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2011.3.11
14:46
私は神奈川県にいました。
100円ショップでお買い物中、
大きな揺れを感じて、
店員さんの指示で、
買い物中の人はみな、
かごをもったまま外にでて、
しゃがんで揺れがおさまるのを待ちました。
震度4でしたが、
今まで感じたことのない、
長い揺れで、
皆、不安を感じる中、
隣にいた小学生達が、
気持ちを奮い立たそうと、
一生懸命何か安心する言葉を、
話し合っていたのを覚えています。
揺れがおさまって、
その場でいた皆で、
ああ、周りにけが人がでなくてよかったと、
喜びあい、
かごを持っていた人たちは、
すみやかに店内にもどり、
レジにならんで、
不思議な日常に戻りました。
そして、ホテルに戻り、
エレベーターが止まっているので、
部屋に入れず、
ロビーでみたテレビに映し出された光景。
信じられない事が起こっていました。
しばらく、怖くて、
一人にはなりたくなくて、
エレベーターが動き始めても、
ロビーから動けませんでした。
しばらくして、
気持ちを落ち着けて、
部屋に入った後も、
人とつながっていたい気持ちで、
メールや電話がつながりにくい中、
Twitterで呟き続けていた気がします。
翌日、
様子を伺いにお客様へ向かうと、
お仕事はお休みにしたけれど、
来た人の為にとコーヒーを落としていたし、
スーパーによると、
いつもより多めの人が普通にお買い物をしていました。
昼過ぎには鉄道も普通に動いていたので、
どこかテレビでみた光景が信じられないまま、
名古屋に帰ると、
神奈川以上にいつも通りの日常があり、
なんだか不思議な感覚のまま、
今日はあの日から3年目。
あれから、
この3年間で2回、
東北には行きました。
お店の人、
電車で隣り合わせた地元の人、
タクシーの運転手さん、
いろいろな方とお話もしました。
一番悲しみを身近に感じたのは、
釜石線の駅に置いてあった、
駅員さんとの交流ノートに綴られた、
人々の言葉。
それでも、
前向きに生きようとする人々の気持ちに、
涙が止まりませんでした。
(一人旅)
まだ、沿岸部には行けていません。
今年は、
震災前に好きだった、
宮城県の塩竈神社と松島にも、
また行ってみたいと思っています。
今もまだ、
日常生活に戻れない方がたくさんいます。
原発事故も終息していません。
私もいろいろ考えました。
でも、
日々に感謝して生きることが、
私には一番ぴったりくる気がします。
もちろん、
やるせないこと、腹が立つこと、
悲しくなること、
生きているからいろいろあります。
でも、日々に感謝して、
笑ったり、喜びを感じたり、
愛したりすることが、
怒ったり、奢ったり、
人を攻撃したりするよりも、
ちっぽけな私にできる、
最大の事に感じているのです。
3.11は、
日本人にとって
大きな節目の一つになりました。
世界中の方が、
この日に日本の為に祈ってくれているのを、
SNSを通じて身近に感じます。
私も一日も早い被災地の復興と平和を、
心からお祈りいたします。
そして、
世界には平和でない場所が、
今もたくさんあります。
平和への祈りとともに、
感謝を忘れないで、
日々を過ごしたいと思います。
愛をこめて、
小町でした。
2014.3.11
14:46
(top画像は、中尊寺ハス。
800年の時を経て蘇った、
古代蓮。 盛岡の復興の花でもあります。)