予定をキャンセルした場所だとか、
移住する場所を離れると、何かが起こり、私は救済される。
死への行進に足並みを揃えてはならない。
特に業に関するものに、バランスを欠くことは危険なのだ。