SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

2110 神奈川県立歴史博物館 早雲寺

横浜

神奈川県立歴史博物館

開基500年記念 早雲寺-戦国大名北条氏の遺産と系譜-
期間:10月16日(土)~12月5日(日)

伊勢氏綱社殿造営棟札
大永3年(1523)伊勢氏綱が箱根権現宝殿を再建した際の棟札。この後氏綱は「伊勢」から「北条」に改姓するため、これが「伊勢」姓を名乗った最後の資料にあたる。氏綱が「北条」を名乗った事は関東での余所者「伊勢」氏 から、鎌倉幕府執権・北条氏の名跡を継承する事で権威付を狙ったと考えられている。
他に棟札の墨書には箱根権現別当39世海実と伊勢菊寿丸(後の北条幻庵)の名がある。海実は箱根一帯に影響力をもった小田原城主大森氏の出身。伊勢菊寿丸は伊勢宗瑞(早雲)の子息で後に箱根別当40世となる人物。当時は近江国三井寺上光院に居たためか花押が据えられていない。
大森氏は箱根別当職を多く輩出したが海実がその最後となった。大森氏は衰退し代わって北条氏出身の箱根別当が誕生する事となる。
北条幻庵覚書
十二月十六日付、北北条家一門の長老格であった北条幻庵宗哲が吉良氏朝に嫁ぐ鶴松院(北条氏康娘あるいは幻庵娘)に奥方としての心得を記した24条からなる覚書。
北条幻庵は伊勢宗瑞(早雲)の子息。和歌・連歌・作庭に優れ、京の教養人たちとの交流も持っていた。
大永4年(1524)三井寺上光院に住院し兵部卿を名乗っていた幻庵の元には連歌師・柴屋軒宗長が訪ねて来ており、天文14年(1545)には連歌師・宗牧と連歌会を催している。
軍配団扇
2本あり、ひとつは革製黒漆塗で金箔装飾が施され、もうひとつは竹網代で朱漆塗に金箔で北条家紋の三鱗紋を表す。
伊勢宗瑞(早雲)以来、狭山藩北条氏に伝来した。
宗祇法師像 土佐光起筆
法体姿で右手に扇子を持った宗祇の肖像画。宗祇は文亀二年(1502)箱根湯本で客死し、早雲寺には供養塔が残る。
土佐光起は北条五代の肖像画も描いており、その縁でこの画も描かれたのだろう。

他にも北条五代の肖像や書状など拝見しました。
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