若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

前澤友作氏の心意気と、クレクレ藤田孝典氏のダサさ

2021年03月02日 | 労働組合
ZOZOTOWNの前社長で自称「お金贈りおじさん」(旧「お金配りおじさん」)こと前澤友作氏による、お金贈りについてのnoteがありました。

今後のお金贈りとフォロワー全員お金贈りについて|前澤友作 Yusaku Maezawa|note

純粋に、この人スゴい。真似できます?
彼一代で、年1000億円を超える売上を叩き出す仕組みを作り上げ、1,000人を超える雇用を維持する企業に成長させる。その才覚もさることながら、その過程で得た個人資産を億単位で他人に寄付してしまう肝の太さ。いやもう規模が大きすぎて、スゴいとしか言いようがありません。

上記記事によると、お金贈りの総額は約27億円とのこと。
いやもうスゴい。

【契約自由の原則】

さて。

「お金贈りおじさん」こと前澤氏は、自分だけ儲けたわけではありません。殴ったり脅したりして金品を巻き上げたわけでもありません。取引先企業と契約をし、従業員と契約をし、消費者と契約をし、その契約に基づいて代金を支払ったり賃金を払ったりサービスを提供したのですが、彼ら契約の相手方は、それぞれにメリットがあるからzozoと契約をしたわけです。

取引先企業は、zozoで出品しても売上増に繋がらないと思えば契約を断ることもできますし、zozobaseで働く労働者も、他に高い賃金の提示や楽な業務内容の所があれば辞めて転職することもできます(現に、アパレルメーカーのzozoへの出店取りやめが続いてニュースになったこともありました)。サイトの使い勝手が悪ければ他のプラットフォームを利用することだって可能です。

契約当事者はそれぞれに利益があるから契約をしていたのであって、メリットが無ければ契約をやめてしまえば良いのです。

このように、契約自由の原則が機能している中において、一方的に搾取することはできません。自分が継続的に利益を得るためには、契約相手にそれなりのメリットを提供し続けなければなりません。消費者や契約相手に対する忠実な奉仕者であることが、資本主義における優れた企業家であることの条件です。積み上がった企業家の個人財産は、裏を返せばそれだけ多くの人にメリットを提供した証です。

この企業家の個人資産は、当然ながら私有財産であり企業家が自由に処分して良い性質のものです。なので、

======【引用ここから】======
当時は、前職ZOZO社の初売りセールをさらに盛り上げるために、個人でできる面白いことないかなーという、単純なノリで始めた企画でした。
======【引用ここまで】======

と、軽いノリで自社の初売りセールの宣伝のために個人資産を投じても問題ないし、

======【引用ここから】======
個人間での寄付がもっともっと当たり前に活発になれば、寄付を受け取る人が恥ずかしがったり遠慮することなく助けを求められるようになるでしょうし、何かに挑戦したい人は遠慮なく自分のチャレンジを宣言し支援者を探せるようになると思います。また、寄付する人は堂々と寄付を公表するようになり感謝と尊敬を集めながら、自分の寄付に想いやメッセージを乗せ、支援したい分野や人たちに積極的に寄付するようになるでしょう。
======【引用ここまで】======

と、寄付文化の醸成を目的として個人資産を直接個人に寄付しても良いのです。
これだけの規模の私財を投じる心意気、見事なものだなぁと思います。

既に計27億円を贈ったとのことですが、仮にですよ、この27億円を寄付せず、夜の銀座で連日飲み歩いてシャンパンタワーを並べたとしても、それはそれで良いのです。個人資産、私有財産ですから。

【顔の見える寄付と見えない社会保障】

さて。

そんな稀有な「お金贈りおじさん」ですが、寄付文化の醸成に関して重要なコメントを発しているのでご紹介。

======【引用ここから】======
そんな人たちに対して、個人から個人への感情の伴った富の再分配が「寄付」として行き届くようになり、それが当たり前の世の中になっていくことで、一人でも多くの人が救われ、一人でも多くの人が挑戦に挑むことができ、一人でも多くの人が夢を叶えることができるような社会になると素敵だなと思います。
======【引用ここまで】======

個人から個人へ、感情の伴った寄付が広まることを願う前澤氏。
ここ重要です。

お金を贈る側が、贈る相手を知り、贈ったお金が何に使われるのかをある程度把握することで、その困窮者の生活を救おう、挑戦を応援しよう、自分が贈ったお金が役に立った、という気持ちが生じます。こうした感情が、寄付の自発性を支えます。

他方で、

======【引用ここから】======
今まで寄付やチャリティーには積極的に関与する方でしたが、なんとなくNPOや団体にお金を出すだけでは人任せな気がしていました。
======【引用ここまで】======

このように、間にNPOや団体が介在することでお金を贈る側と受け取る側との距離が開きます。顔も直接的には分からなくなります。贈る側は誰の手元に幾ら贈られて何に使われたのかが分からなくなり、貰う側も誰がそのお金をくれたのかが分からなくなります。

何となくモヤっとしませんか。

規模が大きくなり、お金を払う人とお金を貰う人との間に多くの人が介入し仕組みが複雑になればなるほど、このモヤっと感は強まります。

お金を払う人とお金を貰う人との仕組みが巨大化し複雑化した最たるものが、公営社会保障です。日本全国1億人超を巻き込んで、いろんな個人、法人からお金を集め、それを政府や政府系機関でプールし、複雑な仕組みで保険者へ渡し、細かい基準に沿って対象者を選別し、受給者の手元に現金給付または現物給付がなされる。

この仕組みの中で、納税者が具体的な生活困窮者を思い浮かべながら納税することはほとんどありませんし、受給者が納税者に感謝しながら給付を受けとる事もありません。納税者にしろ、受給者にしろ、お互いの顔は見えません。

じゃあ誰の顔が見えるのかというと、確定申告の際の税務署の職員であったり、生保受給申請の際の福祉事務所の職員であったりするわけです。納税者には、自分が払ったお金の使い道が複雑で見えない、中抜きされていても分からない。そして、受給者は、誰が払ってくれたのか分からない金を受け取り、あるいはそもそも現物給付でどういった費用が生じているかも分からない状態となります。

この分配過程で、福祉事務所の職員が申請窓口で申請者に対し手続きを緩めて融通をきかせたり、あるいはNPO法人職員が申請に同行して受給決定にこぎ着けたりすることがあります。すると、この公務員やNPO職員が受給者から感謝されるという事態が生じます。感謝されるべきだった納税者には意識が向けられず、何も負担していない公務員やNPO職員が感謝されるという捻じれた状態となります。

多くの人にサービスを提供し雇用をもたらした人が感謝されず、ろくな説明も無いままに
「法律で決まってますから」
「納税しないと滞納処分で差し押さえますよ」
と脅されて税金を払わされる。
その一方で、自分では1円も付加価値を生み出していない公務員やNPO職員が感謝される。
どうもおかしい。

【ダサいお金配れおじさん藤田孝典】

さて。

NPO法人ほっとプラスの理事で社会福祉士・社会運動家、自称「お金配れおじさん」
こと藤田孝典氏が、10万円の一律現金給付を求めて毎日のようにツイッターデモを繰り返しています。

その中で、狂気じみたコメントが出現。



======【引用ここから】======
正直、ダサい。わずか26億円。
私は仲間たちと述べにすると、軽く5000人×200万円(概算)で100億円以上(それも毎年)、お金を配ってきた(国が払う…)。前澤氏、もっと頑張れ。

======【引用ここまで】======

何も負担していないし何も価値を生み出していないクレクレ藤田孝典氏が、自腹を切って寄付をしている前澤氏に対し上から目線で物を言い、配った額でマウントを取るという謎が生じています。
他人が私財から投じた寄付を、「わずか26億円」と批判する神経が信じられません。

このクレクレ藤田孝典氏のダサいコメントは、徴収と配布の複雑さを利用し、お金を配るプロセスに介入しているに過ぎない中間者が大きな顔をするという公営社会保障の弊害を、見事に表しています。また、社会福祉士がこうした発言をすることで、
「公務員やNPO法人が自己満足で悦に入るために、納税者は納税を強制されている」
という納税者の社会保障に対する不信感を煽ることにつながります。

国会議員や知事・市長(現職、元職)が
「この高速道路は俺が作ったんだ~ガハハッ」
などと自慢げに語るのを聞いたことがありませんか?
お前の金じゃねーよ、と感じたことありませんか?
(親交のある高齢の美術館オーナーに便宜を図り、美術館・美術品の管理費用を市役所で負担するようにし、副市長在職中にその美術館オーナーの経営する会社で役員に就任した松本英樹行橋市前副市長のように、市民の税金でパトロン気取りをする政治家は後を絶ちません。
リケンは、つくれる ~ 行橋市前副市長に学ぶ便宜供与と役員就任 ~ - 若年寄の遺言
クレクレ藤田孝典氏の発言からは、同じようなダサさ、腐敗臭を感じます。


自分の資産で寄付をする前澤氏の行為が稀有なものであればあるほど、クレクレ藤田孝典氏のダサさが際立ちます。

【底の浅い搾取の理屈】

クレクレ藤田孝典氏は言い訳をするように、



と述べています。
定説です」って・・・。

資本論は、労働価値説に立脚して議論を始めていますが、そのスタートの労働価値説が根本的に間違っている理屈です。いくら長い労働時間をかけて生み出した商品やサービスであっても、それをどこで、どういう形で提供するかによっては、消費者にとって無価値となることもあり得るのが現実の経済です。商品やサービスが利用者の手元に届いた時に初めて効用が生じるのです。

資本家のお金って資本家が稼いだものだと誤解する人が多いけど、多数の労働者が余分に稼いだお金を集めたもの
という「資本論の定説」に従った場合、それなら会社が赤字倒産した場合はどう説明するのでしょうか。会社の利益が労働者のものなら、会社の負債も労働者のもの。赤字倒産すれば所属していた労働者の頭数で割って負債の返済義務を負う事になりますが、果たして、そこまでの覚悟をもって会社に身を置く労働者を想定することができるでしょうか。

労働条件は契約で決まり、契約は強制されたものではなく双方から破棄できる。そうした状態で契約が履行される限り、搾取は存在しません。この契約を繰り返し履行する中で信用は生まれます。

この信用を非常に軽視しているあたり、クレクレ藤田孝典氏のダサいマルクス主義とMMT狂信者とはよく似ています。(MMT批判については後日ネタをアップするかも)


あれこれ述べて来ましたが、私・若年寄は、前澤氏が個人資産を投じて為そうとする、顔の見える寄付文化の醸成に賛同します。そして、クレクレ藤田氏のようなダサい中間搾取者が感謝される複雑怪奇な社会保障制度の整理縮小に向けて、できることをやっていきたいと思います。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。