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2408 岐阜関ケ原古戦場記念館 関ケ原合戦の前哨戦


岐阜は関ケ原

岐阜関ケ原古戦場記念館

夏季企画展「関ケ原合戦の前哨戦ー美濃・尾張の攻防ー」
期間:7/13(土)〜9/1(日)

伝・高木貞利所用具足
兜は四十三間筋兜に鍬形がつく、胴は加賀二枚胴で胴・脛当・佩楯など朱塗りとなっている。
高木貞利は織田信長・信雄に仕えた武将。その後徳川家康に仕官し関ケ原合戦では東軍として美濃駒野城の接収などに功績があり、戦後は美濃石津郡にて一族で四千三百石を得た。
伝・杉浦重勝所用 高蒔絵鞍
前後の鞍橋に銀で波、金で海老を更に上部には家紋の「丸に違い柏」描く。背面には「慶長二 八月吉日於伏見井関造之」と墨書きされている。
杉浦重勝は美濃・竹ヶ鼻城主。西軍に属し関ケ原の前哨戦となる竹ヶ鼻城の戦いで東軍の福島正則・井伊直政・本多忠勝らの軍勢に城を囲まれ籠城するも、二の丸を守っていた諸将が降伏した事もあり8月22日に城に火を放ち自刃した。
伝・一柳直盛所用 白羅紗地二重貫紋陣羽織
白羅紗に金襴で装飾が施されている陣羽織。背には一柳家の家紋である釘抜文が大きくあしらわれている。
一柳直盛は東軍に属し、関ケ原前哨戦の木曽川渡河戦では先鋒を務め、続く岐阜城攻めでは瑞龍寺山砦を攻略。
戦後は伊勢神戸5万石に加増転封している。
金森可重像
赤の束帯姿で右手に笏をもつ金森可重の肖像画。原本は大徳寺塔頭・龍源院に伝わり、これを大正10年に写したもの。
金森可重は東軍に属し関ケ原前哨戦の郡上八幡城攻めでは岳父の遠藤慶隆と共にこれを攻撃した。その後は関ケ原本戦にも参加している。

今回は関ケ原の前哨戦がテーマ。様々な武将の思惑が入り乱れており見応えがありました。
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