先日、テレビで漫才師おぼんこぼんのドキュメント的な番組を観た。
あれを観た方はどう思っただろう。
「自分」が先に来たら相手への感謝や敬意は二の次になる。
みんな気付いている。
本人たちも。
傍から見ればなんで素直になれないんだって。
相手も自分も許せないんだって。
(考えと行動が)子供以下で、何十年も生きてきた大人だからこそ譲れない部分もあるだろう。
しかし、それを我が孫の前で晒している。それでもなかなか素直になれない。
情けない。
祖父の立場で子供や孫には友達は大事にしろよ、仲良くしろよと言っていたはず。
恥ずかしい。
子どもは親を見て育つ。
まず、親の言うことを信じる。
子供には親の影響が第一だ。
それはどんな親であっても。
そう、
どんな親でも、だ。
以前から言っているように
指導者の私たちはボランティアである。
チームは別として、ここにおける指導者たちは、報酬を頂いている学校の教師でも月謝を頂いているスクールの先生でもない。
でも、好きでこの活動に参加している。勿論、ボランティアなので、結果が出なくても保証しなければならないということはない。自分の家族を犠牲(そこまで重くないが)にしながら時間とある意味、私財を費やすこともある。
休日はゆっくりしたい、妻を遊びに連れて行きたい、バイクにも乗りたいなどといろいろ思うこともある。
しかし、学童野球は魅力がある。
なぜ続けるのか。
綺麗事と思うかもしれないが、それは入部してくる子どもたちの成長を見ることや彼らとコミュニケーションをとる中で喜びが生まれる。ずっと子育てしているようにも感じる。
そして、ずーっと言っているように卒団した子どもたちが戻れる場所を失くしたくないという気持ちが抜けれない一番のことかもしれない。
チームを次の代に引き継ぐまで。次の代っていつまでだろう。
しかし何年経っても好きな野球を通して子どもたちの成長を育みたいという気持ちは変わらない。
こういう話がある。
伯父の娘が駆け落ちをして数年後にその娘が子を産み、幸せに暮らしていたことを別の親族が知った。その事を伯父の兄に伝えて間を取り持つようにお願いをした。
ところがその兄は父親本人が許していないのにそんな事は出来ないと話したそうだ。
皆様だったらどうしますか?
それはその通りだと考える方もいるでしょうし、許していないからこそ兄として許すように説得するのが当たり前だと考える方もいるでしょう。
学童野球の指導者としては規律を守ることが大切だから前者になりがちだ。勿論、規律違反をしてはいけないが全体がうまく回るようにすることも仕事であると考える。これは子どもに野球技術を教えることより遥かに難しい。
つまり、後者になりチームが存続するようにしていかなくてはいけない。
チームを壊すのは楽しい野球をしに集まる子どもたちではなくその原因はいつも大人である。
夢と希望を持って野球に取り組む子どもたちの行く場所を大人のエゴで奪いたくはない。
その野球を通して身体を鍛え、規律を守り、礼節や感謝の気持ちを伝えられたらと思い続けている。
前にも投稿したが、妻は保育士である。近年、現場では保育を行う上で先ずは親御さんのケアをしなくてはならないという話をされたことがある。
それが子どもたちの保育への第一歩になっていると。
萩原
docomoiPhoneから送信?
あれを観た方はどう思っただろう。
「自分」が先に来たら相手への感謝や敬意は二の次になる。
みんな気付いている。
本人たちも。
傍から見ればなんで素直になれないんだって。
相手も自分も許せないんだって。
(考えと行動が)子供以下で、何十年も生きてきた大人だからこそ譲れない部分もあるだろう。
しかし、それを我が孫の前で晒している。それでもなかなか素直になれない。
情けない。
祖父の立場で子供や孫には友達は大事にしろよ、仲良くしろよと言っていたはず。
恥ずかしい。
子どもは親を見て育つ。
まず、親の言うことを信じる。
子供には親の影響が第一だ。
それはどんな親であっても。
そう、
どんな親でも、だ。
以前から言っているように
指導者の私たちはボランティアである。
チームは別として、ここにおける指導者たちは、報酬を頂いている学校の教師でも月謝を頂いているスクールの先生でもない。
でも、好きでこの活動に参加している。勿論、ボランティアなので、結果が出なくても保証しなければならないということはない。自分の家族を犠牲(そこまで重くないが)にしながら時間とある意味、私財を費やすこともある。
休日はゆっくりしたい、妻を遊びに連れて行きたい、バイクにも乗りたいなどといろいろ思うこともある。
しかし、学童野球は魅力がある。
なぜ続けるのか。
綺麗事と思うかもしれないが、それは入部してくる子どもたちの成長を見ることや彼らとコミュニケーションをとる中で喜びが生まれる。ずっと子育てしているようにも感じる。
そして、ずーっと言っているように卒団した子どもたちが戻れる場所を失くしたくないという気持ちが抜けれない一番のことかもしれない。
チームを次の代に引き継ぐまで。次の代っていつまでだろう。
しかし何年経っても好きな野球を通して子どもたちの成長を育みたいという気持ちは変わらない。
こういう話がある。
伯父の娘が駆け落ちをして数年後にその娘が子を産み、幸せに暮らしていたことを別の親族が知った。その事を伯父の兄に伝えて間を取り持つようにお願いをした。
ところがその兄は父親本人が許していないのにそんな事は出来ないと話したそうだ。
皆様だったらどうしますか?
それはその通りだと考える方もいるでしょうし、許していないからこそ兄として許すように説得するのが当たり前だと考える方もいるでしょう。
学童野球の指導者としては規律を守ることが大切だから前者になりがちだ。勿論、規律違反をしてはいけないが全体がうまく回るようにすることも仕事であると考える。これは子どもに野球技術を教えることより遥かに難しい。
つまり、後者になりチームが存続するようにしていかなくてはいけない。
チームを壊すのは楽しい野球をしに集まる子どもたちではなくその原因はいつも大人である。
夢と希望を持って野球に取り組む子どもたちの行く場所を大人のエゴで奪いたくはない。
その野球を通して身体を鍛え、規律を守り、礼節や感謝の気持ちを伝えられたらと思い続けている。
前にも投稿したが、妻は保育士である。近年、現場では保育を行う上で先ずは親御さんのケアをしなくてはならないという話をされたことがある。
それが子どもたちの保育への第一歩になっていると。
萩原
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