昨日、Y教会に転入会しました。
その時の信仰告白です。
一部修正してありますから、ちょっとへんな文章のところもありますが、もしご興味があればお読みください。
しるべのこれまでの歩みです。
*********
私は22歳の時、日本キャンパスクルセード主催、アメリカのクリスチャン・ホームに滞在し教会生活を経験するという一か月の旅に参加し、イエスさまに出会いました。
当時私の両親は別居中だったため、クリスチャンの柔和な愛に満ちた家庭生活というものに、大きな憧れをもちました。
帰国してすぐにキャンパスクルセードから紹介していただいた、家の近くの東京都葛飾区S教会に通うようになり、イエス・キリストの十字架は自分の罪のためであるということをはっきり示され、K牧師からバプテスマを受けました。その後、教会学校のクラスで一緒に学んでいた青年(現在の夫)と結婚、子ども三人が与えられ「憧れのクリスチャン・ホーム」を築くことができたのです。
もっとも、この頃は、「クリスチャン・ホーム」という意味が理解できず、信仰を貫きながら家庭生活の中の問題や試練に立ち向かうことが、どんなに大変なものであるのかは全く分かっていませんでした。
結婚して7年後、夫の転勤のため前橋の教会に転会し、子どもたちは付属幼稚園で育ち、6年間前橋で教会中心の生活を送りました。
東京に戻ってからは、それまでT神学校の通信教育を受けていましたが、通学が可能となり、音楽科マスターコース卒業後、狛江市にあるT教会の音楽主事に就任、夫も職場が厚木勤務となったので、1995年4月東京都葛飾区から川崎市に引っ越しをしました。
2001年T神学校神学科を卒業したと同時に、T教会協力牧師W先生から派遣按手を受け、夫がワシントンDCに転勤となった現地にあるP・B教会日本語部の協力牧師に招聘され家族で渡米いたしました。 帰国後はK教会の牧師として4年間牧会させていただきました。
一方、長い間町田で開拓伝道を始めたいという幻を持って祈っておりましたが、2007年町田駅前のビルの一室で開拓伝道を始め、チャレンジと希望に満ちた毎日でした。しかし事情があって昨年の5月末で、7年間一歩一歩積み重ね築いてきたM教会を閉鎖することになったのです。
これまで家族にも支えられ、祈りながら前進してきましたが、文字通り崖淵に立たされ、前にも進めない、後ろにも戻れない、自分の居場所がなくなり、立ち位置が分からなくなり混乱しました。
自宅に近いY教会に家族と行くことにしました。将来、足に障がいがあるHもひとりで通える教会ですし、一信徒として地域伝道の働きをしていきたいと思います。Y教会の信徒となり、神さまに用いていただきたいという強い思いでした。
Y教会は家から車で10分、近いと言え、誰一人として知り合いもなく、不安でいっぱいでした。しかし主の導きであると信じ勇気をもって礼拝に、祈祷会に、ホーム・グループに、教会学校に出席し、K先生を初めとして、皆さまとの交わりの中で、だんだん緊張もとけて、心を開くことができるようになりました。
今年の1月には、転入の希望を表明し、準備会の時をもつことができるようになったのですが、ある時K先生から質問されました。「今、何か目的はありますか?」というものでしたが、私はこう答えました。「目的、目標は過去にはありました。でも、今は全くありません。」この言葉を言いながら、それは失望感からくる消極的な言葉ではないと気が付きました。私はこれまで、目的、目標をもって神さまのためにと突っ走ってきました。目的を達成するために、ものすごく努力もしましたし、その目的が叶いますようにと、ただただ祈り、神さまに訴え続けてきた、情熱だけでやってきた信仰生活でした。
でも、今は何も目的も目標もないのです。
しかしそれは決して虚無感、敗北感からのものではありません。
これからの信仰生活、今度は「神さまの私への目的」を教えていただくために祈っていこう、そして「それが何なのか知りたい」という期待からくるものでした。主は私をどのようにお使いになられたいのか、そのことを聴いて行こう、それに従っていこうという希望に溢れた思いだったのです。
ヨハネによる福音書21:18
「はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」
これはイエスさまがペトロの将来を示された言葉です。
若い時にペトロは自分で帯を締めて勇ましく世界伝道に旅立つけれど、年老いた時、迫害者たちによって拘束され、行きたくないところに連れて行かれるだろうというものです。もちろん現実にはペトロは迫害者たちの手によって連れて行かれたのかもしれませんが、実はその背後に、神さまが迫害者の手を借りて、ペトロを行きたくない所に置かれて、そこで働くようにと、そこで伝道し証しするようにとされたのだと、私はこの箇所を読み取りました。
私は今、自分では思いもよらない場所に連れてこられたというのが正直な気持ちです。若い頃から情熱をもって行きたいところに行き、チャレンジし続けてきましたが、今は主がこのY教会に連れてきてくださって、ここで働きなさいと言ってくださっているのです。ここに置いてくださったのだと、心から確信いたします。
これからY教会で、皆さまと共に神さまのために働きたいと希望いたします。これまで30年専門で学んできました「礼拝音楽」をご一緒に分かち合えるなら、さらに共に学び合うことができるならと思います。
また現在T神学校教会音楽科で講師として働いておりますが、次の世代へ礼拝音楽の橋渡しをする者として用いていただけたらと、その中で神さまの「私への目的」を示していただきたいと心から、祈っています。
その時の信仰告白です。
一部修正してありますから、ちょっとへんな文章のところもありますが、もしご興味があればお読みください。
しるべのこれまでの歩みです。
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私は22歳の時、日本キャンパスクルセード主催、アメリカのクリスチャン・ホームに滞在し教会生活を経験するという一か月の旅に参加し、イエスさまに出会いました。
当時私の両親は別居中だったため、クリスチャンの柔和な愛に満ちた家庭生活というものに、大きな憧れをもちました。
帰国してすぐにキャンパスクルセードから紹介していただいた、家の近くの東京都葛飾区S教会に通うようになり、イエス・キリストの十字架は自分の罪のためであるということをはっきり示され、K牧師からバプテスマを受けました。その後、教会学校のクラスで一緒に学んでいた青年(現在の夫)と結婚、子ども三人が与えられ「憧れのクリスチャン・ホーム」を築くことができたのです。
もっとも、この頃は、「クリスチャン・ホーム」という意味が理解できず、信仰を貫きながら家庭生活の中の問題や試練に立ち向かうことが、どんなに大変なものであるのかは全く分かっていませんでした。
結婚して7年後、夫の転勤のため前橋の教会に転会し、子どもたちは付属幼稚園で育ち、6年間前橋で教会中心の生活を送りました。
東京に戻ってからは、それまでT神学校の通信教育を受けていましたが、通学が可能となり、音楽科マスターコース卒業後、狛江市にあるT教会の音楽主事に就任、夫も職場が厚木勤務となったので、1995年4月東京都葛飾区から川崎市に引っ越しをしました。
2001年T神学校神学科を卒業したと同時に、T教会協力牧師W先生から派遣按手を受け、夫がワシントンDCに転勤となった現地にあるP・B教会日本語部の協力牧師に招聘され家族で渡米いたしました。 帰国後はK教会の牧師として4年間牧会させていただきました。
一方、長い間町田で開拓伝道を始めたいという幻を持って祈っておりましたが、2007年町田駅前のビルの一室で開拓伝道を始め、チャレンジと希望に満ちた毎日でした。しかし事情があって昨年の5月末で、7年間一歩一歩積み重ね築いてきたM教会を閉鎖することになったのです。
これまで家族にも支えられ、祈りながら前進してきましたが、文字通り崖淵に立たされ、前にも進めない、後ろにも戻れない、自分の居場所がなくなり、立ち位置が分からなくなり混乱しました。
自宅に近いY教会に家族と行くことにしました。将来、足に障がいがあるHもひとりで通える教会ですし、一信徒として地域伝道の働きをしていきたいと思います。Y教会の信徒となり、神さまに用いていただきたいという強い思いでした。
Y教会は家から車で10分、近いと言え、誰一人として知り合いもなく、不安でいっぱいでした。しかし主の導きであると信じ勇気をもって礼拝に、祈祷会に、ホーム・グループに、教会学校に出席し、K先生を初めとして、皆さまとの交わりの中で、だんだん緊張もとけて、心を開くことができるようになりました。
今年の1月には、転入の希望を表明し、準備会の時をもつことができるようになったのですが、ある時K先生から質問されました。「今、何か目的はありますか?」というものでしたが、私はこう答えました。「目的、目標は過去にはありました。でも、今は全くありません。」この言葉を言いながら、それは失望感からくる消極的な言葉ではないと気が付きました。私はこれまで、目的、目標をもって神さまのためにと突っ走ってきました。目的を達成するために、ものすごく努力もしましたし、その目的が叶いますようにと、ただただ祈り、神さまに訴え続けてきた、情熱だけでやってきた信仰生活でした。
でも、今は何も目的も目標もないのです。
しかしそれは決して虚無感、敗北感からのものではありません。
これからの信仰生活、今度は「神さまの私への目的」を教えていただくために祈っていこう、そして「それが何なのか知りたい」という期待からくるものでした。主は私をどのようにお使いになられたいのか、そのことを聴いて行こう、それに従っていこうという希望に溢れた思いだったのです。
ヨハネによる福音書21:18
「はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」
これはイエスさまがペトロの将来を示された言葉です。
若い時にペトロは自分で帯を締めて勇ましく世界伝道に旅立つけれど、年老いた時、迫害者たちによって拘束され、行きたくないところに連れて行かれるだろうというものです。もちろん現実にはペトロは迫害者たちの手によって連れて行かれたのかもしれませんが、実はその背後に、神さまが迫害者の手を借りて、ペトロを行きたくない所に置かれて、そこで働くようにと、そこで伝道し証しするようにとされたのだと、私はこの箇所を読み取りました。
私は今、自分では思いもよらない場所に連れてこられたというのが正直な気持ちです。若い頃から情熱をもって行きたいところに行き、チャレンジし続けてきましたが、今は主がこのY教会に連れてきてくださって、ここで働きなさいと言ってくださっているのです。ここに置いてくださったのだと、心から確信いたします。
これからY教会で、皆さまと共に神さまのために働きたいと希望いたします。これまで30年専門で学んできました「礼拝音楽」をご一緒に分かち合えるなら、さらに共に学び合うことができるならと思います。
また現在T神学校教会音楽科で講師として働いておりますが、次の世代へ礼拝音楽の橋渡しをする者として用いていただけたらと、その中で神さまの「私への目的」を示していただきたいと心から、祈っています。
里中満知子の旧約聖書の漫画なんてあるの!?
至急、神学校受験するマサに読ませたいです(笑)
想いがあふれて言葉にならないです。
ありがとう(涙)
ご決心されるまで、いろいろな思いがおありだったことでしょう。
「礼拝音楽の橋渡し」、すごく大切な分野ですよね。
これからも、ご活躍ください!
ceciさんには教会音楽について、理解していただけることも多いと思いますが、嬉しいです。
しるべさんがどんな思いで通われていたのか伝わってきます。新しい教会に入られて新たな気持ちでお過ごしの事と思います。
ご家族の事も少しわかった気がします。
色々あったけど、婿殿もバプテスマ(洗礼)受けたし、できたら娘一家も、しるべたちと同じ教会に来てほしいな。その方が近いしね。一家で同じ教会、あこがれます。
るるちゃんも、いつかクリスマスとかに来てほしいな~