本日の日経新聞朝刊「経済教室」で、小林慶一郎・慶大教授が「救命ボートのジレンマ」という概念を紹介していた。
「救命ボートのジレンマ」とは、ある集団が危機に瀕していて、その中の少数(一部)の者が不利益を自発的に甘受する自己犠牲的行動をとれば、残りの全員が利益を受ける状況のこと。
(日経新聞紙面を撮影)
まあ、よくある状況ですね。
先日観た映画『サンドラの週末』なんかもまさにこの状況だったな。
で、通常の政治的意思決定では、このような状況を「多数決で決める」ことにより解決することになる。
もちろんそのためには「多数決で決める」ことについて、利害関係者全員による合意が必要。
ところが、まさに「救命ボードのジレンマ」状態である日本の財政問題は、将来にわたる世代間の利害が衝突しているがために多数決で負担の分配を決めることが原理的にできない。
何しろ不利益を被るかもしれない将来世代はまだ生まれてもいないのだから。
この問題は、日本の財政問題に限らず、現代の民主政国家すべてが抱える内在的欠陥であり、個人主義的自由主義の欠陥でもある、と。
うーん、まさにその通りなんだよね。
個を滅して全体に奉ずる集団主義は、全体主義に通じるのでまったく好きではないのだけれど、個を主張しすぎて皆が破滅しないだけの賢さは持ちたいものです。
「救命ボートのジレンマ」とは、ある集団が危機に瀕していて、その中の少数(一部)の者が不利益を自発的に甘受する自己犠牲的行動をとれば、残りの全員が利益を受ける状況のこと。
(日経新聞紙面を撮影)
まあ、よくある状況ですね。
先日観た映画『サンドラの週末』なんかもまさにこの状況だったな。
で、通常の政治的意思決定では、このような状況を「多数決で決める」ことにより解決することになる。
もちろんそのためには「多数決で決める」ことについて、利害関係者全員による合意が必要。
ところが、まさに「救命ボードのジレンマ」状態である日本の財政問題は、将来にわたる世代間の利害が衝突しているがために多数決で負担の分配を決めることが原理的にできない。
何しろ不利益を被るかもしれない将来世代はまだ生まれてもいないのだから。
この問題は、日本の財政問題に限らず、現代の民主政国家すべてが抱える内在的欠陥であり、個人主義的自由主義の欠陥でもある、と。
うーん、まさにその通りなんだよね。
個を滅して全体に奉ずる集団主義は、全体主義に通じるのでまったく好きではないのだけれど、個を主張しすぎて皆が破滅しないだけの賢さは持ちたいものです。