どうもこんばんは、若年寄です。
【議員連盟】日本の未来を考える勉強会
という議員集団があります。
彼らは、減税を掲げつつも歳出の大幅な拡大を求めるという、理解しがたい路線を採っています。
この勉強会では、藤井聡氏、中野剛志氏、三橋孝明氏といった( )方々を理論的な支柱とするだけでは物足りず、あの差別主義者・社会主義運動家の藤田孝典氏を講師に招くほど、道に迷っています。
民族主義的で、公権力による再分配を全面肯定し、どこまでも大きな政府を求める、そんな彼らは何と呼ぶべきでしょうか。国家社会主義・・・でしょうか。
その構成員の一人が、JGPなる聞き慣れない政策を提言しています。
MMTによる究極の経済政策「JGP」を日本に導入せよ=今枝 宗一郎(自民党衆議院議員)(サンデー毎日×週刊エコノミストOnline) - Yahoo!ニュース
======【引用ここから】======
ベーシックジョブは現代的貨幣理論(Modern Money Theory, MMT)によって提案されている雇用保障計画(Job Guarantee Program, JGP)の改良版です。まずは、JGPについて簡単に説明しましょう。
政府による最後の雇い手(Employer of Last Resort, ELR)とも呼ばれるJGPは、働く能力と意思のある全ての人に政府が一定の賃金・社会保障の権利による仕事を提供するものです。JGPの財源は税金ではなく、政府の赤字支出で賄われます。
-----(中略)-----
具体的には政府の赤字支出によって働きたい人全てに仕事を提供しつつ、キャリアアップのための資格取得の機会を保障し、賃金の継続的な上昇につなげる仕組みまで整備するというものです。人々の生活の可能性を引き出すキャリアラダーを内蔵したベーシックジョブを政府が構築していくことは、これまでの雇用や仕事観を大きく変容させ、より個々人が積極的に社会に貢献できるものとなるでしょう。
======【引用ここまで】======
JGP(Job Guarantee Program)の日本版・ベーシックジョブを導入せよ、という今枝氏。政府が最後の雇い手となって、働く能力と意思のある全ての人に一定の賃金と仕事を提供するなどと供述しています。
「人々の生活の可能性を引き出すキャリアラダーを内蔵」
「キャリアアップのための資格取得の機会を保障」
「個々人が積極的に社会に貢献できる」
等々、必要以上にキラキラしたワードが並んでいて、まるでブラック企業の求人広告のよう。
この日本版JGP・ベーシックジョブでは、具体的にどのような内容・強度の仕事が、どの程度の賃金で提供されるようになるのでしょうか。「具体的には」と言いながら、氏の記事全般を通して具体性がありません。
======【引用ここから】======
ベーシックジョブは、景気の安定化を実現するだけでなく、その設計次第では経済全体の生産性を高めることになるため、今までの公共政策にありがちだった「お金を使う」政策から、より積極的な「お金を生み出す」政策になるポテンシャルを持っているのです。
======【引用ここまで】======
とのことですが、「お金を生み出す」という事実をどのように確認するのでしょうか。
今枝氏自身も、
「政府が雇用を作ると聞くと、社会主義的なものを思い浮かべる人も多いかもしれません。」
と述べているように、政府による雇用創出は極めて社会主義的です。
氏は、「お金を使う」のと「お金を生み出す」の分岐点はどこにあると考えているのでしょうか。
ラーメン屋の出店で考えてみましょう。
人口20万人の都市の駅近くという立地で、原価を75万円、家賃を25万円、光熱費やその他もろもろ30万円とします。
一日何人の来客があるでしょうか。一杯800円のラーメン、セット1,000円の設定で良いでしょうか。営業日は月23日にしましょうか。ランチタイム中心の営業にしましょうか、それとも夕方から深夜帯にしましょうか。
この地域におけるこの業種の人件費は、幾らが相場でしょうか。調理、接客、皿洗い、何人雇えばお店を回せるでしょうか。
お客の側から見てみましょう。
お客は、自分でもラーメンを作れないことはありません。自宅で調理すれば、一杯あたり300円で作れる人もいるかもしれない。
でも、
「外出先の駅前で、この時間帯に、この味のラーメンを食べられるのであれば、一杯800円払っても十分に満足できる」
となれば、ラーメン屋に通うようになるわけです。
お客の側にこうした主観的な効用をもたらしつつ、そのラーメンの代金から経費を支払って営業を継続し、相場並みかそれ以上の賃金を支払う雇用を生む。
利潤は、こういうミクロの計算の積み重ねの中から生まれます。
この積み重ねの中で、お客の側の満足、従業員の雇用、事業主の利潤、コスト、こうしたものが調整され改善されていくのが経済成長だと私は考えています。
さて。
利潤が生じ事業を継続できるということは、その料金でのサービス提供に需要があり、そのサービスが無い場合と比べて利用者の生活が向上しているということです。また、そのサービスをある程度効率的に提供できているということです。
逆に、利潤が出ないということは、そのサービスをその料金で提供することが人々の生活向上に寄与していないということか、サービスを効率的に提供できていないか、あるいはその両方ということになります。
こういった事は、市場で試すことで初めてわかります。
そして、新たな事業展開、商品開発、見た事のないサービスの提供などは、ここで生じた利潤を再度投資することで可能になります。
公務員に求められているのは、予算の配り方を決めてそのとおり使うことです。役所は、予算案を作り、議決を得て、執行する各段階における手続きさえ遵守していれば、継続的に支出できてしまう組織です。
利用者の満足や事業のコストとの関係の中で、利潤は成立します。他方、税金は利用者の満足や事業のコストとは無関係に、お金を持っている人から徴収するだけです。手続きさえ整えば、いかなる無駄で非効率な事業であっても継続することができます。
役所の中に「この料金でこのサービスなら利用したい」という需要を見つけるプロセスや動機は存在しません。むしろ、役所が定める公定価格や補助金の存在は、こうした市場の機能を歪めてしまいます。
MMTによる究極の経済政策「JGP」を日本に導入せよ=今枝 宗一郎(自民党衆議院議員)(サンデー毎日×週刊エコノミストOnline) - Yahoo!ニュース
======【引用ここから】======
一般的なマクロ経済学では失業をゼロにする完全雇用を実現することはできないと考えられています。財政赤字を増大させると完全雇用に達する前にインフレが激しくなってしまうからです。しかし、JGPは働けていない人に仕事を提供し、供給力を強化するため財政赤字を出してもインフレにはならないとされています。
======【引用ここまで】======
政府が国民を雇用し、生産性を高め、供給力を強化するというのは、まさに社会主義国で挑戦し失敗した内容です。
不要な商品や非効率なサービスを提供する供給力を強化しても、需要を満たすことはできません。また、それなりの質の商品やサービスであっても、高いコストをかけて割高に提供しても社会的には損失です。この損失を、税金や国債で穴埋めするようでは、「お金を生み出す」事業とは言えず、ただ単に「お金を使う」旧来型の公共政策をやったにすぎません。
新型コロナ・パニック:現金給付よりも消費減税よりも財政拡大よりもベーシックインカムよりも「ベーシックジョブ」が優れているのはなぜか | 週刊エコノミスト Online
======【引用ここから】======
ベーシックジョブで提供される仕事はどのようなものがあるでしょうか。
原則的には、それぞれの地域で必要な仕事であればどのようなものであっても良いのです。
例えば、過疎化が進む地域において人手不足で困っているような分野が真っ先に考えられます。
医療・介護・福祉・保育など、こういった仕事がとても大きな価値を持っているのは間違いありません。
農林水産業や地域で重要な役割を果たしている商店やものづくりの中小企業も大切です。当然これは、ベーシックジョブの支援対象となり得ます。
文化財の補修などの希少性の高い技術職を支援することは日本文化の継承の問題です。郷土の歴史研究の仕事を支援することで、地方創生のためのコンテンツ作りに貢献できるかもしれません。
JGPの提唱者であるオーストラリアのビル・ミッチェル氏などはミュージシャンやサーファーなどを上げています。
文化的活動は豊かさに直結しますし、サーファーが多いことは海岸の安全性を高めます。
いかにもオーストラリアらしい提案だなと思いますが、それぞれの地域に必要な仕事を考えていけばいいわけです。
======【引用ここまで】======
「〇〇の仕事は価値があります。」
「□□の仕事は大切です。」
「△△の仕事は必要です。」
・・・・・・それで?
今枝氏のこの文章は、小学生の作文並みです。
ある商品やサービスに対し、幾らまでなら対価を支払おうと思えるか。その利用者の判断が、仕事の必要性の度合を決めています。
Aさんにとって、農業は重要です。
Bさんにとって、音楽は大切です。
Cさんにとって、介護は必要です。
それぞれの業種で提供される商品やサービスには、味、色、重さ、大きさ、時間、丁寧さ、快適さといった無数の組み合わせがあり、これに対し、無数のAさん、Bさん、Cさんがいて、それぞれが幾らまでなら対価を支払えるという自分の中の基準を持っています。
実際に対価を支払う利用者を切り離して、
「社会にとって必要」
「地域にとって重要」
といった謳い文句を幾ら並べてみても、そこから、妥当な対価の基準は導かれません。
ベーシックジョブが実施されることで、政治力の強い業種では、
業界団体 ⇒ 政治家 ⇒ 行政
と圧力をかけて要請運動をすることで、高い料金が設定され厚遇されることでしょう。
それだけです。
JGPが蔓延する社会では、
「我々の仕事は大事なんだー!」
「いやいや、私たちの仕事は社会的価値があってー」
と主張する団体がベーシックジョブの認定を受けます。そして、ベーシックジョブ従事者は、画一的な、あるいは非効率な方法で商品を提供し、あるいは自己満足のサービスを提供するようになります。
利用者の間で
「別の方法でやってくれたら良いのに」
「彼らのやっている事の意味が分からない」
「もっと違う曲が聴きたい」
といった不満が募っていても、ベーシックジョブ従事者は一定額の賃金を得ることができます。賃金を支払う胴元が政府だからです。
ベーシックジョブ従事者への賃金設定は、利用者の満足や商品・サービスの質、希少性とは無関係に、団体の政治力で政府にどのくらい圧力をかけられるかによって決まります。
商品やサービスの効率化、質の向上は遅くなり、本来であればそこに向けられていたはずのエネルギーが行政や政治家への働きかけに注がれます。
今枝氏は
「ベーシックジョブは個人の自由を尊重した、社会主義の仕組みとは全く異なった国家による雇用政策です」
と述べていますが、中央政府や地方自治体が適切な賃金を提供し、必要に応じて分野ごとにキャリアアップと賃金アップの仕組みを準備できるという氏の発想は社会主義そのものです。
医療、保育、介護、教育といった分野で、ある場面では賃金が低いと問題になり、ある場面ではブラックな労働が問題になり、ある時は担い手不足が問題となり、またある時は政府の補助によって過大な需要が生じ配給を求める列を生じさせています。これらはいずれも、政府が価格や供給をコントロールしようとして生じた失敗です。
これらを反省せず、
「それぞれの地域で必要な仕事であればどのようなものであっても良い」
とあらゆる分野・業種で役所によるコントロールを適用しようとするベーシックジョブ論は、始める前から既に
「政府の失敗」
が見えている社会主義政策なのです。
【議員連盟】日本の未来を考える勉強会
という議員集団があります。
彼らは、減税を掲げつつも歳出の大幅な拡大を求めるという、理解しがたい路線を採っています。
この勉強会では、藤井聡氏、中野剛志氏、三橋孝明氏といった( )方々を理論的な支柱とするだけでは物足りず、あの差別主義者・社会主義運動家の藤田孝典氏を講師に招くほど、道に迷っています。
民族主義的で、公権力による再分配を全面肯定し、どこまでも大きな政府を求める、そんな彼らは何と呼ぶべきでしょうか。国家社会主義・・・でしょうか。
その構成員の一人が、JGPなる聞き慣れない政策を提言しています。
MMTによる究極の経済政策「JGP」を日本に導入せよ=今枝 宗一郎(自民党衆議院議員)(サンデー毎日×週刊エコノミストOnline) - Yahoo!ニュース
======【引用ここから】======
ベーシックジョブは現代的貨幣理論(Modern Money Theory, MMT)によって提案されている雇用保障計画(Job Guarantee Program, JGP)の改良版です。まずは、JGPについて簡単に説明しましょう。
政府による最後の雇い手(Employer of Last Resort, ELR)とも呼ばれるJGPは、働く能力と意思のある全ての人に政府が一定の賃金・社会保障の権利による仕事を提供するものです。JGPの財源は税金ではなく、政府の赤字支出で賄われます。
-----(中略)-----
具体的には政府の赤字支出によって働きたい人全てに仕事を提供しつつ、キャリアアップのための資格取得の機会を保障し、賃金の継続的な上昇につなげる仕組みまで整備するというものです。人々の生活の可能性を引き出すキャリアラダーを内蔵したベーシックジョブを政府が構築していくことは、これまでの雇用や仕事観を大きく変容させ、より個々人が積極的に社会に貢献できるものとなるでしょう。
======【引用ここまで】======
JGP(Job Guarantee Program)の日本版・ベーシックジョブを導入せよ、という今枝氏。政府が最後の雇い手となって、働く能力と意思のある全ての人に一定の賃金と仕事を提供するなどと供述しています。
「人々の生活の可能性を引き出すキャリアラダーを内蔵」
「キャリアアップのための資格取得の機会を保障」
「個々人が積極的に社会に貢献できる」
等々、必要以上にキラキラしたワードが並んでいて、まるでブラック企業の求人広告のよう。
この日本版JGP・ベーシックジョブでは、具体的にどのような内容・強度の仕事が、どの程度の賃金で提供されるようになるのでしょうか。「具体的には」と言いながら、氏の記事全般を通して具体性がありません。
【利潤はどこから生まれるか】
MMTによる究極の経済政策「JGP」を日本に導入せよ=今枝 宗一郎(自民党衆議院議員)(サンデー毎日×週刊エコノミストOnline) - Yahoo!ニュース======【引用ここから】======
ベーシックジョブは、景気の安定化を実現するだけでなく、その設計次第では経済全体の生産性を高めることになるため、今までの公共政策にありがちだった「お金を使う」政策から、より積極的な「お金を生み出す」政策になるポテンシャルを持っているのです。
======【引用ここまで】======
とのことですが、「お金を生み出す」という事実をどのように確認するのでしょうか。
今枝氏自身も、
「政府が雇用を作ると聞くと、社会主義的なものを思い浮かべる人も多いかもしれません。」
と述べているように、政府による雇用創出は極めて社会主義的です。
氏は、「お金を使う」のと「お金を生み出す」の分岐点はどこにあると考えているのでしょうか。
ラーメン屋の出店で考えてみましょう。
人口20万人の都市の駅近くという立地で、原価を75万円、家賃を25万円、光熱費やその他もろもろ30万円とします。
一日何人の来客があるでしょうか。一杯800円のラーメン、セット1,000円の設定で良いでしょうか。営業日は月23日にしましょうか。ランチタイム中心の営業にしましょうか、それとも夕方から深夜帯にしましょうか。
この地域におけるこの業種の人件費は、幾らが相場でしょうか。調理、接客、皿洗い、何人雇えばお店を回せるでしょうか。
お客の側から見てみましょう。
お客は、自分でもラーメンを作れないことはありません。自宅で調理すれば、一杯あたり300円で作れる人もいるかもしれない。
でも、
「外出先の駅前で、この時間帯に、この味のラーメンを食べられるのであれば、一杯800円払っても十分に満足できる」
となれば、ラーメン屋に通うようになるわけです。
お客の側にこうした主観的な効用をもたらしつつ、そのラーメンの代金から経費を支払って営業を継続し、相場並みかそれ以上の賃金を支払う雇用を生む。
利潤は、こういうミクロの計算の積み重ねの中から生まれます。
この積み重ねの中で、お客の側の満足、従業員の雇用、事業主の利潤、コスト、こうしたものが調整され改善されていくのが経済成長だと私は考えています。
さて。
利潤が生じ事業を継続できるということは、その料金でのサービス提供に需要があり、そのサービスが無い場合と比べて利用者の生活が向上しているということです。また、そのサービスをある程度効率的に提供できているということです。
逆に、利潤が出ないということは、そのサービスをその料金で提供することが人々の生活向上に寄与していないということか、サービスを効率的に提供できていないか、あるいはその両方ということになります。
こういった事は、市場で試すことで初めてわかります。
そして、新たな事業展開、商品開発、見た事のないサービスの提供などは、ここで生じた利潤を再度投資することで可能になります。
【役所は原理的に無能】
公務員にはこうした能力はありません。能力というか、原理的・仕組み的に無理です。公務員に求められているのは、予算の配り方を決めてそのとおり使うことです。役所は、予算案を作り、議決を得て、執行する各段階における手続きさえ遵守していれば、継続的に支出できてしまう組織です。
利用者の満足や事業のコストとの関係の中で、利潤は成立します。他方、税金は利用者の満足や事業のコストとは無関係に、お金を持っている人から徴収するだけです。手続きさえ整えば、いかなる無駄で非効率な事業であっても継続することができます。
役所の中に「この料金でこのサービスなら利用したい」という需要を見つけるプロセスや動機は存在しません。むしろ、役所が定める公定価格や補助金の存在は、こうした市場の機能を歪めてしまいます。
【お金を生むのか、ただ使っているのか】
最後の雇い手として役所が具体的に賃金幾らで人を雇って、具体的に何を供給でき、幾らのコストをかけ、どういう状態を実現できたら、旧来型の「お金を使う」政策ではなく、利潤をもたらす「お金を生み出す」政策であると評価できるのか。マクロのふわっとした論議ではなく、具体的な中身を伴った基準の提示が求められます。MMTによる究極の経済政策「JGP」を日本に導入せよ=今枝 宗一郎(自民党衆議院議員)(サンデー毎日×週刊エコノミストOnline) - Yahoo!ニュース
======【引用ここから】======
一般的なマクロ経済学では失業をゼロにする完全雇用を実現することはできないと考えられています。財政赤字を増大させると完全雇用に達する前にインフレが激しくなってしまうからです。しかし、JGPは働けていない人に仕事を提供し、供給力を強化するため財政赤字を出してもインフレにはならないとされています。
======【引用ここまで】======
政府が国民を雇用し、生産性を高め、供給力を強化するというのは、まさに社会主義国で挑戦し失敗した内容です。
不要な商品や非効率なサービスを提供する供給力を強化しても、需要を満たすことはできません。また、それなりの質の商品やサービスであっても、高いコストをかけて割高に提供しても社会的には損失です。この損失を、税金や国債で穴埋めするようでは、「お金を生み出す」事業とは言えず、ただ単に「お金を使う」旧来型の公共政策をやったにすぎません。
【ベーシックジョブは社会主義】
新型コロナ・パニック:現金給付よりも消費減税よりも財政拡大よりもベーシックインカムよりも「ベーシックジョブ」が優れているのはなぜか | 週刊エコノミスト Online
======【引用ここから】======
ベーシックジョブで提供される仕事はどのようなものがあるでしょうか。
原則的には、それぞれの地域で必要な仕事であればどのようなものであっても良いのです。
例えば、過疎化が進む地域において人手不足で困っているような分野が真っ先に考えられます。
医療・介護・福祉・保育など、こういった仕事がとても大きな価値を持っているのは間違いありません。
農林水産業や地域で重要な役割を果たしている商店やものづくりの中小企業も大切です。当然これは、ベーシックジョブの支援対象となり得ます。
文化財の補修などの希少性の高い技術職を支援することは日本文化の継承の問題です。郷土の歴史研究の仕事を支援することで、地方創生のためのコンテンツ作りに貢献できるかもしれません。
JGPの提唱者であるオーストラリアのビル・ミッチェル氏などはミュージシャンやサーファーなどを上げています。
文化的活動は豊かさに直結しますし、サーファーが多いことは海岸の安全性を高めます。
いかにもオーストラリアらしい提案だなと思いますが、それぞれの地域に必要な仕事を考えていけばいいわけです。
======【引用ここまで】======
「〇〇の仕事は価値があります。」
「□□の仕事は大切です。」
「△△の仕事は必要です。」
・・・・・・それで?
今枝氏のこの文章は、小学生の作文並みです。
ある商品やサービスに対し、幾らまでなら対価を支払おうと思えるか。その利用者の判断が、仕事の必要性の度合を決めています。
Aさんにとって、農業は重要です。
Bさんにとって、音楽は大切です。
Cさんにとって、介護は必要です。
それぞれの業種で提供される商品やサービスには、味、色、重さ、大きさ、時間、丁寧さ、快適さといった無数の組み合わせがあり、これに対し、無数のAさん、Bさん、Cさんがいて、それぞれが幾らまでなら対価を支払えるという自分の中の基準を持っています。
実際に対価を支払う利用者を切り離して、
「社会にとって必要」
「地域にとって重要」
といった謳い文句を幾ら並べてみても、そこから、妥当な対価の基準は導かれません。
ベーシックジョブが実施されることで、政治力の強い業種では、
業界団体 ⇒ 政治家 ⇒ 行政
と圧力をかけて要請運動をすることで、高い料金が設定され厚遇されることでしょう。
それだけです。
JGPが蔓延する社会では、
「我々の仕事は大事なんだー!」
「いやいや、私たちの仕事は社会的価値があってー」
と主張する団体がベーシックジョブの認定を受けます。そして、ベーシックジョブ従事者は、画一的な、あるいは非効率な方法で商品を提供し、あるいは自己満足のサービスを提供するようになります。
利用者の間で
「別の方法でやってくれたら良いのに」
「彼らのやっている事の意味が分からない」
「もっと違う曲が聴きたい」
といった不満が募っていても、ベーシックジョブ従事者は一定額の賃金を得ることができます。賃金を支払う胴元が政府だからです。
ベーシックジョブ従事者への賃金設定は、利用者の満足や商品・サービスの質、希少性とは無関係に、団体の政治力で政府にどのくらい圧力をかけられるかによって決まります。
商品やサービスの効率化、質の向上は遅くなり、本来であればそこに向けられていたはずのエネルギーが行政や政治家への働きかけに注がれます。
今枝氏は
「ベーシックジョブは個人の自由を尊重した、社会主義の仕組みとは全く異なった国家による雇用政策です」
と述べていますが、中央政府や地方自治体が適切な賃金を提供し、必要に応じて分野ごとにキャリアアップと賃金アップの仕組みを準備できるという氏の発想は社会主義そのものです。
医療、保育、介護、教育といった分野で、ある場面では賃金が低いと問題になり、ある場面ではブラックな労働が問題になり、ある時は担い手不足が問題となり、またある時は政府の補助によって過大な需要が生じ配給を求める列を生じさせています。これらはいずれも、政府が価格や供給をコントロールしようとして生じた失敗です。
これらを反省せず、
「それぞれの地域で必要な仕事であればどのようなものであっても良い」
とあらゆる分野・業種で役所によるコントロールを適用しようとするベーシックジョブ論は、始める前から既に
「政府の失敗」
が見えている社会主義政策なのです。